天龍さんが語る“近況報告とその後”稀勢の里の二所ノ関部屋にYouTubeの撮影で行こうかな!?

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2022年11月27日 07:00  AERA dot.

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天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
 9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。前回の記事の引き続き、近況報告といまの思いを語る。


【写真】亡くなられた妻・まき代さんの写真を持つ天龍さんはこちら*  *  *


 俺は今、会場には行けないけど、天龍プロジェクトでは代表で娘の紋奈が先頭に立って大会を開催している。なかなか会場に行けないのが歯がゆいが、出場しているレスラーは俺が見ていなくても、お客さんを満足させる試合をしてくれていると信じている。


 俺は若い頃は相撲で部屋の揉め事とか、いろんなことがあってプロレスに転向したから、勝敗よりも、お客さんに満足して帰ってほしいという、他のレスラーとは違う感覚が芽生えたんだよね。もちろん、幕内でやめてきたからプロレスでへこたれるもんか、トップになってやろうという思いもあったけど、それよりもお客さんに「面白かった!」という気持ちを持ってかえってほしいという意地があったんだ。


 プロレスに転向して4〜5年くらいはパっとしない時期があった。それでも応援してくれるファンがいて、俺がアメリカから日本に帰ってきたとき「この数少ないファンに退屈させちゃいけない」と思い、それからは目新しくて面白いプロレスをしようと決心して、引退するまでその気持ちを持っていたよ。


 試合に勝った、負けたはついてくるけど、自分自身でも「面白かったかな」という満足感の方が大切だった。今日の客は天龍とジャンボ鶴田を観て、満足して帰ってくれたかなって、そればかりを考えていたよ。


 SWSのときだってそうだ。今では当たり前になっている「一本花道」もSWSが最初にやったんだ。「対戦する選手が同じ花道から出てくるなんてとんでもない!」って最初は言われていたが、今となっては、プロレスだけじゃなくて、さまざまな格闘技でも取り入れられているだろう。とにかく命の次に大切なお金を払ってきてくれるお客さんに、満足してもらいたいという思いから新しいことにチャレンジしたんだよ。



 お客さんに喜んでもらうために頑張ったSWSだが、当時は「金でレスラーを引っ張った」と批判もされた。でもSWSができたから、全日本プロレスと新日本プロレスが揃って、選手のファイトマネーをアップして、引き留め金まで払ったんだ。外国人レスラーならまだしも、ほかの団体の日本人レスラーの待遇までアップしたんだから、これこそ天龍がやった“革命”だよ(笑)。


 ただ、知っての通りSWSは約2年で解散となってしまった。1990年の横浜アリーナの旗揚げ戦には、新日本プロレスをはじめ、その当時のプロレス団体の全部が偵察に着ていたんだ。でも、その旗揚げ戦で俺が若いジョージ高野に負けたのを見て、新日本の営業は「これからエースでやっていく天龍が旗揚げ戦で負けたんだったら、この団体はすぐにつぶれる」って喜んだんだって。見事に2年でつぶれたよ……。


 新日本の営業にそこまで言わせたんだから、ある意味、ジョージ高野も大したもんだな(笑)。いつかクレイジーキャッツの関係者に聞いたことがあるんだけど「グループで人気があるのは一人でいい。その一人をメンバーみんなで盛り上げれば、お客さんはそいつを見に来てくれる。人気者は二人も三人もいらないんだよ」って。今になるとよく分かるよ。


 相撲の話になるが、団体のトップになるということの大変さは身に染みて分かった俺としては、今の二所ノ関部屋の親方になって、後進を育成している稀勢の里(現二所ノ関寛)は立派だと思うんだ。二所ノ関部屋は立派な部屋になったけど、それは稀勢の里の性格だからコツコツお金を貯めていたことと、さらにいいスポンサーもいたんだろう。それは彼の人徳だし、そうした後援者たちが集まって、かつて俺がいた二所ノ関部屋を再建できたのは嬉しいね。


 二所ノ関部屋が無くなる直前に娘と二人で部屋の前まで行って「ここがああで、そこがこうで」と教えながら記念写真を撮って帰ってきたことを思い出すよ。自分がいた部屋だから消滅するよりも、やっぱり延々と続いてくれた方が安心だ。


 それにしても今の二所ノ関部屋は茨城県にあるんだけど、すごく立派な建物だね。退院したら勝手に行ってみようかな。YouTubeの撮影だとかなんと言ってね。今の二所ノ関部屋がある場所は、実は昔に女房が「家を建てようか」と言っていたあたりなんだ。見に行ってあまりに田舎でやめたんだが……(笑)。住んでこそいないが、縁はあるんじゃないかと勝手に思っている。突然行くかもしれないから、二所ノ関部屋のみなさん、よろしく頼むよ!


 稀勢の里と二所ノ関部屋にはぜひ、親方を超える力士を育ててほしいけど、身体能力が高いと若い子はほかのスポーツに行っちゃうしね……。とりあえず今の子は裸になってまわしをつけるのがかっこ悪い、恥ずかしいと思っているだろうし、ほかのスポーツから比べると特筆してよい思いができるわけでもない。


 でも、学校の勉強は苦手なやつでも出世できる世界だから、いい職業だと思うんだよね。スポーツで有力な奴が相撲にくればイメージが変わるだろうし、辞めた後も、100いくつの年寄株を買えば、定年まで心配ないって、こんないい商売ないよ。本人に力があれば買えるんだから。65歳まで公務員をやるより堅実だよ。稀勢の里や白鵬はそういう、そういういいところから相撲のイメージを変えていってほしい。


 そう思うと、昔は俺を含めて大熊元司さんやグレート小鹿、ロッキー羽田とか、相撲上がりのレスラーが多かったが、今は本当に相撲取り上がりのレスラーがいなくなったね。やっと気が付いたか、プロレスは割に合わない商売だって(笑)。


 相撲からプロレスに転向するのは大変だよ。似ているようでまるっきり違う。試合もそうだが、それよりもプロレスは金の話になるとアメリカ流のビジネスライクな話になり、待遇の話になると渡世の義理人情の話になる。日本とアメリカの都合のいい部分だけを使ってうまくできているよ!


 でも、今の現役のレスラーにはあまりビジネスライクにはなってほしくないなあ。いろいろなレスラーと戦ってきた俺が見ていると、今のレスラーにはもっとハチャメチャで弾けてくれよっていうのが本音だ。みんなきれいに万人に好かれようとしているし、こぢんまりして見えちゃうんだ。イスで殴ったり、凶器を持ってどうこうしろってわけじゃないが、それもアクセントにはなるんだよ。


 今はきれいでアクロバティックなプロレス、華麗なプロレスが主流になってきているが、生で試合を見ると必死になっていい試合だとは俺も思うんだよ。でも、試合後に居酒屋に行ってまで語り合いたくなるほどの試合は少ないね……。昔は試合が終わった後も、どうだこうだと語っていたもんだけど。


 もし俺が今、現役で天龍プロジェクトでリングに上がっている佐藤耕平や矢野啓太といった選手としょっちゅう戦っていたとしたら、彼らも気持ちの入り方がずいぶん変わったと思うよ。憎しみとか恨みでね(笑)。でも、そういう気持ちを丸出しで戦っているレスラーは印象に残るもんだよ。古いと言われるかもしれないが、俺たちがやっていたプロレスは不器用で汗臭いけど、一味違った、秋田名物「いぶりがっこ」みたいな味だったのかもね。


 今のレスラーにも苦言みたいなことを言ってしまったが、俺がいない間も天龍プロジェクトのリングで戦ってくれているレスラー、それを見に来てくれているファンは本当にありがたいし、心強い。


 SWSが解散したとき「俺に騙されたと思ってついてきてくれ、引退したときは俺がみんなについていく」って言ったけど、今はついてきてくれた人たちに感謝している。俺は身を引くけど、あなたたちのことを見守っている、そんな気持ちだ! 天龍プロジェクトやイベントの会場でみんなが元気な姿を見せてくれるから、俺も頑張れる!リハビリをさっさと終えて、みなさんの前に出られるように頑張っているから、もう少しだけ待っててくれよ!


(構成・高橋ダイスケ)


天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。


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