羽生直剛が語るオシム。「僕はあの人にすべてを教えてもらった。偉大な人の伝道師になれたら…」

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2022年08月12日 10:51  webスポルティーバ

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日本代表「私のベストゲーム」(12)
羽生直剛編(後編)

 羽生直剛というサッカー選手はもともと、「自分のことを低く見積もって、だからやらなきゃいけないんだって思ってやるタイプ」だった。

 日本代表で中村俊輔や遠藤保仁らと一緒にプレーした時も、「彼らと張り合うとかじゃなくて、『おまえは全然足りてねぇよ』って自分に言い聞かせながらやっていた」という。

「こういうことを人に話すと、『羽生さん、そんなに自分にプレッシャーかけて、すごく息苦しいね』って言われたりするんですけど(苦笑)、自分はそのやり方でしかやってこなかったし、だからプロになれて、(イビチャ・)オシムさんに会って、代表にもなれて、っていうことがついてきた。そこから逃げ出した時に、もう成長はなくなるのかな、っていう感覚でした。その感覚は、(現役を離れた)今でもありますけどね」

 サッカー選手として、人間として、オシム監督から計り知れないほどの影響を受けた羽生は、師の言葉のなかで特に印象に残っているものがある。それはすなわち、自分とオシム監督は考え方が似ているのではないか、と思わせてくれたものだ。

 ジェフユナイテッド千葉時代の2005年、ナビスコカップで優勝した時のことである。オシム監督は喜びに沸くチームを一喝するように、こんな言葉を選手にかけた。

 もらった花は全部枯れたよ――。

「僕も(もともと)そういう感覚なんですよね。過去がどうだったとかじゃなくて、大事なのはこれからだっていう気持ちではいるので。

 オシムさんと出会って、その哲学みたいなものに触れた時、そんな(オシム監督と同等の)レベルじゃないにしても、似た考え方を持てているのかもしれないって、ちょっと思ったりはしていました」

 オシム監督のものの考え方を理解する羽生は、だからこそ、自身が代表に残り続けられるか否かについても、「あまり危機感はなかったかな」と振り返る。

「(自分のことより)オシムさんのチームが評価されてほしいなっていう感じでしたね。変わっているのかもしれないですけど、僕(苦笑)。とにかく、オシムさんが作りたいチームに貢献したいって思っていました」

 苦笑いを浮かべたままの羽生が続ける。

「オシムさんが作ったチームの立ち上げからワールドカップまでを1試合にたとえるなら、もし前半で交代だよって言われたとしても、チーム作りという試合の前半に僕はプロとして参加したんだって、悔いはなかったと思います。

 とにかく自分が日本代表で何かに貢献したいっていう気持ちだったし、逆に言うと、足を引っ張れないなとも思っていました。その思いをモチベーションに変えていたっていう感じです」

 それは千葉時代に、オシム監督から学んだ思考でもある。

「オシムさんは、誰が先発だからどうとか、ベンチだからどうとかっていう考えではなく、チームとはっていうところをトータルで考えている監督でした。

 僕自身、ジェフにいた時に試合の途中で『おまえ、まだ大丈夫か?』って聞かれて、『大丈夫だ』って返したのに、僕のマークが外れてやられようものなら、『おまえ、やれるって言ったのにやれてねぇだろ!』みたいな(苦笑)。『やれないって言うのもプロだから。おまえが途中で疲れたからって交代したところで、オレはおまえの評価を変えたりしない』っていうことは言われていました」

 羽生は日本代表で17試合に出場したとはいえ、そのうち先発出場は2試合のみ。ほとんどが途中出場だった。

 しかし、「オシムさんは、先発だろうが、途中交代だろうが、必要があるから、おまえをこのチームに呼んでいるんだっていう感覚だったと思います」と理解する羽生にしてみれば、さして気にする必要もないことだった。

「オシムさんには全幅の信頼を置いていたというか、僕はオシムさんのために(プレーしよう)って思っていたので。

 もしあのまま(オシム監督が率いた日本代表が)続いたとして、監督というのは最後(ワールドカップ本番で)のメンバー選びに一番悩むんだとは思いますけど、『こっちのほうがいい選手だから、羽生を外すよ』って言われたとしても、やっぱりここに関われてよかったなって思わせてくれる監督だったと思います」

 そして、羽生はしみじみと続ける。

「ホントはワールドカップでオシムさんに(監督を)やってもらえたらうれしかったですね。今になって余計に思いますけど......、必ずいいサッカーでいい成績を収めてくれたと思います」




 そんなオシム監督は今年5月1日、オーストリア・グラーツの自宅で亡くなった。

 その事実をニュースで知った羽生は、「ウソでしょ?」と思う一方で、この時がきてしまうのではないかと、気持ちのどこかで覚悟している部分があったことを明かす。

「3年ぐらい前に、オシムさんに会いにサラエボへひとりで行ったことがあったんですけど、その時の様子が、決して体調的にいいようには見えなかったので......」

 2019年、羽生がFC東京のスカウトだった時のことである。

 ベルギーのシント・トロイデンに研修で派遣された羽生は、空いた日を利用して、自費でサラエボへ飛んだ。日本代表時代にオシム監督の通訳を務めた千田善氏を通じて連絡をとり、日本語を勉強している現地の学生に通訳を頼み、オシム夫妻と夕食をともにすることができた。

 だが、目の前にいるオシム監督の姿は、どこか弱々しかった。

「だから、早くまた会いに行きたいなと思っていたなかで、コロナが広がって......。結局、その後は全然会いに行けなかったので、やっぱりコロナを恨む気持ちと、でも、どこかで覚悟していたところもあり、いや、逆に言ったらあの時に会えてよかったな、っていう気持ちも入り混じって......、ニュースを聞いた時は、複雑な心境でした」

 恩師がこの世を去った現在、羽生が改めて思うのは、「オシムさんから教わったことを、とにかく表現したい」ということだ。

「僕が日本代表に選ばれなくなったにせよ、ジェフで鍛えられた選手が長くプレーし続け、やっぱり羽生はいい選手だなって思われることが、オシムさんに教わったことの答えになっていたりするのかなと思って、現役時代はやっていました。

 やっぱり、オシムさんにいい報告したいなっていうのは常に心のどこかにあったし、そういうのはずっと、ある意味今でもあるし。

 偉大な人と出会ったんだなって改めて思うと、オシムさんのことを語っていけるような価値を自分にもつけていかなきゃいけないと思うし、(引退後の)仕事でもそうですけど、結果を残さないと、それを発信できる機会も少ないと思うんで」

 サッカーも人生も一緒だ――。師が口癖のように言っていたその言葉は、羽生が引退後の活動をするうえで、ひとつの指針ともなっているという。

「オシムさんが亡くなって、もう話は聞けませんが、サッカーも人生も本当に一緒だったよって、いつか言えるように振る舞えたらいいなと思います。そのためにも、これからはそれを確認しながら生きていきたい。

 結局、リスクを冒しなさいとか、野心を持ちなさいとかっていうのは、そうじゃないと豊かな人生じゃないんだっていうことだと思うし、これから僕自身がそれを体現していきたいですね」

 思えば3年前、最後に会った時も、オシム監督は変わらぬ姿勢と言葉で、日本からはるばるやってきた教え子と接していた。

「引退した僕にですら、『もっと上を見ろ。空は果てしないから』って。現役を引退した人間にそんなことを言う人なんて、なかなかいないと思うんですよ。

 僕はあの人にすべてを教えてもらったと本当に思っているし、僕みたいな選手が(プロで)16年もサッカーをやるなんて、あの人がいてくれなかったら成しえなかった。ネガティブな部分に目を向けるんじゃなくて、ポジティブな部分を評価していくというか、すべての人をリスペクトして成長させていくみたいな、僕自身もそういうことを少しでも真似できるようになりたい。それが今の気持ちです」

 そう語る羽生は、その思いを言葉だけでなく、すでに実行に移し始めている。

「2年前に自分の会社を立ち上げて、社員はほぼほぼアスリート。オシムさんが選手の長所を組み合わせながら作ったチームを、僕は会社で野心を持ったアスリートと一緒に作ってみたい。スポーツ選手のセカンドキャリアの問題にもつながるかもしれないですけど、そんなことを目標に今は種をまいている、っていう感じです」

"羽生社長"が一歩を踏み出す原動力となったのは、オシム監督からの言葉はもちろん、それに支えられて積み上げた自分自身の経験であることは間違いない。

「僕自身もサッカー選手として、1年目にそれなりに試合に出て、2年目でちょっと安堵している時にオシムさんに会い、そこからはとにかくオシムさんに引き上げられた。その感覚で言うと、もうこれでいいやって思っちゃダメなんだと思うし、オシムさんに教わった以上、やっぱりそれはなしだと思うし。

 僕にとってはプロサッカー選手であったことって、もうどうでもよくて、ここからの人生をどうチャレンジングにしていくのか。次の成功って何なのか。幸福度の高い働き方ってどういうことなのか。そういうところに向かうべきだと思っています。

 サッカー選手だったことは終わって、じゃあ、次、どうしたらオシムさんが納得してくれるぐらいのチャレンジになるのか、っていうことにフォーカスしているっていう感じです」

 もっと上を見ろ――。

 羽生は今もなお、亡き師からの言葉に突き動かされ続けていると同時に、自身が得た学びを次につないでいきたいとも考えている。

「もっと上を見なければいけないって言われて、僕は会社を立ち上げた。そこで何かを表現できれば、オシムさんのことを語り継ぐ機会もきっと増えると思います。

 偉大な人の伝道師みたいになれたらな。そんな思いはありますね」

(おわり)

羽生直剛(はにゅう・なおたけ)
1979年12月22日生まれ。千葉県出身。八千代高から筑波大に進学。同大学を卒業後、2002年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)入り。1年目から主力選手として活躍。プロ2年目には"人生の恩師"であるイビチャ・オシム監督と出会って、2006年には日本代表入りを果たす。2008年、FC東京に移籍。その後、ヴァンフォーレ甲府、FC東京でのプレーを経て、2017年シーズンには古巣の千葉へ完全移籍。同シーズンを最後に現役から退いた。2018年からFC東京のスカウトを務め、2020年には自らが代表取締役を務める(株)Ambition22を設立。スポーツ事業におけるマネジメント、支援、教育サポートを行なう事業を展開し、日々奔走している。

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