「マンガとゴシック」第7回:日野日出志「蔵六の奇病」と虹色のデカダンス ユイスマンス『腐爛の華』から考える「腐れの美学」

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2022年08月17日 12:11  リアルサウンド

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日野日出志選集『地獄の絵草子(蔵六の奇病の巻)』(ひばり書房 1987年)

ギレルモ・デル・トロも惚れた「怪奇と叙情」

 「怪奇マンガ」というジャンルが好きならかなり早い段階で、そしてサブカル領域をそれなりに掘っている人なら遅かれ早かれ出逢うことになるのが、日野日出志の代表作「蔵六の奇病」ではなかろうか。マンガ自体読んでいなくても、ノイズバンド非常階段の「蔵六の奇病」のジャケの元ネタとして、あるいは戸川純の推しマンガ家として、うっすらご存じの人も多いかもしれない。


 日野マンガの登場人物たちの見た目は往々にして、粘土をこねあげて作ったゴーレムのように不気味な丸みや質感を帯びていたり、目玉がギョロリと飛び出していたり、鼻が巨大な肉団子のように膨らんでいたり、餓鬼のように下腹が飛び出ていたりしてグロテスク極まりない。趣味嗜好に関しても異様で、七日間の精進潔斎を経てから美女の死体を食し、ひりだした糞を「まぎれもなくお前だ」とうっとり眺めたのち肥料にして赤い花を咲かす男(「赤い花」)や、顔にできた醜い瘤を義理の娘に踏みつけてもらって、膿をドピュっと出すことに性的な興奮を得ている老人(『赤い蛇』)など、常人には理解しがたいフェティッシュを持ったキャラばかりである。異形と呼ぶべき画風と世界観は、アヴェレージなマンガ読者にとってはなかなか手の届かないエクストリームな域にあると言える。


 とはいえ日野日出志自身が「怪奇と叙情」のマンガ家を名乗っている通り、吐き気を催す「怪奇」描写の向こう側には、往々にして虐げられた者、呪われた者らの醸し出す「叙情」が漂っている。その証拠に、日野マニアの寺井広樹が編集した『日野日出志——泣ける! 怪奇漫画集』(イカロス出版)が2018年に刊行されている。「怪奇なのに泣けるって?」と疑問をお持ちの方は、日野の大ファンがハリウッドの巨匠ギレルモ・デル・トロだと言えば、一発で了解されるだろう。アカデミー賞受賞作『シェイプ・オブ・ウォーター』もグロテスクな半魚人とさえない清掃婦のラブロマンスであり、「醜」に寄せるエモすぎるまでの愛は、ほとんど日野日出志ワールドであった。とにかく、上述の寺井本の巻頭を飾る作品こそが「蔵六の奇病」なのである。


「蔵六の奇病」とは?

 三島由紀夫の熱烈な信者だった日野日出志が23歳の時、1969年から70年にかけて、丸一年かけて描かれた渾身の一作が「蔵六の奇病」であった(僅か40ページの短編であるからこの一年がどれだけ異様な執筆時間であるか分かるだろう)。1967年『COM』に「つめたい汗」でデビューし、それから2年のあいだに『COM』と『ガロ』という当時の二大前衛誌に5本の短編を発表した。しかし本人も認めるように、唯一無二のスタイルをまだ確立できてはおらず、思い悩んでいた。そこで一念発起して「これが認められなけりゃマンガからはスパッと手を引く」と覚悟を決めて取り組んだのが「蔵六の奇病」で、1970年4月28日号の『少年画報』に掲載された。話題を呼び、以後仕事は大量に舞い込んできたというから、本作をもって「ザ・日野日出志スタイル」と言うべきものが確立されたとみていい。


 「蔵六の奇病」は、ある小さな農村共同体に暮らす蔵六という男が主人公である。頭が弱く一日中ぼっとしており、絵ばかり描いているので村の人々からは馬鹿にされ、石を投げつけられいじめられている。虫や小鳥や動物、赤い花や金色のミツバチを愛してやまない心優しい蔵六の願いは、「あらゆる色をつかって」「ほんものそっくりの色で」絵を描いてみたい、只それだけだった。


 村の桜が満開になるころ、蔵六の顔一面にキノコのような七色の吹出物があらわれる。それはやがて全身に転移し、伝染病かもしれないと恐れた村全体の意向もあり、蔵六は不吉とされる「ねむり沼」近くにある、森の中のあばら屋に隔離される。そこに母が毎日食べ物と薬を届けるが、雨が降りしきる時期になると、デキモノから七色の膿が流れ出し、下腹部は餓鬼のように醜く膨らんでいく【図1】。


図1 『蔵六の奇病』(少年画報社、1971年)


 蔵六は何度も痛みで気絶しながらも、小刀で全身の膿を絞り出して七色の絵の具にし、夢中になって絵を描き続けた。部屋の中は血と膿でベトベトである。やがて夏になると体中に蛆虫が湧き始め、風の強い日にはその悪臭が村の方まで届くようになった。家族が村八分されないように、長男の太郎は二度と蔵六に会わないように母を諭す。母は泣く泣くそれを誓う。実の母にさえ拒絶され、ショックを受けた蔵六は虫や動物の腐肉を漁るようになり、餓鬼道に堕ちる。


 秋になると目玉が溶けだし、無限の闇が蔵六を包み込む。冬になると膿が耳の穴もふさぐようになる。さらに悪いことに、仮面をつけ竹槍をもった村人たちが、いよいよ蔵六を殺しに来る。しかし既に蔵六の姿はなかった。雪の中を這いずっていく「何か」が、ねむり沼の方へ向かっていく。それは七色の美しい甲羅を輝かせる亀だった。亀は血の涙を流しながら、「ねむり沼」の中に沈んでいく。あばら屋には美しい色で描かれた、夥しい絵だけが残されていた…。


フランスの蔵六——ユイスマンス『腐爛の華』との類似

 つげ義春から多大な影響を受けた日野日出志の作品はいわば私小説ならぬ「私マンガ」であり、あらゆる怪奇表現には自らの実存が強く賭けられていて、強烈な作家性が認められる(清水正は「実存ホラー漫画家」と呼んだ)。それゆえ「蔵六の奇病」はそのグロテスクな表現の裏側に日野の人生の全てが叩きこまれているといって過言ではなく、蔵六とはほとんど日野その人である。七色の絵を描くこと以外に関心を見出さない美の探求者であるが、村の衆からは役立たず呼ばわりされ差別される蔵六の姿は、世間から見た芸術家(マンガ家)像そのものである。最後に、蔵六がその姿を変えたと思しき七色の甲羅をもつ亀(長寿のシンボル)が現れるのは、我が身の腐爛(芸術家の身を削る作業)の代償に、永遠不滅の美(不滅の作品)を獲得したことのメタファーかもしれない。


 とはいえ、本作で際立っているのはやはりエクストリームなまでの肉体の腐爛——清水正『日野日出志を読む』(D文学研究会)の副題から借りれば「腐れの美学」である。のちに「腐乱少女」というそのままのタイトルの作品を発表するほどに、日野は腐爛というモチーフに対して強烈な執着を抱いている。その嗜好はマンガだけに留まらない。自ら監督・脚本を務めたカルト映画『ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚』(1988年)【図2】はVHSパッケージに「腐乱作品」と銘打たれ、グロテスクに腐爛していく人魚を絵に残す画家が主人公であった(宮崎勤の自宅から押収された作品としても悪名高い)。


図2『ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚』(ジャパンホームビデオ、1988年)


 腐爛していく肉体に異様なまでのオブセッションをみせるという意味で、「蔵六の奇病」にかなり類似した作品が、フランスの世紀末デカダン作家J・K・ユイスマンスの手になる『腐爛の華』である。1380年にオランダのスヒーダムに生まれたリドヴィナは15歳までを健康的な少女として過ごすが、その歳の終わりにペストや丹毒にはじまり、突如あらゆる病苦が彼女に集まりだす。頭から脇腹まで体中いたるところが腐爛し続け、蛆虫が湧き、ベッドに寝たきりになる。38年間もの長きにわたって一時間の休息も与えられないまま彼女は果てるが、その間通常人の一日分の食事しか摂取しなかったというから、死後には聖人となった。リドヴィナは「苦しむ」という意味のフラマン語「リーデン」に由来し、ドイツ語では「大いなる忍耐」を意味するという。不条理な苦しみを味わうという意味で旧約聖書のヨブの伝統に連なるが、この腐敗のオーバードーズはもはや「フランスの蔵六」と言ってよい。


虹色のデカダンス

 しかし、ユイスマンスと日野日出志を結び付けたかったのは、腐爛にくわえて色彩への偏愛でも重なるからだ。「デカダンスの聖務日課書」(アーサー・シモンズ)と呼ばれたユイスマンスの傑作『さかしま』で、主人公デ・ゼッサントは室内の蠟燭の光が一番映える色は何かという実験を始め、まるでコレクションのように夥しい色の名前を列挙していく。蔵六は最後に七色の甲羅をもつ亀に変容したが、デ・ゼッサントも亀を飼ったときに甲羅の色と絨毯の色が合っていないと嘆き、その甲羅に黄金の鎧をまとわせ、色とりどりの宝石でデコレートしたりする。亀の甲羅にさえ七色の輝きを求める、日野日出志とユイスマンスのこの「色」狂いの正体とは何なのか(日野には「蝶の家」「七色の毒蜘蛛」などレインボー・ゴシックと呼ぶべき作品群もある)。


 谷川渥「聖性と腐爛——ユイスマンス小論」によれば、色彩とは哲学における形式―質料の二元論のうち質料にあたるもので、「質量的なるもの、形ならざるものへの耽溺が反転すれば、皮膚病へのオブセッションともなる」という。思えば、デカダンスは「腐る」を意味する「ディケイ」から派生した語であった。「形ならざるもの」を志向するという点で、腐爛と色彩はじつは重なるのだ。


 「色が形ならざるものを志向する」という点に関してもう少し掘り下げる必要があるだろうから、ここで蔵六に戻ってみよう。「あたまの弱か者」と村人に揶揄されながらも、「ほんものそっくりの色」で絵を描くことだけを追い求めた「色」狂いの蔵六は、ほとんど純真無垢な子供である。デイヴィッド・バチェラーの名著『クロフォビア(色彩嫌悪)』を繙くと、クロモフィリア(色彩愛好)は常に幼児的なもの、表層的なものとして見下され、ときに女性の化粧のように上っ面だけのものと揶揄された(化粧を意味する「コスメ」が宇宙を意味する「コスモ」と語源的に一緒と知っていれば、こんな批判出るはずないのに)。


 色が表面(皮膚)的なものとして化粧に喩えられたことは、ギリシア語のχρώμα(クロマ・色)が元々「身体表面、皮膚」を意味したことを考えると納得もいくだろう。また表面・皮膚に関わるものとして、色と腐爛は医学的に重なりもする。バーバラ・スタフォードによれば、天然痘は現代の医学史家たちに「火の疫病」と呼ばれ、「患者の身体を融かし、焼いて、邪悪な原子が浮き出る浅掘り彫刻か、ぼこぼこと大穴が掘られたチェッカー盤に変えてしまう」とされた。そしてトゥールのグレゴリウスには「雑色ノ疫病」と呼ばれ、マリウス司教には「雑色病」と形容された。ようは「蔵六の奇病」を俟たずとも、腐爛する肉体を色と結びつけて表現する伝統が医学史にはあった。(『ボディ・クリティシズム』国書刊行会、385-86ページ)


 閑話休題。僕たちは美術の授業で、はじめに線を引いて、その後に色を塗るように教わる。しかし逆だっていいのだ。アリストテレス以来、線→文字→言語という理性的支配が進む中、色は不確定で曖昧なもの、幼児的なものとして抑圧されてきた歴史がある。しかし60年代のカラフルサイケ革命が、言語(線)の支配する抑圧的世界に対し、幼児的・超言語的色彩をぶちまけたのだった。蔵六の七色へのこだわりは、ほとんどヒッピー革命と同じく、色を通じた形なき世界への参入欲であったのだ。であるからして、蔵六の色彩愛好は既に来るべき腐爛を予告していた。しかし、蔵六が腐爛する必然性、その意味とは何だったのか? 谷川渥の以下の洞察にヒントがある。


 「腐爛は、肉体の輪郭をおかすことである。それは形が形ならざるものへと変化する、ひとつの端的な現象である。それは形の否定である。デカダンスとは、形ならざるもの、質料的なものへの耽溺として規定されたが、しかしそれはまた聖性への通路、聖性へのプロセスともなりうるだろう。なぜなら、聖性とは肉体の輪郭を超越することだからだ。腐爛という肉体の輪郭の否定が、聖性を呼びこむのである。人間という殻を超出し、聖性を顕現するために腐爛が必要だったといってもいい。」 谷川渥「聖性と腐爛——ユイスマンス小論」、『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫、2013年)、269ページ。


 色彩と腐爛は「形ならざるもの」へと蔵六を向かわせ、やがて肉体という殻からのエクスタシー(脱我)を可能にするのだ。すると「蔵六の奇病」が、非常階段というノイズバンドによってアルバム・ジャケットに選ばれたことも意味深長である。ノイズとは言うまでもなく、音楽というフォルム(形)に対してアンフォルメル(不定形)である。蔵六とは色/腐爛/ノイズにまみれた「虹色のデカダンス」を幻視した聖人ではあるまいか。「蔵六の奇病」は『腐爛の華』のリドヴィナのように、ある種の聖人伝として読まれなければならない。


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