夏休みの日記、特別なイベントを楽しく書くだけがすべて? 本当にいい日記とは

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2022年08月09日 07:00  AERA dot.

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写真友だちとケンカした娘。その嫌な気持ちも日記に書いてごらん、と言ってみました。楽しいイベントを記録するだけが日記ではないと思うからです(画像/筆者提供)
友だちとケンカした娘。その嫌な気持ちも日記に書いてごらん、と言ってみました。楽しいイベントを記録するだけが日記ではないと思うからです(画像/筆者提供)
「日本人は日記が好きだねえ」


 学生時代、インターン生としてウクライナに滞在していたときのことです。初めての国、初めてのインターンシップは見るもの聞くものすべてが新鮮で、私はほぼ毎日コツコツと日記をつけていました。


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「10月16日8時起床、ルームメイトの中でまた一番に目が覚めた」「9時バス停へ。今日はバスの運転手さんに言葉が通じるだろうか」などと時刻ごとに出来事を記録する徹底ぶり。毎日部屋にこもって机に向かう日本人を見て、ウクライナの学生が放ったのが冒頭のひと言でした。彼らは世界各国からインターン生を受け入れていたのですが、この前来た日本人も日記をつけていた、外国に来てまでそんなことを熱心にするのは日本人だけだというのです。


 たまたま彼の会った日本人がふたり連続で日記をつけていただけ、かつ彼の会ったその他外国人が日記をつけていなかっただけのことかもしれません。しかし仮に日本人が日記好きだとするなら、いや、好きというより新しい環境に置かれたときに日記をつけずにはいられない習性があるのだとしたら、それは園児や小学生の頃から夏休みの宿題として課される絵日記が理由ではないかと思います。


 わがやの小学一年生も、今夏まっさらな絵日記帳を学校から持ち帰ってきました。へえ、現代の小学生もやっぱり夏休みの宿題といえば絵日記なんだと感慨深く中をのぞいてみたら、なんとも親切なことに絵日記のルールまで指南されています。いわく、日記は以下の3段落に分けて記述せよとのこと。


1、出来事(誰とどこへ行ったかなど)


2、出来事の説明(そこで何をしたかなど)


3、どう思ったか


 さらに、「おともだちのえにっき」として書き方の例が提示されていました。「きょう、わたしはうみにいきました。はまべで、すなのおしろをつくりました。とてもたのしかったです。」とか「ぼくはきょう、かぞくとおまつりへいきました。はなびをみました。とてもきれいでした。」といった例が六つも載っています。


 でも、それらの例を見て私は首をかしげてしまいました。まず、「きょう、わたしは」「ぼくはきょう」という書き出し。日記は個人の日々の記録なんだから「きょう、わたしは」で始まるのは当然のこと。当然のことをわざわざ書く必要はないのでは。



 先人の日記を見てみると、たとえば『伊藤整日記』なんか潔いもので、《一月十八日 金曜日 判決。》と書き出しに余計なものが何ひとつありません。日によっては、《一月二二日 火曜日 原稿。》とたった二文字で日記が終わることもあります。この日はよっぽど原稿が忙しかったんだろうなあと思わせる潔さです。とにかく、必要のない情報はバッサリ削ぎ落とさないと文章は冗長になってしまいます。宿題の日記が面白く感じられないとしたら、形式的で不必要な表現が多すぎるからではないでしょうか。小学生の絵日記はただでさえ字数制限が厳しいのですから。たとえばうちの子の絵日記帳は、1日たったの63文字しか書けません。


 次なる疑問は、「どう思ったか」で結ぶように指導されていること。『土佐日記』を例に挙げるまでもなく、生活の記録(と冗談)が目的で書き手の情緒がそこまで記されていない日記は多いし、いしいしんじの『京都ごはん日記』、高山なおみの『日々ごはん』のように感情よりも「食」の記録に重きを置いた日記も多い。日記に書き手が毎日何をどう思ったかを記す必要はないのではないでしょうか。第一、たった63文字以内で出来事も感想も書けというなら、その感想は「とてもたのしかったです。」くらいの薄っぺらなものにしかなりません。


 最後の疑問は、例に挙げられている出来事が「うみ」だの「おまつり」だの、非日常的過ぎること。それを「たのしかった」「きれいだった」とポジティブにまとめていることです。日記は、なんでもない普通の一日について「とくになにもなかった」とローテーションで綴ってもいいのでは。というか、なんでもない一日について記すことこそが日記の醍醐味だと思うのです。プロの作品から一個人のブログまで、何より面白いのはよそゆきの紀行文などでなく日々の雑記です。イギリス官僚サミュエル・ピープスの日記も、歴史的価値がある記録よりも暗号でこっそり記した自分の浮気話のほうが読み応えがあったり。


 じゃあ結局日記はどう書けばいいのかというと、その定義は難しいものです。日記といっても手記やルポルタージュ、随筆などジャンルの区分けが難しいし、ヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』、小川洋子の『妊娠カレンダー』のような日記の体裁をとったフィクションもある。宮田珠己の『スットコランド日記』のように、著者の夢の話が巧みに挟まれ事実と虚構がないまぜになるような日記もあります。



 著者は武田百合子だけれども夫の泰淳と娘の花の記述も時々登場して家族の合作のようになっている『富士日記』、他者との会話が多く記されてまるで演劇の台本を読んでいるかのような『樋口一葉日記』、歌を詠んでいるかのような『和泉式部日記』と、作品によって書き手の視点も作風も題材もさまざまです。日付があることはひとつの基準でしょうが、なくても日記的なものもあると「日記屋 月日」店主の内沼晋太郎氏もインタビューで述べていました。結局のところ日記の形態は多種多様すぎて、定義はあってないようなものなのでしょう。


 私がさまざまな日記を読んでたどりついたひとつの個人的な答えは、日記とは記した情報そのものではなく行間を浮かび上がらせる作品だというものです。なんでもない文体でなんでもない日々を淡々と綴っているからこそ、筆致の熱っぽさ、繊細さ、文章量などの変化がわかりやすく、文章には直接表れない書き手の姿がリアルに感じられる。それが日記というものではないかと。


 きっと夏休みの絵日記は、子どもの姿を映す鏡のようなものなのでしょう。夏休み初日から毎日欠かさず記録をつける勤勉さ、あるいは終盤にまとめる容量のよさ、選ぶ題材や使う語彙も、書いた子の性格を饒舌に語るのでしょう。1日の字数が63文字では少なすぎると思いましたが、担任の先生が生徒の休みの過ごしぶりを知るには十分すぎるくらいなのかもしれません。


〇大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi


※AERAオンライン限定記事


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