写真 宗猛(そう・たけし)/ 1953年、大分県生まれ。2014年に総監督に就任し、現在に至る |
瀬古利彦さんとともに、日本の男子マラソン界をリードした宗茂、猛さんの双子兄弟。弟の旭化成陸上部総監督の猛さんが、同社の陸上部の歴史と瀬古さんとの激闘を語る。
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陸上部は76年を超える歴史があります。全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)には第1回から出場(2〜7、30回不参加)し、25回優勝しています。
陸上部は戦後、若い社員のエネルギーの発散の場として作られました。広報活動の一つとしてスポーツに力を入れる企業もありますが、旭化成は社員向けの存在という意味合いが強いのです。
私を含めて陸上部のメンバーは社員であり、仕事をしつつ陸上部の活動をしています。競技から引退しても会社を辞めることなく、仕事を続けています。会社と共に陸上部も宮崎・延岡の地域に溶け込んでいて、選手が走る姿は風景の一部になっていると感じます。
私は1971年に双子の兄の茂と入社し52年目になりました。当時のライバルの瀬古利彦さんは、いつも私たちの後をコバンザメのようについてきて、私たちは最後に抜かれるというパターンでした。瀬古さんに勝つにはどうしたらいいかを考え、瀬古さんを先に行かせ、ついていこうとしたら、彼もペースを落とすんです。それでスタミナで先行して引き離すしかないとペースを上げても最後の最後でやられるんですよ。
現役のときは瀬古さんとは一切口を利いたことがありません。こちらとしては全くえたいの知れない、奥が深く神秘的な存在でした。引退後に話をしたら、冗談好きでおしゃべりな人でした。そんな瀬古さんに勝ったのは、ロス五輪のときの一度だけでしたね。
私は96年に現役を引退し、総監督という立場にいます。宗監督で総監督です。
旭化成陸上部としては、ニューイヤー駅伝での優勝を目標としています。まず個人のレベルを上げることでチーム力を向上させる練習を積んでいます。もう勝って当たり前になっているので2位や3位では周りが認めてくれません。
私たちが強く、そして勝ち続けることで旭化成の企業価値の向上に貢献できると思います。
陸上部の歴史はまだまだ続いていきます。
(構成/本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2022年7月8日号