「ちむどんどん」で登場 昭和のギャグ「よっこいしょういち」の謎

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2022年07月07日 11:00  AERA dot.

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写真舞台の一つ、横浜市の鶴見ではあちこちでポスターに出会う
舞台の一つ、横浜市の鶴見ではあちこちでポスターに出会う
 沖縄が本土に復帰した1972年、グアム島で残留日本兵の横井庄一さんが発見された。復帰50年を記念したNHK朝ドラ「ちむどんどん」では6月、74年の設定で「よっこいしょういち」のセリフが登場した。『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』の著者でコラムニストの矢部万紀子さんが、この言葉から抱いた「?」を探っていく。


【写真】「野坂昭如の清談俗語」のゲストに招かれた横井庄一さん夫妻はこちら
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 突然だが、「よっこいしょういち」をめぐる冒険に出ることにした。って何?という話の前に、自己紹介。朝ドラが大好きです。根がまじめです。


 冒険の始まりは、朝ドラ「ちむどんどん」。沖縄生まれのヒロインが1972年に高校を卒業、上京する。復帰50年に合わせて作られ、6月最終週時点で時は78年、彼女は銀座のイタリアンレストランで修業中だ。


 話は少し戻って、彼女がおでん屋台を立て直した6月6日からの週。74年のお話で、屋台のおかみの口癖が「よっこいしょういち」だった。聞いてモヤモヤした。11日のダイジェスト版ではこんなナレーションが。


<あ、そうそう、横井庄一さん、沖縄復帰の年にグアムから復帰されたんですよねー。恥ずかしながら帰って参りました。流行語でしたー>


 61年生まれの私ゆえ、横井さんの帰国や「恥ずかしながら」の流行は覚えている。が、当時の記憶に「よっこいしょういち」はない。私が知らないだけかもしれないが、沖縄復帰50年の朝ドラなのだ。屋台のおかみも空襲で夫を失い、息子と2人焼け出された設定にしている。なのにその人に、横井さん帰国からたった2年で、「よっこいしょういち」と言わせるとは。


 この朝ドラ、ツッコミどころ満載で、SNS上には「ちむどんどん反省会」なるハッシュタグも。そこには距離を置いてきたが、これは別。大切なものを蔑ろにしているのではと、小さく義憤にかられさえし……。


「よっこいしょういち」はいつ、どこから来たのか。はい、冒険スタート。




 まずは報道をたどる。帰国当日(72年2月2日)の朝日新聞夕刊。記者会見での言葉は、「私、横井庄一ははずかしながら生きながらえて帰ってきました」。「天皇陛下さまからいただいた小銃はちゃんと持って帰ってまいりました」という言葉もあり、その方向で「帰って参りました」が定着したと想像する。


「週刊朝日」をさかのぼる。72年5月5日号表紙が山藤章二画伯の横井さんのイラストだった。「横井庄一、はずかしながらふとって参りました」の文字と、黒眼鏡を外して泣く画伯の自画像も。


 以後、横井さんの週刊誌報道は「恥ずかしながら」だらけ。結婚(72年11月)、参院選立候補(74年=落選)と、それと相性のいい出来事も多かった。97年の死、さらに今年5月の妻・美保子さんの死までたどったが、「よっこいしょういち」は見つからなかった。


 流行に詳しい山田美保子さん(コラムニスト、放送作家)に話を聞いた。57年生まれで母方の祖母が戦争で夫と息子2人を亡くしていることもあり、横井さんの帰国時は胸が締め付けられたという。結婚相手が同じ「美保子さん」だったことがミーハー心にうれしく、旧姓の「幡新さん」を今も覚えている。


 そんな山田さんにとって「よっこいしょういち」は気づけばあった昭和のギャグで、最近(といっても10年近く前)では女優の杏さんがトーク番組で「使ってしまう」と紹介したのが印象深い。「歴女で読書家の杏さんだから知っている古いギャグで、年齢とのギャップも絶妙。さすが杏さんだと思いました」


 そうか、流行語でなくギャグか。その視点で探したら、あった。2000年に発行された『オヤヤンテスト』。オヤジかヤングか判定する本。登場する「部長・親島耕作」がボウリング場で言っていた。「まず俺からいくよ。よっこいしょういち」


 構成と文を手がけた放送作家の笹川勇さんは68年生まれ。実家は長野県の白菜農家で、小学生の頃から収穫の手伝いをした。そこで大人たちが言っていたのが「よっこいしょういち」。段ボールを持ち上げる時、お茶休憩から立ち上がる時。だから、体を使う職業で「よっこいしょういち」は広まったと推測する。



「よっこいしょと言いたい瞬間を笑いに変え、疲労感を下げ、場を和ませる。誰かが最初に言い出したのではなく、各地のダジャレ好きが思いついて各々使ったのだと思います」。72年に発生、根付き始めが74年頃。それが笹川さんの見立てだ。


 私が「よっこいしょういち」を初めて聞いたのは、18年9月、星屑スキャットのライブ。ミッツ・マングローブさんがさらりと使っていた。遅すぎ「よっこいしょういちデビュー」(?)も義憤の一因かもと思いつつ、ミッツさんに話を聞いた。


 その日の言葉のことは覚えてなく、「メンバーの中でバカバカしいことが流行(はや)っていたのではないでしょうか」。自身は75年生まれだが、74年に「よっこいしょういち」はすでに使われていたと思うという。


「72年に横井さんという存在が、旬な社会現象になったわけです。社会現象が起きればジョークも生まれるのは必然。それをみんなが使い続けても不思議ではないと思います」


 社会現象は常にポジティブで平和なものとは限らない。事故、病気、事件、戦争もある。「それでもキャッチーな言葉は、物事の本質と違うところで伝播していきます。それに、その時々の旬な人の名前の前に『こんばんは』とつけて言いたくなるのが男なんです」


 5月、沖縄県の玉城デニー知事が会議の前に「ゼレンスキーです」と発言、撤回した。「わからないけど、同じ現象ではないでしょうか」とミッツさん。玉城知事は「他意もなく、不用意に発言した」と釈明していた。


 確かにオヤジギャグとは他意なく、不用意なものなのだろう。74年のよっこいしょういちに憤る私は、ミッツさんの「オヤジギャグをオヤジギャグだと論(あげつら)うのはほとんど女なんです」という分析そのものだ。最後に、冒険の道中で見つけた小さな情報を。16年、妻の美保子さんが「婦人公論」で「横井さんと平和」を語った。そこで触れたのが野菜作り。


<私は豆類が好きで、横井はよく、「うちには鳩がいるので、豆を作らなきゃ」なんて言っていましたよ。(笑)>


 温かでユーモラスな横井さんにたどり着いた。冒険もこれで終えよう。

※週刊朝日  2022年7月15日号


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  • 「よっこいしょういち」と言いながら、しんどそうに立ち上がる野田君を見て一言! 「お! 野田、疲労?」
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