内田樹「小田嶋隆さんからの最後の贈り物 気づかいに胸を衝かれた」

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2022年07月06日 07:00  AERA dot.

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写真哲学者 内田樹
哲学者 内田樹
 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。


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 小田嶋隆さんが亡くなった。出先で受けた追悼文寄稿の依頼メールで亡くなったことを知らされた。以前から闘病されていたことは知っていたし、「あまりよくないらしいよ」と共通の友人である平川克美君からも教えられていた。6月はじめに小田嶋さんから電話を頂いた。いずれ鎮痛剤のせいで意識がはっきりしなくなりそうなので、今のうちに旧知の友人たちに別れの挨拶(あいさつ)をしているのですということだった。小田嶋さんの親友の岡康道さんが急逝された時、別れの挨拶ができなかったことがずっと悔いとして残っていて、そういう思いを自分の友人たちにはさせたくないので順繰りに挨拶をしているのですと説明してくれた。体調が悪い中での気づかいに胸を衝(つ)かれた。


 翌週東京に行く用事があるから、赤羽のお宅にお見舞いに参りますと告げて、平川君と一緒に病床を訪ねた。


 ベッドから起き上がれないほど憔悴(しょうすい)していて、呼吸するのも苦しそうだった。それでも僕たちの顔を見ると「こういう状態だとバカ話ができないんです。だから、いま一番したいのはどうでもいいようなバカ話をすることなんです」と言ってくれた。


 それではというので、平川君と出たばかりの彼の最初の小説集『東京四次元紀行』についての感想を話し始めた。


 すると小田嶋さんは横たわったまま言語と文学について熱く語り始めた。彼の「バカ話」というのは、この不要不急の議論のことだったのかと腑(ふ)に落ちた。不思議なもので、臥床(がしょう)している時は、息をするのさえ苦しそうだった小田嶋さんが橋本治さんの「半ズボン主義」の文学史的意義を語り出したころには、それまでもつれ気味だった滑舌がよくなっていた。つい興に乗って、奥さまを交えて小田嶋さんを囲んで4人で1時間半もおしゃべりしてしまった。



 別れ際に「じゃあ、また。元気でね」と言った。そう口にしてから、場違いな挨拶をしたものだと思ったけれども、いまさら取り消せない。でも、小田嶋さんはにっこり笑って、温かく柔らかい手で私の手を握り返してくれた。笑顔と温かい握手が小田嶋さんからの最後の贈り物になった。


内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

※AERA 2022年7月11日号



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