ウクライナ侵攻直後から現地を巡った50日 テレビでは映らない人々の生活を撮った写真家・児玉浩宜

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2022年07月06日 17:00  AERA dot.

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写真撮影:児玉浩宜
撮影:児玉浩宜
 児玉さんはロシア軍のウクライナ侵攻直後から5月下旬にかけて2回現地を訪れ、そこで目にした光景をカメラに納めた。目を引くのはテレビや新聞ではほとんど報道されることのない市井の人々の姿だ。


【児玉浩宜さんの作品はこちら】
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 児玉さんはウクライナで何を感じたのか?


「テレビで見るウクライナって、地図が映し出されて、どこで戦闘があって、アメリカがどのくらいの数の兵器を供与したかとか解説されるじゃないですか。でも、現地を訪れると、ただ悲しい現実があった。どこの国がどんな思惑を抱いているとか、まったく関係なくなっていた。目の前には避難所で生活している人や、薬が足りなくて困っている人がいた。そこにすごくギャップを感じました」


 一方、そこで写した写真については、「何を撮りたいとか、確信めいたものがあってウクライナに行ったわけじゃないんです。現地に行って、考えながら写したという感じです」と、率直に胸の内を語った。



■わかったような気持ちにはなりたくない


 児玉さんは、4月に一時帰国した際、写真展「ウクライナの肖像」を東京・渋谷で開催した。ロシア軍の攻撃で破壊された街の写真。しかし、展示写真の多くは現地で出会った人々のポートレートやスナップショット。戦時下とは思えない、穏やかな写真ばかりだ。


 釣りざおを手に早春の川辺にたたずむ青年、ヘルメット姿でBMX(モトクロス競技用の自転車)にまたがる男性、レストランでくつろぐカップル。バスに乗ろうとする若者を見送る家族……。


 そこに写った人々の言葉も添えられている。


<国外へは逃げない。逃げる必要はありますか。ウクライナは家ですよ>


<家族といること、食べ物、水、新鮮な空気。ふだんは考えもしないことがとても大切に思えてきたんだ>


<将来の夢はある。いまは早く戦争が終わってみんなが平和に暮らせるようになってほしいんだ。そのあとで自分の夢をかなえたい>


 ウクライナでポートレートを写した理由を児玉さんは、こう説明する。


「きちんと人と向き合って写真を撮り、伝える。それにはポートレートがいいと思いました。撮影の前に必ず話を聞いて、あまり自分の感情を出さずに、淡々と写した。失礼を承知で言えば、『タイポロジー』というカタログ的なポートレートになってしまうんですけれど、そこに何か、小さなズレみたいなものが写るんじゃないかな、と」


 確かに、そこに写る人々の姿と、言葉の間にはズレというより、落差を感じる。いま、ウクライナでは総動員令が敷かれ、18〜60歳の男性は出国が原則禁じられている。彼らもいずれ戦闘地域に赴くことになるかもしれない。




 写真展開催中、児玉さんは来場者から矢継ぎ早に質問され、戸惑った。


「例えば、『ロシアの人たちはどう思っているんですか?』と、聞かれた。この戦争について、疑問に思ったことをウクライナを訪れた人に聞いてみたいという気持ちは分かります。でも、ぼくは自分が見たこと、聞いたことしか話せない」


 さらに、ウクライナの人々の気持ちを代弁したり、声を伝えたりすることにもためらいがあるという。


「いくら現地に行っても、分からないことはたくさんある。ぼくは外国人なのでウクライナの人への理解には限りがある。だから、何かわかったような気持ちにはなりたくない。ウクライナの人々に寄り添いたいとか、聞き心地のいい言葉も口にしたくない」



■戦争を自分はどう感じるか?


 児玉さんが日本をたったのはロシア軍の侵攻直後の3月1日だった。


「なぜ、ウクライナに行ったのか、よく聞かれました。もちろん、現地の様子を伝えたいという気持ちがあった。でも、ニュース写真が撮りたくて行ったかというと、多分そうじゃない。なんて言えばいいんですかね。『戦争』という言葉は漠然としすぎていて、実際、それはどういうものなのか? そこに行ったら、自分はどう思うのか? どう感じるのか? それを知りたかったという気持ちもあったと思います。すごく自分勝手ではあるんですけれど」


 撮影した写真についても、時間をかけて咀嚼(そしゃく)するように見て、自分がどう思うか、知りたい気持ちがあるという。


「だから、かたちに残る写真にしたかった、というのはあるかもしれない。ニュース写真のように速報性が重視される写真ほど消費され、忘れられるのも早いかな、と思いますから。それに、大手メディアと同じことやっても意味がない。なるべくそこから遠いこと、誰も目を向けてないところが見たかったし、気になった」


 とはいっても、何か確信めいたものがあったわけではなかった。


「現地に行っても何がしたいのか、ぼんやりしていた。最初はボランティアセンターや病院を取材して、こんな感じかな、あんな感じかなと、いろいろ試行錯誤したんですけれど、もう途中でもう諦めたというか……。でも、ありがたいことに、ほんとうにいろんな人が助けてくれた。それに身を任せて撮影した、という感じです」




■毎日のように通報され、尋問された


 児玉さんは「もうほんと、日記のような感じで、気になったものや、心に残った人を感覚的に、淡々と撮っていった」と、吐露する。


 一方、なぜ、戦時下の街を東洋人がうろうろして、写真を撮っているのか、児玉さんの行動は周囲から怪しまれた。


「まったく被害を受けていない田舎の街でも緊張感はすごくて、カメラを持って街を歩いていると、とても警戒されました。毎日のように通報されて、尋問された。うんざりしましたけれど、日々、不審な行動をしていた自分が悪いので、仕方ない」


 4月4日にいったん帰国。急きょ、写真展を開催すると、5月4日、再びウクライナに旅立った。


「この間、あまり人に会わないようにしていました。正直、いろいろ聞かれるのが面倒くさかったんです。1回行っただけでは何もわからない、という思いがあった。現地の状況を説明することに気持ちが乗らないっていうか」


 そんなモヤモヤした気持ちが再びウクライナに向かう原動力となったのかもしれない。


「やはり、ちょっと見ただけで何かを表現できるとは思えないし、もう少し時間をかけて現地で考えたいと思いました。あと、東京の緊張感のなさに逆にストレスを覚えて、それから逃げるように行ったという感じもあります」



 再びウクライナを訪れると、風景が一変していた。


「3月に行ったときは毎日のように雪がたくさん降ったんですが、5月に訪れるともう春で、草花がすごく力強く咲いていた。タンポポ、ナノハナ、チューリップとか。そういう花ががれきのなかにも咲いていて。人間の行為とは関係なく、植物には植物の時間が流れている、そんな感じがとても印象に残りました。風景もたくさん撮りました」


■ミサイルよりも怖かった地雷


 2回目の取材では、ロシア軍から解放されたウクライナ北部の都市ハルキウや、郊外の村にも足を運んだ。


「列車でハルキウの駅に着いたら、ホームに降りたのは兵士と地元のジャーナリスト、自分だけみたいな感じで、ずっと砲撃の音が聞こえていた。ここで何か撮れるものはあるのかなって、ぼうぜんと立ち尽くす思いでした」




 泊まっていたホテルの近くにも攻撃が及んだ。砲撃音も相変わらず鳴り響いている。ただ、「そういうのには慣れてはくるというか、神経がまひしてくる」。


 しかし、何度体験しても恐ろしかったのはロシア軍が撤退する際、追撃を阻むために埋めた地雷だ。


「必ず、先を行く兵士の後ろをついていくように言われても、その兵士をどこまで信用していいのか、わからない。まったく人が入っていないところもありました」


 地面に足を踏み出した瞬間、自分は吹き飛んでいるかもしれない。そんな恐怖に苛まれ、足がすくんでしまう。


「実は、東京に帰ってきてからも、地雷のことを思い出して、アスファルト以外のところを歩くのはちょっと嫌でした」



■一度関わった以上ずっと撮っていきたい


 当然のことながら、ウクライナに滞在中はできるかぎり安全に気をくばった。


「けがをするような事態に巻き込まれなようにするだけでなく、メンタル面にも気をつかいました。なるべく何もしない日をつくったり、近場の取材しかしない日を設けたり。現地ではもうほんとうに自分しか頼れないですから」


 現地で知り合った人たちと釣りに行ったり、DJパーティーに出かけたこともある。


「そういうことに気持ちが救われた部分もあります。それに、自分がそういう場所に行って感じたことをしっかりと写真でかたちに残しておきたいと、すごく思いました。でないと、記憶は薄れていってしまいますから」


 今後、ウクライナを訪れる予定は?


「できれば年内にまたウクライナに行きたい。一度関わってしまった以上、何らかのかたちでずっと撮っていきたいと思います」


(アサヒカメラ・米倉昭仁)


【MEMO】児玉浩宜トークイベント
「戦時下のウクライナを巡った50日」
旅の本屋のまど(東京・西荻窪) 7月14日19:00開場19:30開始
入場料1000円(オンライン配信あり)
新刊『ウクライナ日記』も販売


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