61歳で紅白初出場した歌手・秋元順子さん「遅咲きでもなんでもない。神様が時間をくれたんだ」

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2022年06月25日 11:30  AERA dot.

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写真健康と、歌える環境を下さい」って口に出して自分と神様に伝えています
健康と、歌える環境を下さい」って口に出して自分と神様に伝えています
 60歳を前に新しいキャリアに挑戦し、華々しい活躍を遂げた“アラ還シンデレラ”がいる。でこぼこ道もなんのその。何歳(いくつ)になっても自分らしく前向きに生きるその姿は、やりたいことが見つからない人や一歩踏み出す勇気が持てない人へのヒントやエールになるはず。61歳のときに紅白初出場を果たした歌手・秋元順子さん(75)のパワフルな人生訓をお届けする。


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 幼いころから歌うことが好きでした。でも自分の声はコンプレックスで。小学校ではガラガラ声って笑われるし、母には「産声を聞いたとき男の子だと思った」って言われる始末(笑)。でも3年生のある日、クラスのみんなの前で「月の沙漠」を歌ったら、先生が「いい声ね〜」って拍手してくれたんです。きれいとか美しいじゃなくて、いい声。それからは人前で歌うのがなんでもなくなりました。


 本当は音大に行きたかったんですけど、母に「働いて家にお金入れてくれないかしら?」って言われてしまって。時代が時代なので、ある程度働いたらお嫁に、っていうレールが引かれていたんです。でも状況がマイナスだなって気づいたら、どれだけ早くプラスに持っていけるかが勝負! 余暇で音楽ができるよう、石油会社に就職して社内のハワイアンバンドに入りました。会社のイベントとかパーティーに呼ばれて何百人もの前で歌ったり、他のグループからスカウトされて3つのバンドを掛け持ちしたり。ずいぶん楽しませて頂きました。


 バンドの女の子たちは澄んだかわいい声で「ハワイアン」なのに、私が歌うと周りは「ジャズワイアンだね(笑)」って。いつかこのハスキーボイスを生かせる日が来るはずだと勝手に信じて歌い続けたけれど、24歳で会社を辞めて花屋に嫁いでからは音楽はお休みしました。お店が4軒あって子どもが二人いて、自分はいつごはん食べてたの?って不思議なくらい、とにかく忙しかった。そして上の子が小学4年生になったころ、昔のバンド仲間に「食事会があるから来ない?」って誘われたんです。行ってみたらなんとそこはライブハウスで、「今日は新メンバーでの結成式だから君も入って」って。




 食事会って言えば来るだろうって思ったんでしょう。「子どもも小さいし、まだ無理」とお断りしたのですが、「あの昔歌ってたやつ歌ってよ」ということで「南国の夜」を歌いましたら、ムラムラっと来ちゃって……。お客さんから拍手も頂いて、うわーこんな楽しいこと休んでたのーって。主人に聞いたら「今までの仕事や家事のスケジュールを全部こなせるならやってもいいよ」って言われました。自分の好きなことのためにそれ以外をほっぽらかしにするのは違うなぁと思い、子育ても仕事も歌もほぼ完璧にこなしてきたつもりです。


 でも体が疲れて疲れて配達の途中で寝ちゃったりして、やっぱり歌をやめようかなってダイニングテーブルで考えていたある日。まだ小学生の娘が「順子さん、本当にやりたいんだったらやれるところまでやってみたら」って言ったのね。その言葉は、幼いころ初めて学校で「いい声ね」と褒められたときと同じくらい私を奮い立たせました。


 自分が真剣に向き合っていると、いいお話って来るものですね。うちのジャズクラブで歌ってほしいという依頼をいただきました。しかも新人なのにベテランのミュージシャンと組みなさいって。「スキルにギャップはあるけど、やる気があって恥をかきながら勉強すれば差はすぐ埋まる」って言われて、感動して。とにかく他の人のステージを見て回って、衣装とかお客様の要望をリサーチしました。花屋だったころ、新しいパートさんにはお金を持たせて、「あそこの花屋さんで花束を買って、よく見てきて下さい」って勉強して頂きました。ライバルから学ぶって絶対必要なことですね。次第に私を気に入って下さるお客様が出てきて、仕事が増えていきました。



 そんななか、ある作曲家さんに頼まれて「マディソン郡の恋」を歌うことになり、インディーズのCDがあっという間に6千枚も出て。鳥肌立ちました。そしてレコード会社さんから声をかけて頂いて、58歳でメジャーデビュー。迷いはありませんでした。20代のころ、オーディションを受けに行くと、「歌はいいけど、あと10歳若ければね」って何度も言われました。積み重ねてきたものを発表できる機会が訪れた、こんな奇跡はもう二度とない、と思ったのです。娘は「今まであれだけ一生懸命やってきたんだもの。認めてくれる人もいるだろうしファンの方も増えるんじゃない?」って言ってくれました。主人は一言、「うんそうだね」って(笑)。


 でも2作目は「マディソン郡の恋」の売り上げを超えられなかった。「こんな年齢でどうせ続きやしないよ」とか色々な声も耳に入ってきて、歌手を続けるか一人悩んでいたときに、「もう1曲歌ってくれますか?」って言われたのが「愛のままで…」でした。初めは大ヒットするなんて誰一人思わなかった。でも全国キャンペーンで地方を回ったとき、何か今までと違うなって感じました。区民館のパイプ椅子に正座して身動きせずに聴いて下さったり、拝むように私に手を合わせて下さったお客様がいたんです。90歳と84歳の夫婦は涙をこぼしながら「あなたの歌は私たちの人生そのものだわ」って。そのとき、どんな歌でも誰かの人生に関わっていく重い責任があると強く感じました。


 今まで「もう歌はやめよう」「花屋のおばさんに戻ればいい」って思うことは何度もありました。でも結局、「あなたは歌でしょ」っていう想いが湧き出てきちゃうの。魂の声に対して「そんなことないわよ」って言ってたら今はないと思う。デビューしてそれに気づいてからは、「歌うことが私の使命なのだと納得しました。歌をもっと勉強します。だから健康と、歌える環境を下さい」って口に出して自分と神様に伝えています。


 人間の一生を春夏秋冬で表すなら、還暦でデビューするって秋に花が開くようなものでしょう。まあ私、秋元ですからね。でもそれって遅咲きでもなんでもない。そのときが咲くべきときなの。家族がいて、お店も4軒やってきて、そのつながりで出会った方たちが今も応援してくれている。きっと神様が「あなたは58歳まで勉強しなさい、人脈を作りなさい、歌もたくさん覚えなさい」って時間をくれたんだな、ありがたいなと思ってます。


あきもと・じゅんこ/1947年、東京都生まれ。2005年に「マディソン郡の恋」で歌手デビュー。3作目の「愛のままで…」が大ヒットし、08年のNHK紅白歌合戦に紅組史上歴代最高齢(61歳6カ月)で初出場。今年2月には最新シングル「なぎさ橋から/いちばん素敵な港町」をリリースし、コンサートなど精力的に活動を続けている。


(構成 本誌・大谷百合絵)


※週刊朝日 7月1日号の記事に加筆


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