羽生結弦の“原点”への想いは不変 プロスケーターとしても故郷・仙台と共に成長誓う

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2022年08月15日 18:00  AERA dot.

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写真プロスケーターとしてのキャリアを地元・仙台でスタートさせた羽生結弦
プロスケーターとしてのキャリアを地元・仙台でスタートさせた羽生結弦
「やっぱり僕、仙台すごく好きなので」


【写真】記者会見を終え、深く頭を下げる羽生結弦
 8月10日、羽生結弦がプロスケーターとしてのスタートとなるイベント“SharePractice”を行ったのは、アイスリンク仙台だった。公開練習後の囲み取材で、羽生は地元放送局に、開催場所にアイスリンク仙台を選んだ理由を問われている。自分がスケートを始め、また現在活動拠点としているリンクであることを説明した羽生は、続けて冒頭の言葉を口にしている。


 アイスリンク仙台は、仙台駅から車で30分弱の距離にある。報道用の受付を通ってリンクサイドに入るとまず目に入ったのは、羽生がその印税をすべてアイスリンク仙台に寄付したという自著の広告だ。


 羽生は、このホームリンクが閉鎖する試練を二度味わっている。一度目は羽生が小学4年生だった2004年、経営難のため閉鎖された。2007年に運営会社が変わり再開したものの、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。リンクで練習中だった高校一年生の羽生はスケート靴をはいたまま外に逃げて難を逃れたが、リンクは再び休止となってしまった。アイスショーで各地を転々としながら練習を続けた羽生は2012年にカナダのトロントに拠点を移すが、同年前述した自著の印税をアイスリンク仙台あてに振り込んでおり、寄付はその後も続いたという。


“SharePractice”の囲み取材で地元放送局にこのリンクに対する思いを問われた羽生は、「ここの後ろで思いっきり4回転トウループの練習していて、めっちゃ転びまくったり」と懐かしんでいる。このリンクで一心にジャンプの練習をする羽生少年の姿が目に浮かぶようだったが、今も羽生はこのリンクで4回転アクセルの練習をしている。


「大体自分は夜中に練習しているので、思ったように体が動かなくて、すごく悔しかったんですけど……これからまたどんどんどんどん練習していって、絶対に4A降りる姿を観ていただけるように、これからも頑張っていきたいなと。死に物狂いで頑張っていきたいなと思います」



 アイスリンク仙台で練習している子ども達へのメッセージとして、羽生はアイスリンク仙台が仙台市唯一の通年型リンクであることにふれ「本当に練習環境としては厳しいものがあると思います」と思いやった後、言葉を継いだ。


「それでも、常に上手くなるんだっていう向上心を持って。そして僕も、このリンクでいまだに上手くなれているので。だから皆さんもきっと、同じリンクで滑っているので絶対上手くなれると思う。希望を持って、理想の自分を描きながら頑張ってほしい」


 地元メディアの羽生に対する問いかけも、羽生の答えも熱を帯びていた。


「こうやって地元で練習して自分を高めていけることへの、特別な感情はあります。『これから、僕自身もここで成長したいな』って思いつつも、また自分自身も地元に貢献できるように、自分が大好きな故郷を少しでも支援していけるような活動も含めて、頑張っていきたい」


「やっぱり今こうやって仙台で滑れていて嬉しいですし、また今後の活動も含めて仙台でいろいろできたらな、なんて思っているので。これからも、仙台の皆さんと共に歩んでいけたらいいなって思います」


 大好きな故郷・仙台で始まった羽生のプロとしての道程は、幸せに満ちたものになりそうだ。(文中敬称略)


(文・沢田聡子)


●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」


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