「打倒・山本由伸」から生まれた“山本由伸2世” オリックスとドラ5・日高暖己の不思議な縁

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2022年11月18日 06:32  ベースボールキング

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オリックスから5位指名を受けた富島高の日高暖己と濱田登監督 [写真提供=濱田登監督]
◆ 猛牛ストーリー【第44回:日高暖己】

 リーグ連覇を達成し、昨年果たせなかった日本一も成し遂げたオリックス。監督・コーチ、選手、スタッフらの思いを「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。

 第44回は、今秋のドラフト5位でオリックスから指名を受けた日高暖己(あつみ)投手(18歳/宮崎県立富島高)です。


 最速148キロで“山本由伸2世”と高い評価を受ける右腕。指導する濱田登監督は、廃部寸前だった富島高の監督に就任して2年目の県大会で、後にオリックスに入団する山本由伸がいた都城高(宮崎県都城市)と対戦。後の日本のエースを打ち崩したことを契機に、富島高を強豪校へと育て上げました。

 「打倒・山本由伸」から9年目に生まれた“山本由伸2世”がオリックスに入団。恩師は「不思議な縁を感じる」と感慨深げに語り、日高も「早くフォームなどを聞きたい」と対面を心待ちにしています。


◆ 山本由伸との“不思議な縁”

 ドラフト会議から11日目の10月31日。宮崎県日向市の県立富島高で、濱田監督はオリックスの山口和男アマチュアスカウト長、縞田拓弥スカウトの指名挨拶を特別な思いで迎えていた。

 日高は高校2年の秋に投手兼遊撃手から本格的に転向して、まだ1年。しかし、昨年12月には鹿屋体大での計測で148キロをマーク。今夏の甲子園でも、2回戦の下関国際戦では後の準優勝チームを相手に5失点を喫しながら、9奪三振の力投で注目を集めた。


 投手は“兼任”だった日高が、投球フォームの手本にしたのが山本由伸だった。

 「同じ宮崎の高校出身で、プロで活躍されていたので参考にさせていただきました」。2年生の1月からインターネットなどの情報で山本がそのフォームにたどり着いた経緯などを知った上で、YouTubeなどの映像を参考にフォームを改造。山本が練習で取り入れている槍投げ練習用の器具も購入し、133キロから143キロまで球速が上がった。


 日高がプロ野球選手になるまでのきっかけが山本なら、同校が甲子園に出場できる強豪校になったのも、山本の存在が深くかかわっていた。

 濱田監督が宮崎商業高から赴任したのは、2013年4月のこと。就任前に観戦した3月の春季県大会は0−10の大敗だった。

 就任時に3年生部員はゼロ。2年生は5人で、入部を予定していた新入生の野球経験者は8人いたが、新監督が2008年の甲子園に母校の宮崎商を導いた濱田監督であることを知ると、「厳しい指導をするのかも」と躊躇する選手も出て、入部したのは6人。1・2年生あわせて11人、廃部寸前からのスタートだった。

 「3年で九州大会に出場し、4年で甲子園に出場します」。不退転の決意を示すため、教職員の歓迎会で宣言した濱田監督に対し失笑が漏れたのも、野球部の現状からみて仕方がないことだった。


 転機は、1年後の11月に行われた秋季新人大会。決勝で都城高と対戦し、先発した山本を途中で退け、12−4で優勝した。

 「山本君は速いらしい、と聞いていたので、事前に打撃マシンを140〜150キロにセットして速球対策をして臨み、2回に1点、3回には9点を奪いました。山本君がストレートで押してくれたので、攻略することが出来ました。就任2年目にこの試合に勝って優勝してから、(チーム作りが進み)甲子園までとんとん拍子に進むことになりました」と濱田監督は振り返る。

 新人大会には、日高の長兄・諒夏(りょうか)さんも出場。二塁打を放ち、山本攻略に一役買った。ちなみに、二男の冬暉(とうき)さんも富島高出身で、3兄弟揃って野球部OBだ。

 2年目の秋季県大会は3回戦に進出。3年目の2015年には九州大会に出場し、2017年に九州大会準優勝で2018年春の甲子園を果たした。


◆ 当初はピッチングが「嫌でした」?

 日高は2年の秋まで遊撃手兼務。チーム事情でマウンドに上がることもあったが、2人の兄も守っていた遊撃手が希望だった。

 華麗で堅実なプレーでファンをうならす、今宮健太(ソフトバンク)や源田壮亮(西武)に憧れた。「プレーが丁寧で、きれい。肩の強さや打球判断も目標でした」という。


 一方で、「ピッチングはやらされている感じがして嫌でした」と投手転向には難色を示していた。

 「『お前が投げないと甲子園に行けるチームにはならない』と転向を勧めてきたのですが、本人は打つのも好きで、いつでも試合に出ることができる野手が希望のようでした。捕って投げるのが楽しくて、本当に野球好きなのでしょうね。それでも120キロ後半が130キロを軽く超え、135キロ、140キロと来て、2年生の12月に148キロが出るようになって、甲子園もその先のプロ野球も見えて来たのでしょう、本人も『(投手を)やります』と言ってくれました」と濱田監督。

 日高も「先発した2年夏の県予選3回戦で負けて、3年生の夏が終わってしまい、球速も出始めていたこともあり、甲子園に行くためには、僕が投手に専念した方がいいと思うようになりました」と振り返る。

 その背景には、山本の投球フォームや練習方法を学んで身につけた自信もあった。「甲子園出場を目指すみんなのためにもなる。投手をやってみたら」。富島高OBでもある父・大介さん(47)のアドバイスも、背中を押してくれたそうだ。

 投手としての経験不足は、2018年春と2019年夏の甲子園出場時のメンバー・黒木拓馬さん(関東学院大3年)にLINEなどで相談して補っている。「打たせて取る方法や、どのボールなら三振を取れるかなど、配球面も含めて教えてもらっています」という。


 縞田スカウトは「今年の春頃は、球速は出ていたが低めにボールを集めきれていなかった。夏にかけて低めに集まり出し、打者が打ちづらい角度のある投球ができるようになった。甲子園ではピンチにも動じない、堂々としたマウンドで度胸もある。これから体がしっかりとできてくれば(山本クラスに成長する可能性は)十分ある」と高く評価。

 山本をスカウトした山口スカウト長も「うちの中嶋監督ら首脳陣は、適性を見つけて選手に合った“色”を付けてくれる」。ブレることのない球団の育成方針で、日高がプロのマウンドで輝く日を予感させる。

 日高は「憧れの山本投手と一緒のチームになれるので、いいところを吸収して、いつかは山本投手を超せるような日本を代表する投手になりたい。早くいろんなことを聞いてみたい」と、対面を心待ちしていた。


 山本の存在が、廃部寸前の県立高校を強豪校に押し上げ、そのチームから育った“山本2世”の日高が、同校初のプロ野球選手として山本のいるオリックスに入団する──。

 就任から10年目の吉報に、濱田監督は「山本君を倒してから(チームが軌道に乗り)とんとん拍子に甲子園に出場できるまでになり、山本君を目標にレベルアップしてきた日高がオリックスに入団するなんて。不思議な縁を感じますね」。

 18日夕方に予定されている日向市内での入団交渉で、「オリックス・日高暖己」が誕生する。


取材・文=北野正樹(きたの・まさき)

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