◆ 猛牛ストーリー 【第27回:椋木蓮】
連覇と、昨年果たせなかった日本一を目指す今季のオリックス。監督・コーチ、選手、スタッフらの思いを「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。
第27回は、7日の西武戦でプロ初登板のドラフト1位ルーキー・椋木蓮投手(22)です。キャンプでは脇腹を痛めて出遅れましたが、二軍戦で安定した投球を続け、一軍デビューのチャンスが巡ってきました。
◆ 「ようやくスタートラインに立てたんだな、と」
「緊張している姿を見ても楽しくないと思うので、堂々としている姿を見せたい」
6日、京セラD大阪での練習後の代表インタビューにて、椋木は胸を張ってプロ初登板への意気込みを語った。
二軍戦で尻上がりに状態を整えてきた自信に裏打ちされたコメントに聞こえた。
8試合に先発して4勝3敗、防御率3.59。キャンプで左脇腹を痛めて大きく出遅れ、初登板は5月3日の巨人戦(ジャイアンツ)までずれ込んだ。
この試合は勝ち投手になったが、3回・47球で降板。2戦目も4回・65球で降板となり、3戦目からは3連敗と、即戦力右腕として期待に応えることはできなかった。
しかし、5月15日の広島戦(杉本商事BS)で2勝目を挙げると、6月22日のDeNA戦(横須賀)、同29日の中日戦(杉本商事BS)でも好投して3連勝。
焦る気持ちはあったというが、「オープン戦も出場できず、すぐに結果が出ることはないと自分の中で整理をして、ゆっくりやって行こうと切り替えたら、結果が出るようになった」という。
中日戦では6回を5安打・1四球、6奪三振で無失点と安定した投球内容。とくに高めのストレートで空振りを取るなど、球威があった。
「指に掛からないストレートが外角にいってもカットされます。悪い時は高めのボールに手を出してもらえず、内に入ったのを打たれていた。中日戦では、高めの球にスピンが効いて振ってくれていました」
そして、試合後に小林宏監督から告げられたのが「一軍昇格」だった。
「ほっとした気持ち。ようやくスタートラインに立てたんだな、と」と、椋木はその時の気持ちを振り返る。
◆ 「恩師であり、恩人」
「マッチ棒のように細く、そんなに野球がうまかったわけでない選手がドラフト1位でプロ入りし、一軍のマウンドに立つ日が来るとは」。
大阪から西に約450キロ。山口県防府市で感慨深げに語ったのは、椋木の母校・高川学園高校の元野球部監督・藤村竜二さん(52)だ。
もともと内野手だった椋木を投手に転向させたのも、東北福祉大出身の藤村さん。1学年上に山野太一(現・ヤクルト)がいたが、打撃投手で登板する椋木の制球力の良さに目を付け、1年の秋季大会以後に転向させた。出番はなかったが、翌年の甲子園ではベンチ入りするまでに成長した。
「走っても遅いし、打っても飛ばない。でも制球は良かったので試合を作れる投手がほしかった。本人がコツコツと積み上げ、ご両親も子供を信じてサポートして下さった。彼のような選手が、ドラフト1位でプロ野球選手になるということは、後輩たちのいいお手本になります」と藤村さん。
椋木は「中学でも試合に出ることがなく、投手転向で自分が変われるのなら、と迷いはありませんでした。藤村先生がいらっしゃらなければ、今の自分はありません。恩師であり、恩人です」と感謝する。
「1試合で終わることなく、最後まで一軍に残り、チャンスがあれば先発ローテに残れる投手になりたい」と椋木。
デビュー戦には藤村さんと、中学・高校で同級生だった娘さん、両親の新吾さん(50)と順子さん(49)のほか、高校・大学時代の友人らも応援に駆け付ける。
プロ入りの際、「フルスイングをして来る打者と真っ向勝負をしてみたい」と挙げたのが西武・森友哉。
「長打力のある選手が多い。打線もつながるので走者を出してからが勝負だが、走者を出さない投球もしたい」と対戦を心待ちにしている。
七夕の7日、京セラD大阪では「七夕ナイト〜オリに願いを〜」のイベントが開催される。
昨秋のドラフト直前に亡くなり、プロ野球選手になったことを知らせることができなかった母方の祖母・勝子さんの形見の指輪をつけたネックレスは、守り神として寮の自室に飾る。
それぞれの思いを背負い、椋木も「初勝利」という願いを叶える。
取材・文=北野正樹(きたの・まさき)