「戦争は起こすもんじゃない」=ウクライナの光景に胸痛め―沖縄戦で避難誘導・93歳金城さん

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2022年06月23日 14:01  時事通信社

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時事通信社

写真太平洋戦争末期の沖縄戦での経験を語る金城光栄さん=9日、沖縄県糸満市
太平洋戦争末期の沖縄戦での経験を語る金城光栄さん=9日、沖縄県糸満市
 太平洋戦争末期、国内最大の地上戦として約20万人が犠牲になった沖縄戦。当時16歳だった糸満市の金城光栄さん(93)は、那覇市などから避難した住民を洞穴などの壕(ごう)に誘導する任務に奔走した。現在ウクライナで繰り広げられる戦場の光景と当時を重ね合わせ「戦争は起こすもんじゃない」と訴える。

 金城さんは14歳から米軍の爆撃機や潜水艦の接近を見張る「監視哨員」に従事していため、当時の米軍の状況を克明に覚えている。上陸直前の1945年3月、糸満市の丘の上の見張り所から「数え切れないほどの軍艦が本島を取り囲んでいる」のを目撃。米軍が最初に上陸した同月26日の慶良間諸島での戦闘は、「島が燃えている」と感じた。

 4月1日、米軍が沖縄本島への進軍を開始すると、金城さんは警察官に編入され、10キロ余り離れた那覇市から逃れてきた避難民の隠れ場所を探す役割を担った。「多くの壕では日本軍から『自分たちが使う』と追い出された。民間人が入れる壕を探すのに苦労した」と振り返る。

 米軍は火炎放射器や迫撃砲などで攻撃し、金城さんの街にも戦火が迫った。6月10日ごろ、仲間の警察官と約7キロ先の本島南端にある喜屋武岬の断崖絶壁の下に逃れた。しかし、そこも安全ではなかった。「上からは米兵に狙撃され、海からは艦砲射撃を受けるので、足を曲げて小さくなって座っていた」と明かす。

 金城さんは艦砲射撃による落石で、足に大けがをした。治療することができたのは約1週間後、沖縄戦が終了し、米軍の捕虜になってからだった。傷痕は今も残っている。

 77年たった現在、ロシア軍の攻撃を受けたウクライナ避難民がシェルターに隠れる姿をテレビで見ると、当時の体験と重なり胸が痛むという。「守る方は命懸けだ。食糧も底を突くだろうし、いつまで持つだろうか」と思いやった。 

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