「楽しいも礼儀も両方大事」生まれ変わった老舗チーム|庭代台ビクトリー

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2022年10月31日 20:50  ベースボールキング

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西武ライオンズの森友哉選手の出身チームでもある『庭代台ビクトリー』(大阪府堺市)の取材に訪れたのは10月の土曜の朝。この日は午後からの大会を前に庭代台小学校で軽めの練習が行われていた。一流プロ野球選手が育ったチームはどんなチームなのだろうか?



【子どもが激減、見直したチーム方針】
少し早く校庭に到着すると、低学年の子ども達も含めた1人ひとりが丁寧に「おはようございます!」と挨拶で出迎えてくれた。
練習が始まると、ノックでは子ども達が一球一球、ノッカーに対して「お願いします!」と大きな声を出している。その姿に昔ながらの少年野球の趣を感じる。

チームは昭和50年設立と歴史は古い。しかし、このチームはいわゆる古いタイプの少年野球チームではない。
保護者のお茶当番はなく、指導者からの怒声や罵声もない。グラウンドに8人のコーチ達の姿はあるものの、見守り当番の保護者の姿もない。保護者の負担を減らし、子ども達が明るく楽しく野球を行うことを大事にしている、今どきの方針のチームだ。



そんな方針になったのはつい3年前からだという。かつては80人いたこともあった子どもが7人まで減ってしまったことがきっかけだ。
「この辺でも厳しいチームとして有名でした。ミスしたことを激しく叱責する、怒声、罵声が飛び交うような、勝利至上主義といわれる部類やったと思いますね」
大下雄平監督が当時を振り返る。

そんな指導が次第に時代に合わなくなり、子どもと保護者達に受け入れられなくなっていった。そしてチーム存続の危機となるまで部員が減り、何かを大きく変えなくてはと、3年前にこれまでのチーム方針を大きく見直した。



チーム方針を変えるにあたって、まず始めに行ったのは指導者の怒声、罵声の禁止。これを徹底することにした。そして子どもを追い込まないこと。試合に勝つために厳しくするのではなく、子ども達がとにかく野球を楽しくできるようにする。これまでと180度違う方針に切り替えた。
現在の部員は22人。方針を切り替えると徐々に子ども達がグラウンドに戻ってきた。
【伝わってくる雰囲気の良さ】
ノックは高学年と低学年に分かれて行われたが、朝もまだ早かったせいか、ボール回しでは子ども達の元気がちょっとないように見えた。すると大下監督がホームにいた子ども達にこう声をかけた。
「誰かがえぇ雰囲気にせんと、この練習終わらないよ。どうする?」
するとそこから子ども達が「行くぞー!」「こーい!」「ナイスキャッチ!」「今のはワンバウンドで良いからなー!」などと元気よく声を出し始めた。



子ども達の失敗やミスに対して叱責する大人の声もなく、失敗してもコーチ達が「OK!」「ナイスチャレンジ!」などとポジティブな声をかけ、子ども達も互いに声をかけ合っていた。

グラウンドの脇では、右手を骨折中のキャプテン向山君が、入部間もない2人の4年生を相手にゴロを転がして捕球練習を手伝ってあげていた。手で転がされたボールを捕ってネットに送球するという単調なメニューだが、ネットに入ったボールの数を競わせるなど、機転を利かせた向山君がゲーム要素を取れ入れたため、2人も競うように楽しそうに練習に取り組んでいた。





休憩中の子ども達の様子を見ていると、キャッチャーフライを誰が捕れるか競って遊んだり、休日に遊園地に遊びに行った子が「あとでみんなで食べてください」と監督にお土産のお菓子を渡したり、低学年の子ども達はコーチ達と虫取りに出かけたりと、チームの雰囲気の良さが伝わってきた。



かつては上手くなって欲しいという思いから、子ども達を厳しく指導し、追い込んでもいた。もちろん、指導する側も子ども達のことを思えばこそだったのだが、時代が変わり、そういった指導が受け入れられにくくなってきた。

子ども達が減ったことでそれに気付かされたチームは、今では楽しさを聞きつけて、近隣地域からも子ども達が集まるチームに生まれ変わった。
指導方針の舵を「野球を楽しく!」に大きく切ったことで、いま庭代台ビクトリーに再び活気が戻っている。

(取材・文・写真:永松欣也)

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