武者小路実篤の孫が明かす“文豪の素顔” 小遣いは大金、美食家ではなかった

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2022年07月02日 08:00  AERA dot.

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写真自著『友情』について語る武者小路実篤。1962年
自著『友情』について語る武者小路実篤。1962年
 日本には文豪と呼ばれる作家がいた。文章や生きざまで読者を魅了し、社会に大きな影響を与えた。だが、彼らも一人の人間である。どんな性格だったのか。どのような生活を送っていたのか。子孫に話を聞き、“素顔”をシリーズで紹介していく。第1回は武者小路実篤。


【画像】「この道」1967年 紙本墨画淡彩がこちら
*  *  *


「聞かれると答えに困ることがいくつかあるのですが、『実篤はどんな人でしたか?』という質問が一番困りますね。というのも、私にとっては普通のおじいちゃんでしたから」


 そう話すのは、武者小路実篤の孫にあたる武者小路知行さんだ。


 知行さんは現在、調布市武者小路実篤記念館の理事長を務めている。


 武者小路の名前は、多くの人が「むしゃのこうじ」と学校で習っただろう。だが、「の」は入らないという。


「祖父が海外に行った際、使っていた名刺はMushakoji。no(の)は入っていませんでした」(知行さん)


 知行さんは、三鷹(東京)に実篤が住んでいたときは一緒に暮らしていたという。


「散歩がてら、山本有三文庫(現三鷹市山本有三記念館)や彫刻家の北村西望のアトリエに連れていってもらったことがありました。文学や美術に身近に触れていたのが、普通の家庭の生活とは違っていたかもしれませんね」


 実篤が三鷹から仙川(東京)に転居した後も、知行さんは週に1、2度、祖父のもとを訪ねていたそうだ。


「私が小さいときにお小遣いをねだったことがあるんです。少し欲張って100円ちょうだいって言ったんです。するとなんのためらいもなく、財布から100円を出してくれたのです」


 当時の100円といえばかなりの高額。概算で現在の2万円くらいである。


「仮に私が千円ちょうだいと言って財布にあればくれたと思うんです。社会的常識にやや欠けたところがあったのかもしれませんね」


 知行さんには楽しい思い出がある。それは実篤が呼びかけて“理想郷”を目指してつくった「新しき村」への旅行だ。


「埼玉県毛呂山町にある“新しき村”のお祭りに行くのが楽しみでしたね。車1台に実篤に運転手、加えて孫が5、6人ぎゅーぎゅー詰めで乗って行きました」


 定員オーバーで時々警官に止められたこともあるという。



「新しき村のお祭りは毎年9月に行われるもので、バイオリンなどの音楽演奏会があったり、バレエの公演があったりしました。当時の毛呂山町はかなり田舎で、現地の人にとって相当文化的なものだったでしょうね」


 どの家でもあるように、実篤は孫を溺愛していた。孫に対する気持ちが垣間見える文章がある。


「僕はすぐ化けの皮があらわれる嘘をついて喜ぶ悪い癖があるのだ。『お祖父さんもと相撲取りで横綱だったのだ』なぞと言うと半信半疑の顔しながら『本当』と孫は言う、その時の顔つきが実に面白く滑稽で可愛いのだ」(武者小路実篤『一人の男』から)


 武者小路実篤は小説に限らず、色紙に静物の絵を描き、そこに「讃」と呼ばれる短い言葉を添えた絵画を多く残した。


「仲よき事は美しき哉」「この世に美しき物あるは我等の喜び」など、短く本質を突くものが多い。まるで格言のようである。


「あの言葉は誰かに向けて書いているのではなく、自分自身に向けて言っているのです。こうしなさいとか、こうあるべきとかではない、いわば自分の生き方の宣言のようなものなのです。だから、『勉強 勉強 勉強のみ よく奇蹟を生む』も誰かに勉強しろではなく、自分で勉強をして、研鑽を積まなければならないということを表しているのです」


 実篤の絵画は数多くあるが、野菜や果物ばかりで犬や猫など動物はない。その理由を知行さんはこう話す。


「祖父は見たとおりに絵を描くのです。だから犬や猫は動いてしまうから、描けないのです。生き物の中では魚を描いていますが、死んでもう動かない魚です。絵を描くとき植物を祖父の前に置くと、枯れ葉や虫食いの葉などを取ってくれと言うのです。あるとそのまま描いてしまうからなんです」



 数ある中で、唯一何も見ないで描いたものがある。その絵画に添えられた讃は「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」。


「この道は一つしかない自分の中にある道なので、実際の風景を見る必要はないのだと話していました。祖父らしい話だと思います」




 文豪は美食家が多いが、食に関してはあまりこだわりがなかったそうだ。“凝った料理”を見ると「何だか変なもの」と評し、食通だった友人の志賀直哉の名をあげて「(これは)志賀が好きそうだ」と話した。


 ある日のお昼近くに客がいるので、家人がすしでも出前で取ろうかと声をかけた。すると実篤は真っ先に、「おれはたぬきうどんが食べたい」と言いだし、客に「君はどうする」と問うた。客は主人の手前、すしなどは頼めず「たぬきうどん」と答えると、「そうか、君もたぬきうどんが好きか」とその言葉のとおりに受け取った。これも祖父らしい話と知行さんは微笑みながら話した。


 記念館は実篤が晩年の20年間住んだ地である実篤公園に隣接してあるが、最近は少し変化があると知行さんは言う。


「『文豪とアルケミスト』というゲームの影響で、若い人の来館者が少しずつですが増えていますね。作品を読むだけでなく、日向(宮崎県)の新しき村へも訪ねてくれたそうで、若い人が実篤に興味を持ってくれるのはありがたいですね」


「文豪とアルケミスト」は、明治から昭和の文豪を転生させて文学書を守るために敵を討伐するゲームだ。


 最後に、実篤の言葉で好きなものはどれかを聞いた。


「『君は君 我は我也 されど仲よき』ですね。生まれも育ちも違う、いろんな考えの人がいるけど、仲良くしましょうと。世界中の人がこの言葉を好きでいてくれたら、戦争もいじめもなくなるはずです」


(本誌・鮎川哲也)

※週刊朝日  2022年7月8日号


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