187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 「男社会に風穴あけなきゃダメ」

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2022年08月19日 11:30  AERA dot.

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写真岸本聡子・杉並区長(撮影・松岡瑛理)
岸本聡子・杉並区長(撮影・松岡瑛理)
「学生時代に、週刊朝日でバイトしたことがあったんですよ。まだ携帯がない時代で、何かあった時に記者のポケベルを鳴らして呼び出す仕事をしていたんです。懐かしいな」


【写真】「誰にでも門戸は開かれています」と話す岸本さん
 気さくな笑みを浮かべて話すのは、2022年6月に東京都杉並区長選で初当選した岸本聡子さん(47)だ。大学卒業後、オランダとベルギーで約20年暮らし、国際シンクタンクの職員として公共政策の研究に携わった。区長選への出馬を表明したのは今年4月。区内に移り住んだのも同月だ。行政職や議員の経験もなく、一見無謀に見える挑戦。だが、支援者らと繰り広げた草の根の選挙活動が注目を集め、投票日前日にはその氏名がTwitterでトレンド入りするほどの話題に。最終的に現職の区長をわずか187票差で破り、接戦を制した。


 たとえ区民であっても、区議選挙に出たり、ましてや区長に立候補する発想は浮かびづらいものだ。「区長って、誰でもなれるんでしょうか?」そんな記者の素朴な問いかけも、軽んじることなくまっすぐに答える。


「25歳以上であれば、誰でもなれますよ。私自身、選挙に出る前は公職選挙法も読んだことがありませんでした。選挙上の細かいルールを学ぶ必要はありますし、『供託金』という預け金も必要になってきます。でも、それはどちらかといえばテクニカルな話。選挙を通して実現したいことが明確であれば、誰にでも門戸は開かれています」


 岸本さんの「区長への道」は、いかにして開かれたのだろうか。


 東京都大田区に生まれ、大学時代までを横浜市で過ごした。日本大学文理学部に入学すると、環境NGO「A SEED JAPAN」に入り、若者たちによる地球温暖化防止キャンペーンなどに邁進する。4年時に代表に就任し、卒業後はそのまま、団体の専従スタッフとなった。当時から政治への関心は高かったのだろうか。


「いえいえ、それはもっともっと後の話です。環境運動にも生物多様性、気候変動、オゾン層と色んなテーマがあって、提言をしたりイベントを開いたりと、『運動』というよりサークル活動に近い感覚でした。みんなで一つの事を成し遂げることが楽しくて、会社に入ることも全然考えられなくて。今思えば、行政職を目指す道もあったと思いますが、そんな計画性もなかったです」




 環境NGOでの活動を通じ、「環境的レイシズム(環境的人種差別)」という概念に出会い、衝撃を受けた。有色人種、女性、子どもなど、経済力の弱い社会的マイノリティほど、原子力発電所や軍事基地の近くに住まざるを得ない傾向が高く、汚染や健康の被害も集中しやすいという考え方だ。環境問題を考えるうえで、科学的要因に限らず政治的な力関係への着目が重要だと気づいた経験は「運動を続けた原動力でもあり、その後の政治活動にもつながった」と振り返る。


 01年、長男の出産を機にパートナーの母国であるオランダのアムステルダムに移住。10年代に入り、地域から民主主義を志向する「ミュニシパリズム」と呼ばれる運動がアルゼンチン、スペイン、イタリアなど世界各国で広がる様子を目の当たりにし、地方自治に関心を持つようになった。「外国人」として地域活動に関わることができる範囲への限界を感じていた折、杉並区政の刷新を考える住民らが立ち上げた市民団体「住民思いの杉並区長を作る会」から、区長選出馬の打診を受ける。


「面白いことに、選挙権は3カ月住民票がないと与えられないんですが、立候補は住民票さえあればいつでもできるんです。最初は『杉並区に住んでるわけでもないし、無理無理』と何度も断っていたんですが、支援者の方々がネットで調べて『出られるよ』と教えてくださって。選挙時期もかなり近づいていたので、とりあえず住民票を杉並に移して住み始めたという感じです」


 約20年間の海外生活を経て、暮らし始めたのは東京・西荻窪。駅周辺に個人経営の飲食店や雑貨店が立ち並び、「ニシオギ」の愛称で親しまれる人気のエリアだ。


「うちからちょっと歩くと昔ながらの豆腐屋や肉屋が並んでいて、タイムスリップしたような衝撃を受けました。元々、東京にはあまりいいイメージがなかったんですが、一発で街が好きになりました」


 選挙戦では、区立施設の統廃合や駅前再開発、大規模道路拡幅計画など、住民の合意が得らない計画の抜本的な見直しを訴えた。


「(政策については)私がゼロから考えたわけではありません。住民思いの杉並区長を作る会が何年も議論をしてできていた政策集があり、まずはそこから出発しました。土台があったとはいえ、伝え方は試行錯誤でした。選挙は正解がない世界。何の経験もないから、これはやるべきかことか、正しいことをやっているのか、何もかもがわからないんです」



 それでも、毎日街頭に立って演説をしていると、立ち止まってもらったり、質問をされたりすることも増えていく。街宣と街宣の間には「タウンミーティング」という名前で地域住民とディスカッションを重ねながら、政策集をバージョンアップしていった。


 無名の新人候補を支援すべく、歴史教科書問題、児童館廃止などの問題に関わってきたグループ、環境カフェ、地域の保育士など様々な団体や個人が連なり、ともにアイデアを練った。その中で生まれたのが「サポメンひとり街宣」。岸本さんが街頭宣伝に出ているときは、支援者の誰かが、代わりに駅前で応援演説に立つというスタイルだ。


「(ひとり街宣は)自然発生的に生まれたものです。選挙戦が始まった時、支援者の方々には『無名候補なんだから、とにかく住民に顔を知ってもらうことが大切』と言われていて。そんな状態を見かねて、その中のお一人が『それなら私がポスター持って立っています』と申し出てくださったんです。そうしたら『じゃあ僕も、私も』とスタイルが広がって行きました」


 演説時はマイクを回して聴衆が質問や意見を述べる時間を作るなど、傾聴と対話を大切にした。学生時代、「A SEED JAPAN」で岸本さんと活動したファシリテーターの青木将幸さんは、選挙初日、永福町駅前で岸本さんの演説を聞いた際の印象をこう語る。


「同じ団体で活動していた時代から、さっちゃん(岸本さん)は先輩後輩関係なく、どんな人にも対等に話ができる人でした。聴衆の中には初めてマイクを握る方も多く、初めは戸惑う様子もありましたが、候補者に聞く姿勢があることがわかり、だんだん『この人は話して大丈夫だな』という、安心感のようなものがその場に広がっていきました」


 こうした姿勢の理由を、本人はこう話す。


「選挙では、たとえ誰も聞いていなくても人前で話すという、拷問のようなことを何週間もやらないといけません。今までもレクチャーや会議で話すことはありましたが、目の前には人がいたので、最初は苦痛でした。足を止めて聞いてくださる方が増えていくにつれ、せっかくなので皆さんから質問を出してほしいなと思ったんです。例えば教員なら教育、保育士なら保育、看護士なら医療と、それぞれの分野で話したいことがある。マイクを回していくと、もうなんでもかんでも話題が出てくるんですよね。そうした中で、少しずつスタイルが出来上がっていきました」



 当選後の今、勝因をこう振り返る。


「とにかく色んな立場の人たちが関わってくれた選挙でした。その人たちにとって『自分ごと』になったということが一番大きかったと思っています」


 就任後の報道では、「杉並区初の女性区長」という点も強調された。過去に記者が取材をした中では、性別にのみ注目が当たることを当の本人が快く思っていないケースもあった。「岸本さんの場合はどうですか?」と聞いてみると、あっけらかんと答えた。


「むちゃくちゃ強調したいです(笑)。こないだ、省庁発の学習イベントに参加したんですが、講師は25人全員が男性だったんです。もしこれが国際的な会合であれば、性別はもちろんのこと、人種のバランスも考慮しないといけない。でも、日本の社会はこの状態が当たり前に粛々と続いてきたんだなと思ったのね。そのくらい男社会なんだから、風穴あけなきゃダメでしょ、ぐらいの気持ちでいます」


 当選後は日本外国特派員協会で会見を開くなど、海外メディアからの関心も高い。杉並区というローカルな単位から、今後どのような変革が起こるのか。いま、世界からの注目が集まる。


(本誌・松岡瑛理)


※週刊朝日オンライン限定記事


このニュースに関するつぶやき

  • ちゃんと結果を残さないと、風穴のつもりが、墓穴になるぞ。
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