『鎌倉殿の13人』八重の謎や今後の展開も…最新の歴史書読み比べ 研究者の相違が拡げてくれる中世への新たな視点

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2022年06月30日 07:01  リアルサウンド

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 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放映を受けるかたちで、ドラマの主人公である北条義時や、彼が執権を務めた鎌倉幕府に関する本が数多く書店に並んでいる。それらの中には、中世を専門とする歴史研究者が、最新の歴史学の知見を盛り込みつつ、その時代に詳しくない一般の読者にもわかりやすいように説明したものがあり、ドラマの副読本としてこの上なくありがたい著作となっている。


 この書評では、ここ一年ほどのあいだに刊行された研究書の中から私の独断で、充実した内容と読みやすさとを兼ね備えたものを数冊紹介する。『鎌倉殿の13人』を観る際に、副読本として役立てていただければ幸いである。


 まず、主人公の北条義時の生涯を追った本では、岩田慎平『北条義時 鎌倉殿を補佐した二代目執権』(中公新書)を紹介したい。といっても義時の前半生について判明している事実はさほど多くないので、北条氏や幕府、朝廷などさまざまな方面から当時の社会を記述することで、義時が生きた時代を多角的に浮かび上がらせている。序章では義時が生まれる前の北条氏と伊豆国の関係、第一章では挙兵前の源頼朝と北条氏の関係……と、挙兵までにたっぷりとページ数を費やし、特に当時の貴族社会についての言及が多いのが特色である。これは、武士、そして鎌倉幕府もまた、軍事を専門とする集団として貴族社会に組み込まれていたと著者が見ているからだ。武士と貴族は対立概念だったのではなく、五位以上の位階を持つ武士は同時に貴族階級でもあったのだ。


 この本では当時の身分制度を説明する言葉として、位階で三位以上の「公卿身分」、四位〜五位の「諸大夫身分」、六位以下の「侍身分」という三つの身分が出てくる。この身分制度を補助線とすることで、当時の錯綜した人間関係がかなりクリアに見通せるようになるのである。また、鎌倉幕府の棟梁である「鎌倉殿」と、「征夷大将軍」という官職とは必ずしも一致せず、将軍不在の時期が案外多かったというのも「言われてみれば」という感じだが、北条氏の内紛である「牧氏事件」や「伊賀氏事件」を、その鎌倉殿に誰を推すかという争いとして読み解いたあたりがユニークだ。個人的には、何か事件やトラブルがあるたびに名前が出てくる三浦義村の食えない動きが興味深かった。


 もう一冊、義時の研究書として、山本みなみ『史伝 北条義時 武家政権を確立した権力者の実像』(小学館)も、先行研究を整理しつつ自分なりの見解を示した良書として挙げておきたい(この本も、最新の研究に基づいて北条氏の出自にかなりのページ数を費やしている)。北条氏に権力を集中させた陰謀家としてではなく、幕府政治の安定を最優先し、その中で謀略も辞さなかった人物として義時を評価しており、また将軍と執権は対立していたのではなく、互いに補完する関係にあったという立場をとっている。カラー図版が多いのがありがたい。


 この本では、頼朝死後に相次いだ有力御家人の粛清について、北条氏の主導性のみに目を向けてきた従来の見解は一面的であるとし、特に北条氏がまだ権力基盤を確立していない二代将軍・頼家の治世にあっては、比企能員が一連の事件で果たした役割を重視している。そこから浮上するのは、武装もせずにうかうかと敵地に乗り込んで討たれた凡将という従来の能員のイメージではなく、自分の手を汚さず政敵を次々と葬ってゆく恐ろしい陰謀家の姿である(そういえば『鎌倉殿の13人』でも、佐藤二朗が演じる能員が、次第に野心家としての側面を見せはじめている)。


 また、義時に対する後世の評価の変遷がまとめられているのも役に立つ(意外なところでは、日蓮や勝海舟が義時を高く評価しているという)。なお、この本では限定された記述にとどめられている義時の姉・政子の役割については、同じ著者の『史伝 北条政子 鎌倉幕府を導いた尼将軍』(NHK出版新書)を併せて読んでいただきたい。


 義時個人というより、承久の乱で朝廷に勝利するまでの鎌倉幕府の流れそのものをメインに扱ったのが、坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(NHK出版新書)である。坂井の名前は、『鎌倉殿の13人』の時代考証としてスタッフ欄にクレジットされているので、このドラマの視聴者にもお馴染みだろう。ここ数年で『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書)、『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(PHP新書)といった著書を立て続けに上梓しているが、最新刊の『鎌倉殿と執権北条氏』では、北条氏と伊東氏、そして頼朝の関係を前半でじっくり書き込んでいるのが類書にない特色。そこで坂井は、甥の工藤祐経から領地を理不尽に奪い、孫の千鶴丸を殺害させた冷酷な人物という伊東祐親(義時の母方の祖父)のイメージに異を唱える。


 またこの本では、「八重」という名で知られている祐親の娘(頼朝の最初の妻)と、北条泰時の母親だが御所勤めの女房だったことしか判明していない「阿波局」(義時の同名の妹とは別人)が同一人物であると唱えている。この仮説はかなり大胆で、論証が難しい推測も含まれているので異論もありそうだけれども、『鎌倉殿の13人』における八重の設定が、どのような考証から生まれたかがはっきりわかるようになっている。


 これらの本の著者たちのスタンスは、多くの部分では共通している。例えば三代将軍・実朝の暗殺事件については、三人とも黒幕の存在を否定し、親王将軍が京都から迎えられることを知った甥の公暁(従来は「くぎょう」と発音されてきたが、最近の研究では「こうきょう」または「こうぎょう」が正しいとされる)の暴発と捉える点で一致している。また、後鳥羽上皇が最初から倒幕を目論んでいたのではなく、実朝暗殺を機に、彼を護れなかった義時への不信感を募らせた結果が承久の乱であるという見方も共通している。頼朝死後の「十三人の合議制」を、頼家の権力を制限するものではなく、頼家への訴訟取次役が十三人の宿老に限定されたと見なす立場も同様だ。しかし、見解が割れている部分も散見される。


 例えば坂井孝一は、従来は文弱の傀儡将軍と見なされてきた実朝が、実際には積極的に政務に関わった点を高く評価する。これに対して山本みなみは、疱瘡(天然痘)を患った実朝が一時期引きこもり状態になって政務を執れなかった点を重視し、実朝の政治的関与の積極的評価には慎重な態度である。


 また、承久の乱の際、後鳥羽上皇の宣旨の内容が倒幕ではなく北条義時追討であった点について、岩田慎平と坂井孝一は、義時や政子といった幕府首脳部が、義時個人を追討せよという宣旨を幕府追討と読み替えることで御家人たちを巻き込み結束させたと解釈する。これに対し山本みなみは、上皇方の軍勢が攻め込めば鎌倉は壊滅的な被害を避けられず、また義時だけを殺して事がそれで済んだとも考えにくいので、義時追討と倒幕に実質的な差はないのではという意見である。


 こうした研究者間の意見の相違は、読者の視野を広げ、歴史上の出来事をどう捉えるかの参考になる。その意味で、研究書はなるべく複数読んでおくのが望ましいのである。


 最後に、『鎌倉殿の13人』に登場した人物の研究書として、千野原靖方『上総広常 房総最大の武力を築いた猛将の生涯』(戎光祥郷土史叢書)を紹介しておく。『鎌倉殿の13人』で佐藤浩市が演じて話題となった、あの上総広常が主役である。


 引用が多い上、人名が大量に紹介されるので上記の三冊ほど読みやすくはないものの、頼朝による広常誅殺事件の解釈に、奥州藤原氏という補助線を引いたのがポイントだ。先祖の源頼義・義家に倣っていずれは奥州を平定しようと考える頼朝と、自らの関東最強の軍事力を支える奥州藤原氏との交易を重視する広常の対立が、背後から鎌倉を窺う藤原秀衡への牽制としての広常誅殺につながったという見解には説得力がある。


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