大島高校野球部に欠かせない3人の島外出身選手。なぜ彼らは奄美大島へとやって来たのか?

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2022年07月07日 11:11  webスポルティーバ

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【短期連載】離島から甲子園出場を叶えた大島高校のキセキ 第4回

連載第1回:「大島高校に起きた異変」はこちら>>
連載第2回:「絶対的エースへの不満」はこちら>>
連載第3回:「失意の大島高校外野陣」はこちら>>





野球留学生は皆無

 奄美大島から九州大会準優勝と結果を残して甲子園出場を果たし、「離島の奇跡」と言われた大島高校。島内で生まれ育った選手中心に構成されているが、なかには島外から「大高(だいこう)に行きたい」と寮生活を送る選手もいる。3年生18選手(女子マネージャー3名を除く)のうち、3選手は島外出身者である。

 センバツには9番・ライトで出場し、控え投手も務める直江朝日は徳之島の伊仙町出身。徳之島は奄美大島の南西にあり、奄美群島内では大島に次ぐ面積の島である。

 直江は同期生わずか3人という伊仙中野球部でプレー。大会には伊仙町内の中学校と連合チームで出場していた。

「親と姉が大高出身なので、もともと大高に行きたかったんです」

 直江はそう語るが、野球に関する情報はまったくなかった。奄美大島の有名人である大野稼頭央、西田心太朗のバッテリーの存在すら知らず、入学後も「うまいヤツがいるな」と呑気に感じていた。

 人見知りの性格のため溶け込むのに時間はかかったが、1年夏の遠征で時間をともにするようになり、大野らと仲良くなった。

「奄美はいい人ばかりなので、自分には合ってる気がします。大学を出たら、将来は奄美で働きたいです。仕事は何でもいいので」

 控え一塁手の嶺塁守(みね・るいす)は喜界島の出身。喜界島は奄美大島の東に位置し、人口7000人に満たない島である。喜界高校OBには高橋英樹(元広島)というプロ野球選手もいた。

 嶺は「寮生活して自立したほうがいい」という親の勧めを受け、喜界高校には進まず大島高校に進んだ。

「喜界島と比べると奄美は都会です。人も店も車も多いし、便利で。喜界島は人が少ないから、すぐ顔見知りと会いますけど、奄美は観光客も多いし知らない人も多いですね」

 身長180センチ、体重92キロの立派な体躯を誇る嶺だが、もともと野球への自信はなく「高校で野球を続けるつもりはなかった」という。当初はラグビー部の体験練習に顔を出した。

 だが、その様子を見たクラスメイトの大野から声をかけられた。

「野球部に来いよ!」




 同じグラウンドで練習する野球部を見て「格好いいな」と感じていた嶺は、導かれるように野球部に入部する。走ることが苦手で練習についていくだけでやっとだったが、「寮の先輩が仲良くしてくれたので続けられました」と笑う。

 技術的にはチームの戦力になるのは難しいレベルにある。それでも実戦練習で三塁コーチを務め、献身的にチームを声でもり立てる嶺は強烈な存在感を放っている。レギュラーセンターの中優斗は「塁守は愛されキャラなんです」と教えてくれた。

 今春のセンバツでは、嶺は18人のベンチ入りメンバーから漏れている。それでもシートノックの補助で甲子園の土を踏み、試合中は一塁側アルプススタンドで仲間たちを応援した。

「自分より打てる人、うまい人はいっぱいいます。でも、声かけやランナーコーチは自分が一番誰にも負けないところだと思います。そこだけは頑張って、チームのためになることを考えています」

島外出身者の大きな役割

 まさか自分が甲子園に行けるなんて──。そんな思いを抱いているのは、控え内野手の粟飯原雄斗(あいはら・ゆうと)も同じだ。粟飯原は兵庫県尼崎市の中学から大島へと進んでいる。野球の本場からやってきた「野球留学生」というわけではなく、粟飯原も嶺と同様に高校で野球を続けるつもりはなかった。

 母方の祖父母が奄美大島に住んでいることから、粟飯原は夏休みがくるたびに奄美大島へ遊びに出かけた。粟飯原は何のてらいもなく、「もともと島が大好きだったんです」と語った。

「海があって、山があって、ハブや黒うさぎのような珍しい生き物がいて。都会では体感できないことがいっぱいあって、毎年1カ月は島にいました。島の雰囲気に憧れを抱いて、『島で生活したい』と思うようになったんです」

 中学3年の夏、親が鹿児島大会準々決勝、大島対神村学園戦のインターネット中継を見せてくれた。大島は9回裏に大逆転を許し3対4で敗れたが、粟飯原は「島のチームでもこんな熱い野球ができるんだ」と野球部に入りたいと思うようになった。

 もともと島に好意を抱いていたこともあり、学校生活も寮生活もすぐに溶け込んだ。粟飯原は「関西の子はガツガツくるけど、島の子は気が優しくて、目配り気配りをしてくれる」と同級生の気質の違いについて語った。

 そんな粟飯原も今では関西弁は影を潜め、島の方言を使いこなしている。「関西の雰囲気がしないですね」と感想を伝えると、粟飯原は「よく言われます」と笑った。心からうれしそうな表情だった。

「よそ者ということで嫌な思いをしたことは1回もありません。野球部の練習でキツいことはいっぱい経験しましたけど、好きな島で野球ができて最高な体験ができました。高校で野球から離れようと考えているんですけど、島でやりたいことはまだまだたくさんあります。釣りとか海遊びとか、宇検村のばあちゃんの家でゆっくりするとか。自分で言うのもなんですけど、じいちゃん、ばあちゃんも(自分のこと)相当好きですから」

 島で生まれ育った者同士の学校生活は濃密な人間関係をつくりやすい反面、コミュニティが限定され閉鎖的になりやすい弊害もある。島外生はそんな関係に刺激を与える存在になる。

 2019年度主将の赤崎太優(現・日本福祉大)と2020年度主将の藤本涼也(現・専修大)は、ともに鹿児島県鹿屋市出身だった。塗木哲哉監督は島外生効果について、このように語る。

「赤崎も藤本も野球に対して厳しい目線を持っていました。『こんなんじゃ鹿児島じゃ通用しない』と厳しい言葉を平気で言ってくれて。島の子同士だとなあなあになりがちなところで、彼らが厳しさを植えつけてくれました」

 人口が減少している離島の高校では、単独チームを組むことが困難になりつつある。2002年夏には91チームが参加した鹿児島大会も、今夏は64チーム(連合チームを含む)まで減少した。過疎化が進む地域では同様の現象が起きている。

 そんな背景があるなか、大島高校は離島の選手たち、離島にやってきた選手たちでも甲子園の土を踏める可能性を示した。その意味は限りなく大きいはずだ。

(つづく)

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