『鎌倉殿』北条義時が見た「白い犬」の意味と、義時の「意外と気にしい」な側面

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2022年11月27日 14:11  日刊サイゾー

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北条義時(小栗旬)|ドラマ公式サイトより

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

 『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」では、源実朝(柿澤勇人さん)が兄・頼家(金子大地さん)の死の真相を三善康信(小林隆さん)から教えられ、兄の遺児・公暁(寛一郎さん)に涙の懺悔をするシーンなど、三谷幸喜さんの作り出すドラマに惹きつけられました。

 実朝の右大臣拝賀の儀式において、義時(小栗旬さん)から剣持役を奪い取る源仲章(生田斗真さん)も凄みがありました。策謀家なのに、どこか軽薄で、小物感が拭えない人物としてドラマでは描かれてきた仲章ですが、本気で義時に挑みかかってきた彼の表情は「恐ろしい」の一言でした。

 政子(小池栄子さん)が、大江広元(栗原英雄さん)による特別な配慮で、我が子・実朝の晴れ姿を御簾の影から覗くという設定も興味深かったですね。途中までは実衣(宮澤エマさん)から誘われても「行かない」と言っていた政子なのに、最終的に鶴岡八幡宮まで出向いたのは、何か虫の知らせのようなものがあったからでしょうか……。史実の間を、創造力で埋めていく三谷さんの脚本は素晴らしいです。

 このようにドラマオリジナルの要素が目立った第44回「審判の日」でしたが、三浦義村(山本耕史さん)の右大臣拝賀儀式への参加が、以前に儀式の開始が遅れるトラブルを義村が起こしたことを理由に実朝から拒絶されたのは、本当にあった話です。実朝が左大将を任命された際にも八幡宮において祝賀行事の「直衣始の儀」が行われたのですが、三浦一族のトップであると自認する義村と、この一族の年長者である長江明義(ながえのあきよし)の間で、格上とされる配置位置の「左」をどちらが陣取るかの争いが起こり、そのために儀式の開始が遅れる事件が起きました。実朝が「年長者の長江を立てろ」と命令し、やっと義村が折れたのですが(『吾妻鏡』)、和田義盛の死後も、三浦一族には「誰が本当のリーダーか」をめぐっての諍いが相次いでいたのです。

 しかし、第44回でもっとも印象深かったのは、暗闇を背景に義時が謎の白い犬と向き合う冒頭のシーンだったでしょう。犬が義時に向かって吠える仕草を見せると、鳴き声ではなく、源頼朝が落馬して危篤に陥った際に、一部の登場人物にだけ聞こえていた鈴の音が鳴っていました。これは『吾妻鏡』にも記述がある、義時が見た「警告夢」を表現したシーンだと考えられます。今回は史実でも「意外と気にしい」な人だった義時の信仰心についてお話しようと思います。

 『吾妻鏡』によると、建保6年(1218年)7月、義時は(鎌倉殿の御所にも近い)大倉の地に、薬師如来を祀った薬師堂を建てると言い出しました。建保7年1月の右大臣拝賀の儀の際に起きた実朝暗殺事件の半年前のことです。実朝が後鳥羽上皇から左大将に任官された頃で、慌ただしい時期でした。

 義時は建保6年6月に行われた実朝の左大将拝賀の儀に参加していますが、その直後に薬師如来をお護りする十二神将の一柱として知られる「戌神(じゅっしん)将」(十二支の戌(いぬ)を現す神)から、不吉な夢のお告げを得ました。「今回の実朝の儀式は無事に済んだが、来年の右大将拝賀の儀にお前は参列してはいけない」と夢の中で戌神将から告げられた義時は、にわかに信心を起こしたそうです。義時は薬師堂を建て、薬師如来と戌神将を含む十二神将の像を作らせて堂内に安置し、自身の安全を祈願しようとしました。幕府において夢でお告げを得る人物といえば、夢日記をつける実朝が第一に思い出されますが、義時が自身の見た「警告夢」を彼に告げることは、なぜかなかったようです。

 義時の薬師堂建立計画に時房や泰時たちは反対しましたが、義時は諦めず、私財を投げうち、薬師堂を5カ月ほどでスピード完成させました。落成は実朝の右大臣拝賀の儀式が行われる前月、つまり建保6年12月だったそうです。

 『鎌倉殿』の義時は薬師堂について、もともと建てる予定だったとか、「もちろん私は夢のお告げなど信じてはいない」とも言っていました。それを実衣から「意外と気にしい」と少々からかわれてもいましたが、鎌倉側の公式史料である『吾妻鏡』に、義時が謎の信仰心を起こしたことが記されているのは興味深く思われます。(1/2 P2はこちら

 ドラマでは、義時が源仲章の暗殺を企て、例のごとくトウ(山本千尋さん)を刺客として送ったものの、仲章のほうが一枚上手で暗殺は失敗、彼から名誉ある剣持役を奪われてしまったという演出になっていました。

 しかし、『吾妻鏡』においては、実朝の右大臣拝賀の儀式に参加していた義時が八幡宮の楼門に到着した際、彼は「俄(にわか)に心神御違例の事有り」……気分が突然、ものすごく悪くなってしまったと言って、剣持役を自らの意思で仲章に譲り、八幡宮内で少し休憩してから自邸に戻ったことが記されています。結局、剣持役を義時から譲られたことが原因となり、仲章は義時だと勘違いされて公暁の仲間たちから殺害されてしまいました。『愚管抄』でも、経緯は違えど仲章は義時と勘違いされて殺されたと記されています。なんにせよ、仲章にとっては実に不運なことでした。

 『鎌倉殿』では「運の強さ」が、天命を与えられた者の証しだとして描かれています。自分の身代わりになって、仲章が死んでくれたことは、義時の類いまれな強運さを物語っているといえますね。

 ただ、史実の義時には、運が良いというだけで、かっこ悪い印象はあります。「戌神さまのお告げ」のためにおそらく気が進まなかったものの、幕府の重鎮として右大臣拝賀の儀式を休むわけにもいかなかった義時が、自分を奮い立たせ、なんとか参加したはいいが、八幡宮の門に差し掛かるとお告げが気になったあまりに体調不良に陥って“早退”した……というふうにしか見えませんから。

 一説に、義時が体調不良を起こした時間が午後8時頃――まさに「戌の刻」であり、その時、彼の目に白い戌神の姿が見えてしまったことが突然の体調悪化の原因だったともいいます。そして、まさにその時刻に、義時が建立させた薬師堂内から戌神将の像の姿が消えていたとする『梅松論』という書物は南北朝時代に成立したもので、さすがに史実の内容とはいえないのですが、夢のお告げを意識するあまり、警告を無視しようとすると気分が悪くなってしまうのだとしたら、義時はかなり「信心深い人物」だったと言えるでしょう。

 この当時、個人で寺院の建立を行うことは、功成り名遂げた“エスタブリッシュメント”の証しです。ドラマでは、義時の父・時政が、頼朝による奥州藤原氏討伐の成功を祈って創建した願成就院(現在の静岡県伊豆の国市)が完成したシーンも出てきましたよね。

 一方で、寺院の建立は同時に“権力者の孤独”を象徴しているようにも思われます。人が信じられず、信仰に救いを求めずにはいられなくなったことの証しというわけですね。

 「信心深さ」は「迷信深さ」とも換言できると思うのですが、義時にそういう一面は確実にありました。「承久の乱」の最中に、泰時・時房の大活躍によって、幕府軍が上皇の兵を打ち破った報せが鎌倉に届きはじめた頃の「承久3年(1221年)6月8日戌の刻」、義時の館の湯殿に落雷があり、使用人の男性が一名死亡する事件が起きています(『吾妻鏡』)。義時は、泰時・時房には、「敵が上皇、もしくは天皇が遣わした兵であったところで、宮様方が直々に戦場まで出御なさっていない限りは打ち破れ!」と命令していたにもかかわらず、自邸への落雷事件については「神のたたりではないか」と感じ、悩み、大いに狼狽したそうです。ドラマでこの事件がどう描かれるのか(あるいは描かれないのか)、楽しみですね。

 ちなみに、神仏からの「警告夢」に義時が戦慄した逸話はもう一つあります。

 「承久の乱」が幕府方の勝利で終わった後、『吾妻鏡』承久3年の「閏十月二十九日条」によると、鎌倉に護送されてきた日吉社(=ひえしゃ、現在の日吉大社)の禰宜(ねぎ=神官)・祝部成茂という人物に、上皇軍に味方した疑いが持ち上がりました。祝部の尋問前日、日吉明神の使いである神猿(まさる)が、義時正室の伊賀の方(ドラマでは菊地凛子さん演じる「のえ」)の夢に現れ、彼女の髪の毛を怒りの形相で掴んできたそうです。日吉明神を日頃から信仰していたという義時はこの気がかりな夢について、大江広元に相談したところ、「祝部成茂を無実にしなさい」とのアドバイスを受けました。そして祝部は無事に京都に戻ることができたそうです。

 戌神将を信仰し、のみならず日吉明神も崇め奉る史実の義時の姿からは、ドラマではあまり描かれてこなかった彼の「神頼み」な一面がうかがえるようですね。なお、北条家の歴代執権は熱心な禅宗の信者だったことは有名ですが、それは鎌倉時代中期以降、第五代執権・北条時頼の時代以降の話です。ドラマでは、「白い犬」を見てしまった義時の信心深い側面が、最終盤に向かうにつれもっと見られるようになるでしょうか。

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