今年は空前の“ノーノ―ラッシュ”…本当にあった「驚愕のノーヒットノーラン」列伝

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2022年08月30日 07:01  ベースボールキング

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日本ハム・ポンセ (C) Kyodo News
◆ 82年ぶりの快挙

 8月27日の日本ハム−ソフトバンク戦。先発したコディ・ポンセがノーヒットノーランを達成。

 なんとこれが今季5人目のノーヒッター。1シーズンで5人目の達成は、1940年に並ぶ最多記録となった。




 今季はまず“令和の怪物”こと佐々木朗希(ロッテ)が、4月10日のオリックス戦で21世紀初の完全試合を達成。1994年の槙原寛己(巨人)以来、28年ぶりの大偉業を成し遂げた。

 さらに5月11日には、東浜巨(ソフトバンク)が西武戦で打者27人のノーヒットノーランを達成。6月7日にも、今永昇太(DeNA)が日本ハム戦で1四球のみの準完全試合。6月18日には、山本由伸(オリックス)が西武戦にて、これまた1四球のみの「準完全試合」をやってのけた。

 今回はそんな史上空前の“ノーノーラッシュ”にちなみ、過去に本当にあった、思わずビックリのノーヒットノーランにまつわるエピソードを集めてみた。



◆ 「2度あることは3度ある」

 ノーヒットノーランを達成した直後に、大胆不敵にも「2度目の達成」を予告したのが、広島・外木場義郎だ。

 1965年10月2日の阪神戦。プロ初勝利をノーヒットノーランで飾った外木場は試合後、番記者たちとの雑談の中で「大記録を成し遂げると大成しないというジンクスがありますが」という話を振られた。当時は現在とは違って取材記者も少なく、大らかな時代ならではの開放ムードから、時にはこのような無遠慮な質問もあったようだ。

 これに対して、当時20歳だった外木場も「何ならもう1度やりましょうか」と軽い気持ちで答えたが、この発言に尾ひれがついて、あたかも試合後のヒーローインタビューの場で堂々と宣言したかのように大きく伝わってしまったというのが、真相のようだ。

 この発言が瓢箪から駒のような結果をもたらすのだから、野球は面白い。


 外木場はそれから3年後の1968年9月14日の大洋戦で、2度目のノーヒットノーランとなる完全試合を達成。見事に有言実行を成し遂げる。

 さらに1972年4月29日の巨人戦でも、7回二死までパーフェクトに抑え、終わってみれば四球とエラーの2走者だけで、通算3度目のノーヒットノーランを達成。

 「完封してやろうとは思っていたが、まさか……。まだピンとこないな」と本人も半信半疑。まさに「2度あることは3度ある」だった。


◆ 「3打席連続弾」と「ノーノー」を同時に達成する快挙

 打っては3打席連続本塁打、投げてはノーヒットノーランという“二刀流”大谷翔平も真っ青の快挙を達成したのが、巨人入団2年目の堀内恒夫だ。

 1967年10月10日の広島戦。堀内は2回に宮本洋二郎から左越えソロを放つと、4回にも西川克弘から2打席連続の左越えソロ。さらに6回にも西本明和から左越えに3打席連続となる2ランを放った。

 投手の1試合3本塁打は1949年に川崎徳次(巨人)が記録していたが、3打席連続弾はNPB史上初の快挙だ。


 そして、10−0と大きくリードした7回二死二塁、堀内に4度目の打席が回ってきた。

 結果は11点目の中前適時打。狙っていた4打席連続本塁打を逃した堀内は、悔しさをあらわにしてベンチに戻ってきた。

 だが、「まだノーヒットノーランがあるじゃないか」とチームメイトに告げられ、初めて7回まで無安打・無失点に抑えていたことに気づいた。

 この日の堀内は球威こそあったが、ボール先行の荒れ気味の投球で4回まで4四球を与えていた。


 ただし、記録がかかっているとなれば、モチベーションもいやがうえにも上がる。

 「しょうがねえ。代わりにノーヒットノーランでもやるか!」と豪語すると、宣言どおり8〜9回を3人ずつで片付け、史上38人目・46度目の快挙を達成した。

 最後の打者・藤井弘にライナー性の当たりを打たれたときは、「やられたかなと思った」そうだが、失速した打球がレフト・相羽欣厚のグラブに収まるのを見届けると、“悪太郎”の異名をとった怖いもの知らずの19歳も、「ただジーンときたんです。わけがわからなかった」と純情な一面を見せていた。


◆ 「ドカベン」で描かれたシーンが現実に…?

 野球漫画に実名で登場。完全試合を達成するシーンが描かれた直後、リアルの試合でもノーヒットノーランを達成したのが、西武時代の渡辺久信だ。

 1996年6月11日のオリックス戦。先発の渡辺は序盤は最速148キロの直球で押し、中盤からはスライダーやカーブなどもまじえ、1本も安打を許さない。

 記録がかかった9回も「打たれてもいいから、気楽に投げた」と四條稔を遊ゴロ、イチローを中飛に打ち取ったあと、最後の打者・大島公一を空振り三振に切って取り、史上63人目・74度目のノーヒットノーランを達成した。


 1990年5月10日の日本ハム戦で延長10回まで無安打無失点に抑えながら、無念の“ノーノー未遂”を味わっていた渡辺は「やっちゃったよ。やっちゃったよ。3回ごろから“もうイケるな”と思ったんで、もう意識しちゃって。でも、まさか、本当にできるとは」と大喜び。

 そして、話はそれだけではなかった。5月発売の少年チャンピオンに掲載された水島新司氏の「ドカベン プロ野球編」の中でも、渡辺はダイエーを相手に完全試合を達成するシーンが登場したばかりだった。

 実はこの場面、以前同作品の中で岩鬼正美に本塁打を打たれた渡辺が、テレビ番組の企画「ドカベン訴訟」の中で「打たれるはずがない」と抗議。「作品の中で完全試合達成の場面を描くこと」という“判決”が下ったのを受けて、水島氏が描いたものだった。

 その結果、予言的中のような形で渡辺が現実の試合でもノーヒットノーランを達成してしまうのだから、世の中なにがあるか本当にわからない。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
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