書道家・武田双雲「ADHDは生まれ持ったキャラクター」発達障害を告白して7年のいま「47歳になってさすがに反省の仕方がわかってきた」

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2022年11月27日 21:00  週刊女性PRIME

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武田双雲(たけだ・そううん)約3年間サラリーマンとしてNTTに勤務した後、書道家として独立。音楽家、彫刻家などさまざまなアーティストとのコラボなど、独自の創作活動で注目を集める

「自分がADHDだと知って、僕はすごく楽になりました。なんで変な目で見られるんだろう、なんで怒られているんだろう、何をやらかしたんだろうって、ずっと理由もわからず自分を責めるばかりだったから。

 でもADHDというフィルターを通して過去を改めて振り返ってみると、ガラリと景色が変わってきた。自分を客観的に見ることができるようになって、“そういうことだったのか!”とようやく合点がいったんです(笑)」

小中高時代は周囲から疎まれることも

 書道家の武田双雲(47)が自身のADHDに気づいたのは今から7年前のこと。アインシュタインやスティーブ・ジョブズら世界の名だたる著名人が実はADHDだったと書かれた記事を読み、試しにとインターネット上のADHD診断に挑戦。すると結果は─。

「これもあてはまる、これもそう、全部自分のことだ! と思って、なんだかうれしくなっちゃって。それをブログに書いたら、“武田双雲、ADHDを告白!”と大々的にネットニュースに取り上げられたんです(笑)」

 当時はADHDという言葉がようやく一般に浸透し始めたころで、“ADHDを公表した著名人の先駆け”として大きな注目を集めた。思いがけない反響に驚くも、「ADHDを公表してプラスしかなかった。生きやすくなった」と話す。

 ADHDの主な特性とされるのが「多動性・衝動性」で、自身もその傾向ゆえ社会になじめず、子どものころから疎外感を味わってきたという。「もともと明るくおしゃべりだったので、小さいころは友達もたくさんいたし、にぎやかに過ごしていたと思います。でも大きくなるにつれ、周りからどんどん浮くようになって……」

 天真爛漫で屈託がなく、人気者だった幼少時代。しかし小学校に入学すると、次第にその言動をとがめられる場面が増えていく。時間割の意味がわからず、次の授業の準備ができない。思いつくまま行動し、周囲の和を乱してしまう。授業中に先生の話をさえぎり、ひとりで延々としゃべり続けることもあった。けれど怒られてもその意味がわからない。

「何かやらかしちゃったなと思ってその瞬間はシュンとするけれど、それが続かず3分後にはけろっとしてる。忘れっぽいのもADHDの特徴のひとつで、だから同じ過ちを何度も繰り返してしまうんです」

 小学校高学年になると「周囲からあまりよく思われていないのでは」と気づき始め、中学に入ると友達から孤立し、高校では周りに疎まれた。

「身体が大きいからと勧誘され、高校でハンドボール部に入りました。けれど試合中に空を飛ぶ鳥が気になって眺めていたら、おまえは何をやっているんだと怒られる。だけど怒られている最中もその人の目の色が気になって言葉が全然入ってこない。期待の新人だったはずが、すべて失望と失笑に変わっていきました」

 クラスメートとは話が噛み合わず、親しい友達は1人もできず、当時を「何も楽しいことがなかった。何もうまくいかなかった」と振り返る。

 ADHDの中には集団生活になじめずにうつ病や不登校、ひきこもりになるケースも多い。しかし彼の場合は両親の存在が大きな救いになった。

女性社員が涙を流した出来事

「両親は僕が何をしても“おまえは天才だ!”と感動してくれて、小さいころから“素晴らしい!”と称賛されまくって育ってきました。褒められるのに慣れすぎていて、だから打たれ弱いんですよね(笑)」

 学校の中では叱責された言動も、ひとたび家に帰ると手放しで受け入れられた。おかげで自己肯定感は失われずに済んだが、実は両親にもADHDの傾向があると話す。

「衝動的で、ひとたび何かに興味を持つと、それに集中してしまうのがADHD。うちは父も母もそうで、家族で出かけると“あれ面白そう!”“行ってみよう!”と後先考えず行動するのでよくみんなで迷子になりました。僕も新婚旅行先の海外で何度もいなくなって、その場で妻に“別れよう”と言われました(笑)」

 空気が読めず、どこにいても浮いてしまう。率直な物言いが相手の怒りを買うことも度々あった。大学時代はすべてのアルバイト先でクビを言い渡された。大学卒業後は新卒でNTT東日本に入社。営業マンとして働き出すも、「この会議に何の意味があるんですか?」と社会人らしからぬ言動の連続で失態を重ねた。

「上司にはきちんとしろと怒られるし、毎日すごくつらかった」と双雲。周囲の冷ややかな視線に晒され、次第に身体に変調を来していく。

「通勤電車に乗るとお腹を壊すようになって、始発電車に乗ったけどそれでもダメで、会社の近くにぼろアパートを借りました。どうにかモチベーションを上げようと、高級スーツを買ってみたりと、いろいろ工夫をしていましたね」

 あるとき和紙に毛筆で言づけを書いて渡すと、「キレイな字!」と社内で評判になった。少しでも会社時間が楽しくなればとの遊び心だったが、ひとりの女性社員が「初めて自分の名前が好きになれた」と涙を流して喜んだ。

 失笑しかなかった会社員人生で、人に感謝されたのは初めてだった。書家の母のもと3歳から書道を習い、当たり前のように筆に親しんできた。しかし自身の文字が人の心を動かすことを知り、その場で退職を決意。2年半勤めた会社を辞め、インターネットで『毛筆で書く名刺』の販売を始めた。

「あのころはギラギラしてて、“これで世界を変えるんだ!”と思ってました。“1兆円企業を目指す”と話す起業家に対して、“そんな小さい目標でいいんですか?”なんて言ってもいました。生意気も中途半端だとつぶされるけど、僕は“人類の皆さん、僕についてこれますか?”くらいに考えていて、目線が上すぎたから許されたみたい。宇宙人ですよ、宇宙人(笑)」

最初にADHDだと気づいたのは妻

 路上で行った書のパフォーマンスが注目され、新進アーティストとしてメディアで取り上げられた。個展のほかアーティストとのコラボレーションも精力的に展開し、知名度を高めていく。

 2009年放映のNHK大河ドラマ『天地人』で題字を手がけ、書道家としての地位を確立。テレビ出演のオファーも次々舞い込み、その明るく裏表ないキャラクターで人気を集めた。

「“双雲さんは誰に対してもわけ隔てをしないし、いつも楽しそうですね”とよく言われます。確かにそうで、何事に対しても執着がないからエゴもない。そう言うと悟っているように思われるかもしれないけれど、これもADHDの特性のひとつで、執着がないのは継続性がないから。どんどん興味が移り変わるから、常に新鮮ではありますけどね(笑)」

 一方ADHDゆえの失敗談も数知れず。忘れ物、なくし物は日常茶飯事で、ときになくしたことすら忘れてしまう。

「例えば誰かからプレゼントをもらって、“これすごく欲しかったんです!”と大喜びしておきながら、それを置いて帰ってしまう(笑)。その瞬間は本当にうれしいし、感動しているんです。でも執着がないからすぐ忘れてしまう。そんなことはしょっちゅう」

 統計によると、ADHDの割合は子どもで人口の約6〜8%、成人で3〜4%とされている。大人になると数字が半減するが、これは本人が社会に適応しようと努力をした成果の表れで、潜在人口はもっと多いという見方もある。

「僕も47歳になってさすがに反省の仕方がわかってきたし、何よりADHDの特性を知ったことで本当の意味で改善できるようになりました。知らず知らず妻や友達を怒らせたこともたくさんもあって、周りも大変だったと思います」

 ADHDの当人はもちろん、家族や周囲の人間が振り回され、人知れず悩みを抱えることも多い。ADHDだと気づかなければなおさらだ。

「最初に僕のADHDに気づいたのは妻でした。まだADHDという言葉を知らないころ、妻がADHDの本を読んでいたのを後から思い出して。きっと何かがおかしいと思ったんでしょう。僕は“何か”なんてレベルではなかったかもしれないけど(笑)」

 本音と建前の使い分けができず、思いのままを口にする。ある意味素直で、だから隠し事は難しい。

「衝動的で自分でも何をやらかすかわからない。コントロールが不能で、常に爆弾を抱えているようなもの(笑)」

 長年自身のADHDと付き合い、その対策に気づいたと語る。

「ADHDは生まれ持ったキャラクター」

「結局本心が大切なんだなと。心のどこかで相手を批判したりばかにしていたら、やっぱり表れてしまうと思う。僕がやらかしたなというときって、たいてい相手を邪険に扱っているんですよね。だからこそ本当の意味で謙虚になって、心をキレイにしないといけない。今、改めていろいろなことを整理してみようと思って、最近、情報の断捨離を始めました。SNSから離れ、ひとつひとつ丁寧に世界と接していく。そうすることで、自分自身をブラッシュアップできたらと……」

 来年は心機一転、家族とカリフォルニアへ移住を予定。かねて、計画していたが、コロナ禍で延期になっていた。

「ロサンゼルスから90分ほどの田舎町。ピースフルとしか言いようがない奇跡の土地で、誰も家に鍵をかけないし、みんな自由でADHDみたいな人ばかり(笑)。だから僕にとっては居心地が良くて、向こうに行くとストレスが一切なくなるんです」

 昨今はADHDという言葉も浸透し、世間から理解されるようになった。

「とはいえまだまだ生きづらい。苦しんでいる人はいっぱいいるはず。つらいよね、と声をかけたい」

 と話す彼は、ADHDの認知を促すべく専門医との対談本を刊行した。ADHDにとってこの世は息苦しく、それでも社会の一員として生きていく必要がある。ADHDはその自身の特性をどう捉え、どう向き合っていけばいいのだろう。

「ADHDは生まれ持ったキャラクターだから、ほかと比べて落ち込んでも意味がないし、つらくなるだけ。いったん諦めてダメな部分もすべて受け入れ、それをどうするか考えたほうがいい。特性をフルに認めて、自分自身の中で、客観視する自分と主観の自分とで二人三脚をしてみる。その“ふたり”が力を合わせて、“ここは危険だ、こっちに行ったほうがよさそうだよ”と、手を取り合って進んでいけたらいいですよね」

 ADHDの自分を受け入れ、キャラクターを生かし生きていく。それはまた双雲自身の今後のテーマでもあると話す。

「僕はこれからアメリカに行くけれど、そこでどうなるかまったくわからない。誰ひとりとして武田双雲を知らない場所で、もう一度自分を客観視して、ゼロから自分のキャラクターと向き合ってみるつもり。そこでどんな自分が見えてくるのか、何が始まるのか、ちょっと楽しみにしているんです」

取材・文/小野寺悦子

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