かつて夏の甲子園では「現役高校生」がチームを指揮していた 監督にまつわる“3つの珍事”

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2022年08月15日 18:00  AERA dot.

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写真今年も多くのドラマが生まれている夏の甲子園
今年も多くのドラマが生まれている夏の甲子園
 連日熱戦が繰り広げられている夏の甲子園。今回は監督をめぐる3つの珍エピソードを紹介する。


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 長い歴史を誇る甲子園大会でも、おそらく史上最年少の18歳の現役高校生監督が話題になったのが、1969年の川越工だ。


 同校の粕谷千孝監督は、当初川越高の定時制に入学したが、小学2年からやっていた野球への未練を断ちがたく、翌春、甲子園を狙える強豪・川越工に入学し直した。


 2年の夏は3番ライト。時にはリリーフとして登板し、埼玉大会準々決勝まで勝ち進んだ。


 だが、川越高の1年間を加えると、「高校在籍3年以下の者」という大会の参加資格に触れることから、新チームでは選手として試合に出場できなくなった。


 斎藤玉太郎野球部長は「打撃投手でも球拾いでもいいから、この仲間たちと野球をやりたい」と熱望する教え子のひた向きさを買い、「何とかしてベンチに入れてやりたい」一心から、監督としてチームづくりを手伝ってもらうことにした。


 斎藤部長から「みんなを統率していくコーチ的なものでいい」と役割を説明された現役高校生監督は、肩書きは監督でも、ナインたちとは同学年で、強く叱ると反感を買うという微妙な立場に苦悩しながらも、連日ノックバットを振るい、黙々と打撃投手を務めた。


 そんな陰の努力が報われ、翌年夏、川越工は埼玉大会、西関東大会を勝ち抜いて、見事甲子園初出場をはたした。


 1回戦の玉島商戦、ベンチの粕谷監督は隣の斎藤部長に相談しながらサインを出し、メガホンを手に選手たちを励ましつづけた。


 試合は残念ながら1対2の逆転負けも、18歳の監督は「全員よくやってくれた」と同級生たちの健闘をたたえ、背番号のないユニホームでナインの後ろに立って整列した。


 同年のアサヒグラフ8月29日号では、「監督は18歳の同級生」と銘打った4ページの特集記事が掲載され、同年の準優勝投手・太田幸司(三沢)とともに注目を集めた。


 さらに78年の週刊朝日甲子園大会号では、この記事に心を打たれ、ファンレターを送ってきた静岡県の野球ファンの女子高生と文通を重ね、2年後に結婚したというロマンチックな後日談も紹介されている。



 試合中に監督が熱中症でダウンするアクシデントに見舞われたのが、2007年の広陵だ。


 3回戦の聖光学院戦、試合が始まって間もなく、40度近い暑さのなか、中井哲之監督が頭痛など熱中症の症状を訴えた。


 大会本部の理学療法士が駆けつけ、氷で冷やすなどの応急治療のあと、中井監督はベンチ裏に下がって安静に努めることになった。


 選手交代以外はほとんど采配を振るうことができない“指揮官不在”の緊急事態のなか、監督に代わって選手たちが自主的にサインを出し合って試合を進めた。


 心をひとつにした広陵ナインは、2回に四球を挟む4連打で3点を先制し、3回にも4連打で3点を加えて、序盤で6対0と大きくリード。


 エース・野村祐輔(現広島)も「自分たちでやってやろうと思った」と7回途中まで3安打無失点に抑えた。


 終わってみれば8対2の快勝に、中井監督は「選手のお蔭。本当によく頑張ってくれた。監督は何もしていない」とナインの健闘に感謝するばかりだった。


 ふだんから自主性を促すため、練習試合で選手にサインを出させていたことが甲子園で生きた形だが、このチームからは野村をはじめ、捕手の小林誠司(現巨人)、内野手の土生翔平(元広島)と上本崇司(現広島)の4人がプロ入り。この顔ぶれなら、監督不在でも安心だった?


 地区予選を勝ち抜き、甲子園出場を決めた直後、監督が突然退任を表明したのが、16年の常葉菊川だ。


 07年春にセンバツ優勝、夏にベスト4、08年夏にも準優勝と甲子園で輝かしい実績を残している同校は、16年も7月27日の静岡大会決勝で袋井に12対0と大勝し、3年ぶり5度目の夏の甲子園出場を決めた。


 ところが、センバツVにもひと役買った森下知幸監督が、翌28日午前の練習中に部員たちを集め、甲子園出発前の31日付での監督退任と高橋利和副部長の新監督就任を伝えたことが波紋を広げる。


「なかなか言えずに申し訳ない。寮生活での体調面もあり、自宅のある(県)東部地区に戻りたかった。高橋監督の下、(甲子園で)暴れてきてほしい」と激励されたナインだったが、動揺は隠せず、涙を流す選手もいた。



 森下監督は8月から御殿場西の新監督就任が内定しており、ノーシードだった常葉菊川が予選で敗れた時点で退任を発表するつもりだったようだが、予想以上の健闘で甲子園出場が決まり、進退に悩んだ末、出発直前の退任発表になったとみられる。


 その後、高野連も大会期間中に指導者がライバル校に異動するのは、選手たちへの影響や教育的見地から好ましくないとして、「特別な事情がない限り、交代は認められない」と学校側に通告。同校も強く慰留した結果、森下監督は退任を撤回し、甲子園大会終了までの続投が決まった。


 同日夕方、記者会見した森下監督は「大変な思いをした選手たちにお詫びしたい。選手たちに頭を下げて、一緒に頑張ろうと思います」と甲子園での決意を述べた。


 8月12日、初戦で秀岳館に1対6で敗れたあと、森下監督は「耐えに耐え、よく戦った。これをステップとし、今後の成長に向かってほしい」の言葉を贈り、同21日付で退任した。(文・久保田龍雄)


●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。


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