アントニオ猪木さん 最後まで見せた「燃える闘魂」 イラクへの人質救出「オレが行くしかないだろう」

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2022年10月01日 13:50  AERA dot.

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国会議事堂前で右手を突き上げるアントニオ猪木氏=2013年8月
 「燃える闘魂」で知られる、元プロレスラーで参院議員を2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが10月1日、東京都内の自宅で死去した。79歳だった。


【写真】国会で質問するときも独特のたたずまいのアントニオ猪木さん
「ただ絶句するばかりです。みんなに勇気を与えていただき、本当にありがとうございましたとお礼を言いたいです」


 沈痛な表情でそう語るのは、猪木さんが政界進出を最初に果たした「スポーツ平和党」の元参院議員で野球解説者の江本孟紀さん。


 猪木さんは、日本にプロレスの礎を築いた力道山さんに見いだされ、プロレスラーとしてデビュー。ジャイアント馬場さんとしのぎを削り、日本にプロレスを根付かせた。


 プロレスだけではなく、異種格闘技戦にも乗り出し、ボクシングのヘビー級世界チャンピオン、モハメド・アリさんとの死闘は、全世界でテレビ中継され、今も語り草になっている。


 リングで数々の死闘を演じてきた猪木さん。1989年にスポーツ平和党を立ち上げ、その年の参院選に「国会に卍(まんじ)固め」というスローガンで立候補。予想を覆して100万票近い得票で当選し、戦いの場をリングから政界に移した。


 なかでも猪木さんの「現場主義」「燃える闘魂」が存分に発揮されたのは、1990年8月のイラクのクウェート侵攻で、アメリカなどの多国籍軍が参戦した湾岸戦争だった。


 当時、イラクの在留邦人は、「人質」のような形で出国が認めらず、日本では連日のように大きなニュースになった。


 だが、日本政府は具体的な行動には移せず、批判が高まった。猪木さんは、自らが設立した新日本プロレスのレスラーを引き連れて、イラクのバグダッドに乗り込んだ。そこで開催された「平和の祭典」でリングを組み、プロレスの試合を披露した。その場には、在留邦人の「人質」も観戦にやってきた。


 それまでかたくなだったイラク。それから間もなく、猪木さんのアッと驚く「プロレス外交」という行動力が評価されたのか、イラクは「人質」の出国を認めたのだ。




 多国籍軍がイラクに攻撃をはじめたのはそれから1カ月ほどしてから。まさに、ギリギリのタイミングだった。


 筆者は30年以上も前だが、プロレスの専門誌でアルバイトをしていた。当時は猪木さんが全盛期で、興行について歩いたこともあった。猪木さんが参院議員となったとき、筆者は週刊朝日の記者となっていた。


 議員会館に猪木さんをいきなり訪ねると、


「ええ? ここでプロレスのことかい」


 とビックリしていたのを思い出す。日を改めて、イラクの「人質救出」について聞くと、


「プロレスじゃなくそんな取材もするんだ? 当時は、日本で早く人質を助けろと世論が沸き上がっても、政府は何ら具体的な行動はしない。それなら、オレが行くしかないだろう。なぜ、人質の救出ができたか? そんなの簡単だ。燃える闘魂。これで十分だろう」


 と笑っていた。


 細かなことは説明せず、深刻そうな話でも、人懐っこい笑顔とワンフレーズで決めるのは、さすが猪木さんだった。


 だが、政治の世界でも順風満帆とはいかなかった。借金問題など、何度もスキャンダルに見舞われた。


「猪木さんが当選した3年後の参院選で、私がスポーツ平和党から出馬して議員バッジをつけたくらいから、スキャンダルの話がちょいちょいありました。借金問題はとりわけ深刻だったようです。猪木さんの事務所には怖そうな借金取りが来ていたとも聞きました」


 前出の江本さんはそう話した上で、


「そんな話を聞いた翌日です。朝早く議員会館に行く途中、もくもくと走っている人がいる。猪木さんでした。借金問題が騒がれていたので、『大丈夫ですか』と聞いたら『小さなことだよ』と言いながら黙々とスクワットしていました。とにかく、人間が大きい人でした。だから、日本政府がビビッて何もできないのに、イラクに乗り込んだりできるんですよ」


 と振り返る。


 一度、政界から身を引いた猪木さんは、プロレスの世界へと戻った。モハメド・アリ戦に代表されるように、猪木さんは抜群のアイデアでプロレス界を盛り上げた。



 筆者の印象に強く残っているのは1987年の巌流島(山口県下関市)の戦いだ。無観客でレフリーもおらず、リングもない草っぱらで、猪木さんはマサ斎藤さんと戦った。夕方くらいから始まり、暗くなってからはかがり火をたいて戦った。


 この戦いについて猪木さんに聞いたところ、


「あれは、確か藤波(辰爾・新日本プロレスの看板レスラー)が誰かにそんなアイデアを話していたのが聞こえてきた。面白いとひらめいた。藤波がやりたそうだったが、ビビっときて、俺がやったほうがいいと。巌流島には船でしか行けなかったはずで、興行としてはどうかという人もいた。プロレスの関係者とマスコミだけでやったほうが神秘的というか、それもいいなとひらめいた」


 と教えてくれた。


 猪木さんには、スキャンダルのことも聞いたが、どんな時も嫌な顔をせず、逃げることもなく質問に答えてくれた。


 2013年、参院選で2度目の当選。だが、19年の任期満了で政治家を引退した。


 話を聞きにうかがったときは、昔の猪木さんのような迫力がなく小さく見え、車いすに乗っていることが増えた。


「俺も年かな」


 寂しげに笑っていたので、


「猪木さんの元気さ、はつらつさが今の政治には必要なんですよ」


 と伝えると、


「そう、元気を出さないとな」


 とガッチリ握手してくれた。それが猪木さんにお会いした最後だった。


 近年は心臓の難病「全身性アミロイドーシス」を患い、入退院を繰り返していた。猪木さんの親族の一人は、


「体調が悪くても、自ら元気な姿を届けたいとYouTubeまではじめて、『元気ですか』『ダー!』と病室や自宅でもやっていました。ただ、最近はその元気もなくなっていました」


 と話した。


 最後まで「燃える闘魂」の猪木さん。お疲れ様でした。合掌。



(AERA dot.編集部・今西憲之)


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