オリックス・宮城大弥が球界初の試み 「基金」を設立し沖縄のアスリートを支援へ

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2022年06月15日 05:10  ベースボールキング

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オリックス・宮城大弥 [写真=北野正樹]
◆ 猛牛ストーリー 【第21回:宮城大弥】

 連覇と、昨年果たせなかった日本一を目指す今季のオリックス。監督・コーチ、選手、スタッフらの思いを「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。

 第20回は、2年目の昨季13勝を挙げて新人王に輝いた宮城大弥投手(20)です。




 この度、経済的な理由でスポーツを断念しなければならない沖縄県内の小・中学生、高校生のアスリートを支援する「一般社団法人 宮城大弥基金」を立ち上げました。

 プロ入りするまで遠征費の捻出などに苦労した経験から、父の享さん(54)が中心になって進め、来年度から制度がスタートする予定。

 選手個人が財団法人を設立してスポーツ選手を支援する試みは球界で初めてとみられ、活動の展開が注目されそうです。



◆ プロ入り前からの父との約束

 「ケガなく野球を続け、ステップアップしていくことが第一条件です」

 6月12日の阪神戦(京セラD大阪)の試合後、基金について宮城は決意を込めて語った。


 今年2月9日、沖縄県宜野湾市内に「一般社団法人 宮城大弥基金」が設立された。

 将来を嘱望されるアスリートが経済的な理由で競技を断念することがないよう、用具代や遠征費などの活動費を継続して支援する試み。宜野湾市など行政機関と協議を進め、来年度からの運用を目指している。

 野球だけでなくスポーツ全般が対象で、沖縄県内の小学生から高校生まで数人を、高校卒業まで支援する計画だ。


 宮城によれば、基金の設立はプロ入り前から父・享さんとの約束だった。

 「大弥はいろんな人の支えもあって野球を続けることができて、プロ野球選手になることができた。プロになれば、恩返しをしよう」。享さんの提案に異存はなかった。


 経済的に厳しい中で野球を続けてきた宮城の家庭環境は、ドラフト当日夜のテレビで放送されたことでも広く知られている。

 子供の頃の交通事故による手の障がいを持つ享さんが、昼間と夜の仕事を掛け持ちするダブルワークをしたり、給料の前借りなどで遠征費用などを捻出。家族の支えもあり、宮城は野球を断念することなく甲子園出場を果たし、U-18日本代表にも選出されてプロ野球選手になることができた。

 「いろんな人に支えていただいた立場。そういうように育って来たのは事実なので、そういう立場の人がいれば力になりたい」と宮城。
 
 「生活が厳しいことを恥ずかしいと思ったことはありません。今の時代、裕福な人が多い中でちょっと目立つという感じはしますけどね。他の人に比べると、欲しいものが買ってもらえなかったりしましたが、今、プロ野球選手になれているということを考えると、逆に裕福だったらどうだったんだろうかと、ちょっと怖い感じはします。裕福でなかったからこそ、頑張れたとも思います」

 厳しい家庭環境は、試練ばかりでなく宮城に野球だけに打ち込む環境も与えてくれたのだろう。


 プロ野球選手が様々な社会貢献をしていることはよく知られている。

 「一般社団法人 日本プロ野球選手会」でも、入院している子供たちやその家族の支援(ドナルド・マクドナルド・ハウス支援)のほか、災害支援なども続けている。

 また、野球未経験の小学4〜5年生のひとり親家庭や、児童養護施設の児童26人に野球用具や奨励金の提供を行う「ドリームキャッチ プロジェクト」も継続中だ。

 事務局次長の加藤諭氏によると「選手個人が社団法人を作り、スポーツ選手を支援することは聞いたことがない」といい、今回の活動は球界初の試みのようだ。


◆ “2年目のジンクス”はなし

 3年目の今季は11試合に登板し、5勝3敗で防御率は3.82。開幕から連敗スタートだったが、その後は5連勝。12日の阪神戦は6回を6安打、自責点4で2カ月ぶりの黒星を喫した。

 悔やんだのは、多投した変化球の精度。特に5回二死満塁で迎えた大山悠輔には、カウント1ボール・2ストライクから外角高めのチェンジアップを右前に運ばれ、2点を与えてしまった。

 「抜けたチェンジアップ。その前の球(外寄り低め147キロ)が良いところに決まったのに、決め球があのようになってしまうのは自分自身、悔しい」と宮城。

 「打たれたのはほとんど変化球。あとから考えると、結果としてストレートが少なかったのかもしれない」。この日の捕手は新人の福永奨。2度目に組んだバッテリーで、詰めが甘くなってしまったのかもしれない。


 6連勝は逃したが、宮城に“(実質)2年目”のジンクスは感じられない。

 自分で考え、工夫できるのが強み。昨年は開幕2戦目の西武戦で山川穂高に対し「打たれる予感がした」と、ボールを離す直前にサインのスライダーをカーブに切り替え、タイミングを外して膝から崩れ落として空振り三振に仕留めた。また、マウンドでは左右の打者によってプレートを踏む位置も替えている。

 今年は上げた右脚を一度止め、打者のタイミングを外す二段モーションをやめた。

 「いったん止めて、ゼロから(一気に)100の感じで投げていたが、今はゼロ、1、2、3・・・100という意識です。二段モーションで苦しんでいた時に、キャッチボールでは二段で投げないので高山(郁夫)コーチに相談して、昨年の日本シリーズで試したらしっくりと来ました。バランスや勢いがついた気がします。ものすごい剛速球を持っているわけではないので、いろんな引き出しを持って場の状況を乗り越えていきたいと思っています」

 171センチ・78キロの小さな体を生かす道を常に探っている。


 「公式戦再開までに練習する時間もあるので、キャッチボールなどで体の使い方などをしっかりと見直したい」

 基金では、最大で約10年間支援を続ける。そのため、宮城にはケガなく第一線でマウンドに登り、活躍を続けることが求められる。

 「活躍すればするほど、支援の輪を広げることができます。僕自身の励みにもなるし、もっと上に行かなくてはと思います」

 チームの連覇、沖縄の子供たちのためにも、目標とされる左腕でい続ける覚悟だ。


取材・文=北野正樹(きたの・まさき)
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