写真家・大森克己×編集者・江部拓弥 対談 「おもしろいと感じるものは違っていい。だから余計に楽しいものになる」

1

2022年10月02日 07:01  リアルサウンド

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

写真

 


昔ばなしにも花が咲き対談中は終始和やか。江部さん(左)と大森さん(右)の関係性が伝わってくる対談となった。

――写真とぴったりくっついていた、写真のすぐとなりにあった見ることの難しいさまざまなことがらについての言葉を収めた――。写真家・大森克己(おおもり・かつみ)さんが1997年から2022年までさまざまなメディアで発表してきたエッセイ、ノンフィクション、書評、映画評、詩、対談などに、コロナ禍の日々を綴った日記を加えた一冊『山の音』が発売された。写真家の出版物でありながら、表紙から著者プロフィールに至るまで一切“写真なし”の462ページ(!)。著者初となる、文章だけでまとめられた同書はいかに誕生したのか? 著書と同タイトルの連載の場であった『dancyu web』の編集長などを歴任し、大森さんと共にこの本を編んだ、編集者・江部拓弥(えべ・たくや)さんとの対談から、背景を紐解いていく。


大森さんも江部さんも絶賛する佐藤亜沙美さんによる『山の音』の装丁。見本の段階でほぼ完成形であったという。「見た瞬間、これで行こう、行くしかない、ってなりました」(江部)
写真家・大森克己 初エッセイ作『山の音』“写真なし”で462ページの大ボリューム
Tシャツの色は帯のカラーと同色に。まさに阿吽の呼吸のおふたり。

江部拓弥(以下、江部):今日は大森さん、緑色の服を着てくるって言うから、僕はグレーを着てきました。ふたり揃うと『山の音』の帯になる(笑)。


大森克己(以下、大森):『山の音』の装幀を手掛けてくれた佐藤亜沙美さんのデザインが、あまりにも印象的で。このTシャツは、この前、祐天寺の古着屋で買ってきました。『山の音』は、僕にとってのデビュー作。60歳近くになってからの処女作、って、なんかいいよね(笑)。


ーー大森さんが定期的に文章を執筆されるようになったのは、『小説すばる』(集英社)での連載(2013〜2019年)からですよね。初期に書かれた文章の中で特に印象に残っているものはありますか。


大森:『山の音』に掲載した「ドキュメンタリー写真の心得」ですね。友人で写真家のホンマタカシが責任編集の『ウラH ホンマカメラ 大爆発号』(ロッキンオン 1998年)に掲載した文章で。今となってはどうして巨匠のふりして写真論を説くような文体で書いたのか、覚えてないんだけど(笑)。人から頼まれて公に書いた文章としては、これが最初だったと思います。


 ただ当時は自発的に文章を書き続けようという気持ちには全然ならなくて。頼まれたらやるけど、文章を書くことにそんなに思い入れはなかったんです。


「5年間続けた『小説すばる』の連載が終わった時、ちょっと寂しいかもって思ったの(笑)」(大森)

ーーその心境が『小説すばる』での連載を経て、変化していったんでしょうか。


大森:『小説すばる』では、そうそうたる売れっ子作家さんが連載している片隅で、ささやかに書かせていただきました。担当していた目次の写真に添える形での短い文章の連載だったんですけど、毎月原稿を送って、プロの校正さんの手が入った原稿が戻ってきて……というやりとりを、5年間続けた。で、2018年に『小説すばる』がリニューアルするタイミングで、連載が終わるんです。そのときふと「あれ、ちょっと寂しいかも」って思っちゃったの(笑)。月1回だから大したことないと思っていたんだけど、文章を書くことがルーティンになっていて、知らない間に自分に作用していた。


ーーその頃江部さんは『dancyu』の編集長をお辞めになり『dancyu web』を立ち上げられた頃ですよね。


江部:はいそうですね。『dancyu web』ではじめた大森さんの連載は、実は大森さんからの持ち込み企画だったんです。


大森:そう。江部さんが『dancyu web』を始めたことを知って、ウェブで連載ができないかなって。『小説すばる』の原稿から、いくつかピックアップして、江部さんに見てもらいました。『dancyu』なので、きっと当然のように料理の記事が並ぶ。その中にひとつくらい、料理と直接関係のない連載があってもいいかもしれないし、ウェブだからページ数の制限もないし割と自由にできるんじゃないかな、という目論見(もくろみ)もあって。そしたら「いいですよ」って快諾してもらえた。もともと江部さんはフットワークが軽い方だけど、その柔軟さはウェブ媒体の良さでもありますよね。


江部:じゃあ、まずは月2回のペースでやりましょうか、と。2019年の春から、ちょうど1年間ですね。


大森:ただ、企画を持ち込んだものの、最初はそれなりに緊張しました。写真は、自分としては通常業務。でも文章で、ウェブですからね。SNSもブログも、公の場所ではあるけど、そこで文章を書くのとは、ちょっとわけが違う。


ウェブ連載をやっていくうちに気付いたのは、読者からの反応が早いんですよ。記事がアップされた日に自分のSNSにリンクを貼って投稿すると、30分後には「読みました」って、反応がある。それは初めての経験で、おもしろかったです。皆こういうふうに読んでくれるんだ、って新鮮でどんどん楽しくなりました。


「写真家の方に「写真なし」の本を依頼するのは僕からはできません(笑)」(江部)

江部:でも、こんな分厚い本になる予定は全然なかった(笑)。連載をまとめたいという気持ちは大森さんにも伝えていて、すごく前向きなお返事はもらったんですけど。その後、ですよね。


大森:江部さんから連絡をもらったのは2021年の春。連載が終わった1年後くらいかな。


江部:12カ月、月2本やっているから、20数本の原稿と、添えられた写真はあって。普通の感覚からすると、それだけあれば単行本にはなるし、全然足りる。ウェブ連載だから、意外と文字数も多かった。


大森:でも、いや待てよ、と。写真家が写真付きのエッセイを出すのは、ちょっとダサイなって(笑)。(出してる人もいらっしゃるから失礼なんだけど!)そもそも僕はすでに写真集を出しているし、写真を載せるとカラー印刷になるから、当然お金もかかる。うっかり流されて話に乗っかっちゃうと、印刷代もまあまあ嵩んでしまうし、そうやって出来たものって、まあまあな感じのものになりそうで。

 だったら、写真がなくてもいいんじゃないか、って気がしてきて。で、原稿は『dancyu web』以外にも、『小説すばる』のものもあるし、雑誌の『SWITCH』や『relax』に寄稿した記事もある。だから江部さんには「嬉しいけど、文章だけの本ではどうですか?」って返事をしたんです。そしたら江部さんから「マジですか」って(笑)。


江部:実は相談前にちょっと思ってはいました。でも、僕の口からは言えませんよ、写真家に「写真なし」、というのは(笑)。


大森:それで古いコンピューターをひっくり返して、原稿をまとめて江部さんに送ったら……。


江部:とんでもない量だったんです……。そもそも大森さんが、こんなにいろんな原稿を書き溜めているとは思ってなかった。当初200ページくらいかなと話していたんですけど、とてもじゃないけど収まらない。


大森:あれもあったな、これもあったな、って引っ張り出して渡したら、そうなっちゃった(笑)。ちなみに古い原稿は結構直してます。大筋や、稚拙な表現とかは、そのままですけど。やっぱりウェブと本では、落とし込み方が違いますからね。2021年は、原稿をブラッシュアップする作業を黙々としていたかな。


「500ページって編集者なら不安になるボリューム。でも大森さんも佐藤さんも分厚いから売れないっていう発想がない(笑)」(江部)

江部:それで、2022年の年明けから共同作業を始めたんですよね。デザイナーの佐藤亜沙美さんを交えて、オフラインで2度目の打ち合わせというときに、佐藤さんがほぼ現状に近い見本を持ってきてくれた。


大森:緑とグレーの帯も付いていてね。それがあまりにもかっこよくて。


江部:見た瞬間、これで行こう、行くしかない、ってなりましたね。だから『山の音』のブックデザインは、実は最初のアイデアから、何も変わってないんです。


帯は2枚重ねの仕様。帯が傷んだり汚れた場合返本されてしまうので2枚あれば、そのリスクが高まってしまう。しかし大森さんと佐藤さんからの返答は「大丈夫、大丈夫。痛まない」

大森:タイトル、ページ数、写真なしというアイデアも、そのままどんどん進む。


江部:大森さんも佐藤さんも、すごく前向きなんですよね。分厚いから売れない、という発想が全然なかった。つくる側からすると、普通、ドキドキするじゃないですか、約500ページって。紙や印刷費とかいろいろコストがかかりますし。正直社内でちょっと後ろ向きの意見が出たりもしたんですけど、それを大森さんと佐藤さんに伝えると、「いや、大丈夫、大丈夫」って、自信に満ち溢れている(笑)。


 それに帯を2枚重ねる仕様だと、痛んだり汚れて返本が多くなるんじゃない、という意見が営業サイドから出たと2人に伝えると「大丈夫、大丈夫。痛まない」って(笑)。


 さらに言うと、表紙の文字には加工でツヤと凹凸感を施しているんですけど、帯を巻くから、上半分しか見えない。下半分は帯を外さないと表れない。だから、その加工はなくていいんじゃないか、と伝えると、「いや、このままがいいんじゃない」って(笑)。


ーー『山の音』はかなり贅沢な仕様ということですね。


大森:そういう意味でも、すごく幸せな本なんです。感謝しかないですね。


江部:後退することがなかったですよね。正直佐藤さんに救われたところが、いっぱいあります。デザインの力、大きいです。


大森:デザインが、僕と江部さんから見て、おお……! と感じるものだったことが、制作期間後半のドライブ感を生んだよね。


「世の中に2冊あるなら3冊あった方がバランスよくない? って勝手に判断しました(笑)」(大森)

江部:本を編集するとき表紙とタイトルは、最後に決めがちなんです。いくつかパターンを出して、どれにする? というプロセスを経て着地することが多いんですよね。『山の音』というタイトルにするかは、最初悩んでいたんですけど、今回は佐藤さんがこのデザインを出してきた時点で固まりましたよね。


大森:2000年代の前半、『cherryblossoms』や『encouter』という写真集を撮っていた頃、山を歩いていて、風や動物や水なんかのさまざまな音が聞こえてドキドキするということが数多くありました。山の音って複雑で味わい深いな、としみじみ感じた実体験が基になっています。《山の音》というタイトルの写真展(テラススクエア/ 2018)を開催もしていています。そんなことを経ていろいろ調べていたら、『山の音』は川端康成の小説のタイトルでもある。実際読んでみると、これが、じわっとくるヤバイ小説なんです。他にも、漫画家のとり・みきさんが『山の音』という作品を出されていて、そちらもすごく味わい深くて。世の中に2冊存在するんだったら、3冊くらいあった方が、バランスよくない? と。


ーー本作には音楽や音にまつわる話が多く出てきますよね。


大森:そうですね。自分の中で「音」というのは大事なテーマなんです。写真って目に見えるものだけど、音は写らない。だからこそ写真と併行して自分の中に常に意識していて。自分のインスタの「#soundsandthings」というハッシュタグも、そこからきています。今回の本には写真を入れないで、文章から音のことを考えてもらえるとおもしろいという思いもあるんです。


「何か一つ新しいことをすると、これまで想定しなかったことが考えられるようになる」(大森)

ーー本づくりの過程で、ほかに意識したことはありましたか。


大森:数は少ないと思うんですけど、10代・20代の人がうっかり手に取る可能性も残しておきたかった(笑)。だって、還暦近い男性の、職人なりアーティストなり、そういう人が書いた初めてのエッセイ本って、ちょっとウザイいな、読めないな、って自分なら思っちゃう。結果的に出るトーンとか匂いみたいなのはもちろんある訳ですが、なるべく多くの人に手に取ってもらえるような開かれた本にしたいな、というのは、編集するときから思っていました。


江部:それもあって人名に注釈を入れたんですよね。大森さんの文章には、多岐に渡ったジャンルの人が出てくるから。例えば、マドンナを知らない人も、普通にいるんじゃないかと。注釈は、初校のときにはなくて結構最後になってから入れたんです。巻末では読まれないと思って、それぞれのページに入れたんですが、これが結構大変で(笑)。


大森:本当にたくさんの人に読んで欲しいし息の長い本であって欲しいと思っています。ずっと昔に書いた原稿も収録されているけど、僕にとってはデビュー作。何か一つ新しいことをすると、いままで想定しかなかったことを考えられるから、楽しいんですよ。世界の見え方が、全然、変わってくるから。


ーー江部さんは『dancyu』の編集長になる前に、『料理男子』(プレジデント社)というムックをつくっていましたよね。お二人の最初の出会いは、その頃でしょうか。


江部:作家の山崎ナオコーラさんに『dancyu』巻末のエッセイを書いていただいたときに、山の上ホテルの「バー ノンノン」(東京・御茶ノ水)の撮影を、大森さんにお願いしました。大森さんはその頃からスターでしたから、ロッキングオンで撮られている写真とか、ずっと観ていました。僕はまだ編集者として駆け出しで、いつか仕事できたらいいなあと思っていたんです。


大森:でも、その撮影は、取材時間は長くなくて。ふらっと集合して、撮って、じゃ! みたいな。そんな初対面だったよね。だから、一緒に仕事したぜ、っていう実感は、あんまりなかった(笑)。その後、江部さんは『dancyu』の編集長になられて、その後も何回か仕事の依頼をもらってたんだけど、たまたまスケジュールが合わなくて、ご一緒できなかった。そういうすれ違いが続くと、疎遠になることがあるんだけど、ちょっと経ってから、謎のオファーがあった。


江部:『dancyu』の焼酎特集で大森さんに、「青ヶ島」(※東京都に属する有人離島で、二重カルデラの特殊な地形の島)に行きませんか? って、お誘いしたんです。青ヶ島の幻の焼酎「あおちゅう」を取材するために。


大森:そのとき江部さんから言われたのが、「何事もなければ4泊5日の取材なんですけど、予定通り帰ってこられないかもしれないし、そもそも予定通り上陸できないかもしれないです」って。「え?」って、なりましたよね。


江部:青ヶ島へのアクセスって、ヘリなんですよ。有視界飛行なので、雲が出たら飛べない。ヘリは9人乗りで、そのうち3席は島民のために抑えられている。島民に急患が出たら、さらに席が埋まってしまう。取材班は、作家の方と、大森さんと僕の3名だったんですけど、まず席が確保できるのか怪しかった。


大森:天気も怪しかったんですよね。


江部:取材は梅雨時でした。青ヶ島には八丈島経由で行くんですけど、ひとまず八丈島まではたどり着けた。でも、青ヶ島に行けるかは、その時点ではわからない。


大森:だから、その取材は、めちゃめちゃ印象に残っていて。結果、予定通り行けて、帰ってもこられたんですけど。


江部:青ヶ島村って、日本一人口が少ない村なんです。酒場は2軒あるんだけど、喫茶店もなければ、食堂も、書店もない。日中やることがないんですよね(笑)。


大森:おじさん3人で、ぼんやりしてたよねえ(笑)。もちろん、取材はちゃんとするんだけど、でも取材自体は、そんなに時間はかからないから。濃密な時間だったんだけど、別にそこで僕が写真家として何かを披露したとか、江部さんの編集者としての真髄を見たとか、そういうのは全くないんですよ(笑)。ただ、珍しい仕事だったので、印象には残ったという。


「俺は酒造りに命かけてる。お前ら編集に命かけてるのか?」

ーー誌面にならないプロセスをお聞きするだけでもとても興味深い取材だったんですね。


大森:その次が、島根の日本酒蔵「王祿(おうろく)」。現場には別の編集者の方が同行してくれたんですけど、話をくれたのは江部さんだった。日本酒の仕込みって、12月頃から始まるんですけど、「仕込み始めたばかりのタイミングを撮ってください」、「でも、ひとつだけ言っておかなきゃいけないことがあって、オーナー兼杜氏さんがめっちゃ怖いんです……」って(笑)。


江部:王祿は基本、取材拒否の酒蔵なんですけど、どうしても載せたかったんです。それで、王祿の石原丈径(たけみち)さんに取材のお願いをして、取材前に、僕は担当編集者を連れて挨拶に行ったんです。そしたら、「お前ら、編集に命かけてるのか?」って言われて。「え?」と。「俺は酒造りに命かけてる。だから、お前らが命かけてるんだったら受ける」って。で、僕はすかさず「命かけてます」と答えてしまった(笑)。それで取材はお引き受け下さって、大森さんはモノクロで撮ろうと提案してくれたんです。


大森:どんなにすごい酒づくりのプロセスがあっても、カラーで撮ったらおもしろくないんじゃないかな、って思ったんです。酒蔵の設備よりも、酒づくりをしている人たちに焦点を当てて撮影した方がいいものが出来上がると思ったから。結果、王祿の石原さんも喜んでくれた。その取材を経て、『dancyu』っておもしろいなと感じたんですよね。


 初回は青ヶ島の存在自体がおもしろかったけど、このときは『dancyu』という雑誌がおもしろかった。僕は当時、料理や飲食を撮影する界隈にはいなかったので、お酒とか料理を取り巻く人々の魅力に気付けたのは、王祿の取材であり『dancyu』のおかげなんです。


「写真がめちゃめちゃ良かったんで、折を増やしましたって連絡があって」(大森)
「デザイナーさんや担当デスクからありえない! って、怒られました(笑)」(江部)

江部:その次に、ご一緒したのが居酒屋特集でしたよね。


大森:大森:いまは閉業してしまったんですけど、東京の京王線の稲田堤駅が最寄りで、多摩川の河川敷に「たぬきや」(※『dancyu』2014年9月号掲載)という居酒屋があって。


『dancyu』2014年9月号は、表紙には大森さんが撮影した「たぬきや」の不思議な佇まいの外観写真が掲載。写真を一見しただけでは、この酒場が河川敷にあるとは想像もつかない。特集タイトルは「酒場はどこだ?」。ダブル・ミーニング……!?

江部:かつて船着き場だったところに建っていて、ビーチハウスっぽい風貌の、いわば「川の家」。雨降ると休み、風が強いと休み。


大森:で、江部さんからの依頼がこれまた変わっていた。「たぬきやに開店から閉店まで居て、写真を撮ってください」って(笑)。土曜日の12時くらいに行って、日が暮れるまでずっと居ました。近所の人がピクニックのように飲んでいる様子とか、テレビの競馬中継を見ている人たちとかを撮影していましたね。料理もちょっとは撮ったけど、どちらかといえば、そこに集う人たちに声を掛けて、撮らせてもらいました。


 印象深かったのは、江部さんから「写真がめちゃめちゃ良かったんで、折(※本は、1枚の大きな紙に16ページまたは32ページ単位で両面印刷する。この1枚の印刷用紙の単位を「折」という)を増やしました」って連絡をいただいて。え、マジで? と。


ドキッとする見開き。導入でなく、数ページめくった後に、ロケーションの全貌を伝えるこの写真が、不意に現れる。なんて気持ちよさそうな場所なのだろう。吹き抜ける風を感じる。

ーー写真が良くて急遽ページ数を増やしたんですか!?


大森:すごいなと思いましたね。写真は良かったけど、ページ数が足りないなあ、もったいないなあ、で、普通は終わるんですよ。写真が良かったからページ数を増やしてもらえたことって、編集長の江部さんが担当だったとはいえ、なかなかそんなことはできないと思う。


江部:でも後日譚があって、巻頭企画だったから、ほかのページに余波がきて。ノンブル(※ページ番号)も変わるし、いろいろ調整が大変で。デザイナーさんからも担当デスクからも、ありえない! って、怒られました(笑)。


「江部さんとの仕事で「こう撮って」と言われたことが一度もないんです」(大森)

大森:そのときはっきりと、江部さん、編集者としてすごいなって(笑)。しかも、江部さんの取材は全部がそうだけど、「こう撮ってください」が何もないんですよ。現場に送り込まれて、好きに撮って、それだけ。


江部:僕は基本的に、こう撮って、ああ撮って、とは言わないんです。たぬきやに関しても、料理の写真がなければないで、いいと思っていました。大森さんがそこに興味がなければ、なくていい。だからページ数だけ伝えて、現場に行ってもらった。そんなに、かっこいいもんじゃないですよ。


日没に向かって流れる時間、変わる空気。土手酒(土手で飲むから人呼んで土手酒)を片手に、思い思いに過ごす人たち。大森さんの写真を見てページを増やしたくなった江部さんの気持ちに共感するとともに、それを実行してしまう編集者としての手腕に敬服する。

大森:だけど江部さんとの仕事は、それぞれの現場の空気感が、すごく良かったんです。広告やバーターの撮影が時代的にも増えてきた中で、『dancyu』って、自由にやってるな! 編集者の興味のあるものをピックアップして、すげえな! って思いました。そもそも、雑誌の醍醐味って、そこじゃないですか。そういう意味では、僕も雑誌で仕事をはじめた駆け出しの頃を思い出す気持ちになって、とても楽しかったんですよね。


江部:大森さんは、僕が想像しているのと、違う写真を撮ってくれるんです。しかも100%じゃなくて、200%くらいのものを。想像以上に良い写真をくれるから、ああ、やっぱりすごいなあ……と思うんですよね。


大森:例えば、撮影スタジオで人物が立っていたとして、なんでこの人はここに居るんだろう、って感じてしまったときに、その状況に嘘をなくすのって難しいんです。リアリティがないから。だけど江部さんとの仕事は、全てがドキュメンタリーなんです。そこにその人が居ることに関しては嘘がないし、全面的に信じられる。おっ! と思ってシャッターを切れば、必ず何かが写る。シンプルで気持ちがいい。そして、一緒になって盛り上がれる。


江部:僕は編集者で、大森さんは写真家。これまで見てきたものや影響を受けてきたもの、仕事の内容も違う。だからおもしろいと感じる物事が、もともと違うんですよね。大森さんと仕事をすると、こういうところを大森さんはおもしろがるんだって、発見がたくさんあるんです。そういう気づきや発見が余計に楽しくなるところがありますよね。


■プロフィール

大森克己(おおもり・かつみ)
1963年、兵庫県神戸市生まれ。日本大学芸術学部写真学科中退。スタジオエビスを経て、’87 年よりフリーランスとして活動を開始。フランスのロックバンド Mano Negra の中南米ツアーに同行して撮影・制作されたポートフォリオ『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第9回写真新世紀優秀賞(ロバート・フランク、飯沢耕太郎選)受賞。主な写真集に『very special love』、『サル サ・ガムテープ』、『Cherryblossoms』(以上リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、 『STARS AND STRIPES』、『incarnation』、『Boujour!』、『すべては初めて起こる』(以上マッチアンドカンパニー)、『心眼 柳家権太楼』(平凡社)。写真家としての作家活動に加えて『dancyu』、『BRUTUS』、『POPEYE』、『花椿』等の雑誌やウェブマガジンでの仕事、数多くのミュージシャン、著名人のポートレート撮影、エッセイの執筆等、多岐に渡って活動する。


江部拓弥(えべ・たくや)
1969年、新潟県三条市生まれ。高校卒業を機に上京。早稲田大学社会科学部を卒業後、プレジデント社に入社。「プレジデント」編集部などを経て、2008年より『dancyu』編集部、’12年より、同誌編集長、『dancyu web』編集長などを歴任。ベースボール、カレーライス、ロックンロールが好き。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


■書籍情報

『山の音』
発売日:2022年7月28日
価格:2970円(税込)
仕様:四六判(462頁)
著者:大森克己
装幀:佐藤亜沙美
校正:岡本美衣
制作:坂本優美子
編集:江部拓弥
発行所:プレジデント社
印刷・製本所:凸版印刷


山の音

2,673円

Amazonで詳細をみる
■展覧会情報

グループ展「写真新世紀30年の軌跡展−写真ができること、写真でできたこと」@ 東京都写真美術館(10月16日〜11月13日)「Mano Negra とラテンアメリカを旅して撮影され、ロバート・フランクによって1994年に優秀賞に選ばれた大森のデビュー作 “ GOOD TRIPS, BAD TRIPS “ を出品」。
https://global.canon/ja/newcosmos/news/topics/30exhibition/


大森克己写真展《山の音》@ MEM(10月20日〜30日)
https://mem-inc.jp/2022/09/28/221016omori/


    前日のランキングへ

    ニュース設定