40年以上も封印されたカルト映画『バビロン』を解題。カリブ系の若者たちとUKベースカルチャーの夜明け

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2022年11月28日 17:01  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 河村祐介

40年以上にわたり、さまざまな理由から封印されてきた映画『バビロン』。2022年10月にここ日本でも封切られ、その映像とサウンドは全国各地の映画館を揺らしている。

『バビロン』は伝説のレゲエムービーとして、長らくカルト的に知られてきた。舞台は1980年の南ロンドン、主人公はカリブ系の移民2世たち。レゲエ/ダブ好きには言わずと知れた映画ではあるが、レゲエカルチャー以外の視点から見ても興味深い作品であるといって間違いない。

当然、この映画を十分に楽しむにはレゲエに関するある程度の知識が必要にはなってくるわけだが……カリブ系の若者たちの人間模様が映し出す、イギリスという国の持つ複雑な社会背景、あるいはその恩恵たる文化的な豊かさは、人種や移民に関連する差別や問題が表面化する2022年のいま、より広くの人が向き合って然るべきことのように思われる。

そこでCINRAでは、ウェブメディア『OTOTOY』の編集長・河村祐介をガイド役に、さまざまなレゲエ関連書籍を手がける鈴木孝弥との対談を実施。本稿が『バビロン』をより深く理解する一助となれば幸いに思う。

暗闇のなか、巨大なスピーカーの前に集まる群衆、こだまするサイレンと、レゲエの強烈なビートとベースの轟音がエコーするーー1980年のロンドン・ブリクストンを舞台に、レゲエのサウンドシステムクルーの人間模様を描いたフランコ・ロッソ監督の『バビロン』。

ジャー・シャカ(※)が本人役で登場し、サウンドシステムでプレイする貴重な映像が収録されていることから、本作は長らくレゲエファンにとって半ば伝説となっている映画であった。

物語は、そんな王者シャカに挑戦しようとする若手サウンドシステムクルー、アイタル・ライオンおよび、そのMCであり、Aswadのブリンズリー・フォード演じるブルーを主人公に繰り広げられる。彼らのコミュニティーに根づくサウンドシステムカルチャーのさまざまな風景とともに、当時のアフロカリビアン2世の日常とリアルを描いた青春物語といっていいだろう。

その日常には当然、旧植民地からの移民1世である親世代との溝やイギリス社会で育つことの葛藤、そして警察からのいわれなき暴力を含む苛烈な人種差別も含まれる。さまざまな理由で本邦での公開はおろか世界的に長らく「封印」状態となっていたが、このたび40年のときを経て、ついに日本語字幕にてロードショー公開と相成った。

日本公開に際しての映画『バビロン』のメインビジュアル

本作のメインテーマであるサウンドシステムとは、ジャマイカで誕生・発達した、巨大なスピーカーとオーディオシステム一式をクルーが自ら所有し、コミュニティーの各所へ移動し、最新の音楽を鳴らし娯楽を提供する集団、そのカルチャーのことだ。

いってしまえば、移動型のディスコ〜クラブ、選曲のDJ、お客を煽るMC、さらには機材の運搬から設置、音響まですべてこなすクルーでもある。彼らの存在は、スカにはじまり、レゲエ、ダンスホールへと続くジャマイカンミュージックの進化の源泉だ。

サウンドシステム同士のバトルである「サウンドクラッシュ」(詳細は後述)の告知ポスターを貼る、アイタル・ライオンのクルー / 映画『バビロン』より ©1980 National Film Trustee Company Ltd

ご当地では、1940年には成立していたといわれるが、戦後の労働力を担う人々とともにジャマイカからイギリスに流入し、主にアフロカリビアンのコミュニティーの娯楽として定着、シャカを筆頭とするニュールーツレゲエをはじめ独自のスタイルにも発展、さらにはある種のコミュニティー・ミュージックの枠を飛び出し、さまざまな音楽に影響を与えていくことになる。

特にUKが1980年代末以降に生み出したオリジナルなダンスミュージックのスタイルの多くには、このカルチャーの痕跡がある。

それはサウンドシステムシーン由来のDIYなパーティーシーン、もしくはその低音による快楽を宿した音響などさまざまで、たとえばSoul II Soulや、さらにはアシッドジャズを生むことになるウェアハウスパーティーのシーンがそうだ。

もちろんUKの批評家サイモン・レイノルズが「ハードコア連続体」と呼ぶ、レイヴカルチャー以降の一連のベースミュージックの流れ──ジャングル、2ステップ、UKガラージ、ダブステップ、グライムなどもまさに、サウンドシステムカルチャーの音響的な導きなくしては、あのスタイルにはならなかっただろう。

映画『バビロン』は、UKレゲエのある種のドキュメントとしてはもちろん、前述の植民地主義を発端とした社会構造、人々のなかに残る人種差別の意識、そしてサウンドシステムカルチャーが生み出した音楽の伝搬など、さまざまな切り口から考えても、いまこそ見られるべき映画だといっていいはずだ。

とはいえ、この映画をより深く理解するための「補助線」としてレゲエカルチャーの知識が必要というのもまた事実。本稿ではそんな「補助線」を描くため、ここにひとりの識者にご登場願おう。

その識者とは、スカの登場から、現代のレゲエまで、その名盤1,000枚以上をアクチュアルな視点で語り尽くした『REGGAE definitive』(ele-king books、2021年)の著者であり、ほかにもレゲエに関するさまざまな著作・訳書・監修を手がける鈴木孝弥(上映会場で売られている解説ZINE『Music Film Zine Vol.1』にも寄稿)。

レゲエに精通する彼の目から、映画『バビロン』を解題してもらった。

河村:鈴木さんは1990年代に主にパリに住み、ロンドンはもちろん、周辺のヨーロッパのレゲエシーンにも足を運ばれ、さらにはジャマイカにも行かれているそうですね。まずは『バビロン』の舞台になったブリクストンという街の背景から、お話いただけますか?

鈴木:まず話さなければならないのは、1940年代の後半から、いわゆるウィンドラッシュ号にはじまるカリブ系黒人のイギリス本国への移動があったことです。

第二次世界大戦後の復興期、イギリスはカリブ海の旧植民地から定期航路で1970年代まで長らく労働力を供給していた。ブリクストンは、そのカリブ系移民がロンドンに移り住んで形成したコミュニティーのひとつです。

河村:移民第1世代が移り住み、そこを頼った親類縁者がさらに来て、もしくは食えるようになって家族が呼び寄せられて……という。『バビロン』の主人公たちはおそらく生まれも育ちもロンドンの移民2世の世代ですね。

鈴木:そうですね。ロンドンには、カーニバルで有名なノッティング・ヒルとか、テムズ川の北にもカリブやアフリカ系住民のコミュニティーがあります。だいぶいまは変わってしまったみたいだけど、ノッティング・ヒルはドラマ『スモール・アックス』の舞台になっていて当時の様子も伝わってくる。

アイタル・ライオンのクルー(手前から:ラバー、ブルー、エロル) / 映画『バビロン』より ©1980 National Film Trustee Company Ltd

鈴木:ブリクストン・エリアは、「Dub Vendor」のようなジャマイカ音楽の専門のレコード屋が昔からあったり、グレゴリー・アイザックスのライブアルバムの名盤『Live At The Academy, Brixton』(1984年)がレコーディングされたりしている。あのアルバムはカリブ系の若い女性による黄色い歓声がすごくて、そこからもブリクストンにおけるグレゴリー・アイザックスやレゲエに対する人気がわかるというか。

いってしまえば、ブリクストンはUKのレゲエやカリブ系黒人のコミュニティーにおいては、最大かつ一番シンボリックな場所。まあ、『バビロン』のロケ撮影はすべてブリクストンで行なわれたわけではないそうだけど。

河村:『バビロン』といえばエンディングのジャー・シャカの登場シーンが有名ですが、制作された1980年前後というとジャマイカのレゲエでは、ルーツレゲエからダンスホールと呼ばれるスタイルが現場で主流になっていく時代です。

歌詞もスラックネス(性的にあからさまな表現など)も多くなり、1970年代的なラスタファリアニズム(※)を強く打ち出したルーツレゲエが先細っていく時代です。しかし、シャカは1970年代のルーツレゲエのスピリットをそのまま現代まで受け継ぎ、新たな独自のシーンをUKでつくるという。

鈴木:ジャー・シャカはパイオニアでありながら、いまなお現役のレジェンドとしてリスペクトされていることがまずすごいですよね。

鈴木:ジャマイカでは、ダンスホール、特に1985年の「スレンテン」登場以降のデジタルリディム(※)への移行からは、ジョグリンと呼ばれる2台のターンテーブルでリズムトラックをつないでいくことが主流になっていく。

同じトラックでさまざまなシンガーやディージェイが歌ったり、トースティングしている曲が大量にリリースされるような状況があって、その楽曲をどんどんつないでプレイしていくようなスタイルが確立されてくる。

鈴木:このスタイルは、街の人を楽しませる日々の演芸、娯楽であり、社交場であり、街のニュース発信基地であり、野外のオープンバーでもあり、というサウンドシステムの機能がジャマイカにおいて重視されているからこそのこと。そこにスラックネスなんかが生まれてくるわけだけど。

対して、ジャー・シャカは頑として自分のルーツレゲエのスタイルを80年代以降も貫いていく。ターンテーブル1台でやるのも、曲のキャッチーな部分だけをつまんでプレイするのではなく、ラスタファリアニズムの思想に即した1曲のジャー・メッセージ(※)を丸ごと、しっかり聴いてくれ、ということですよね。

マイクも持って、レコードも自分で選んでかけて、一晩とおして全部ひとりでオペレーションをするというジャー・シャカのスタイルは、ジャマイカの若者からしたらかなりオールドスクールなスタイルだと思う。でもやっぱりイギリスのサウンドシステムの指針をつくったのは彼。ヨーロッパ中に、そして日本でもニュールーツのシステムがいまやあるわけだし。

鈴木:あとサウンドシステムといえば、映画のオープニングのダンスシーンの前、アイタル・ライオンのクルーがシステムを自分たちで運ぶシーンがやっぱり大事ですよね。

20年くらい前、ロンドンのよくシャカがやっていた「The Rocket」(※)というスポットに行ってみたら、ジャー・シャカ本人とクルーが車からシステムを降ろしているところに出くわして。ジャー・シャカも自分で自分のシステムを運んでる姿が尊かった。サウンドマンなら当然のことなんですけどね。

河村:PAのシステムを自分たちで持ち込んで、会場から出して、さらには自分たちでメンテナンスしてという一連のサウンドシステムカルチャーも『バビロン』には描かれていますね。

鈴木:あまりレゲエの知識のない人が見たら「なんでわざわざ自分たちのシステムを運んで……クラブにある音響をつかえばいいじゃん」って思いますよね(笑)。そこには「黒人お断り」というようなロンドンのクラブ事情もあったと思います。

河村:そうですね。サウンドシステムは、「ブルース・パーティ」と呼ばれたカリブ系のコミュニティーのDIYなパーティーの発展系と見ることもできますよね。そういったジャマイカ由来のサウンドシステムのカルチャーと、ロンドンのクラブ事情とが歴史的にも結びついているという。

河村:ジャマイカのシステムって基本は街中の空き地とかですよね。一方UKは地下あるいは室内で、野外の轟音と、遮蔽物のなかで気持ちのいい轟音って違うだろうし、ジャー・シャカのニュールーツレゲエのあの音楽性にも通じてくるのかなと。そこはその後のクラブカルチャーのサウンドにもつながってくる感じもあります。

鈴木:たしかに、野外で音が拡散していくなかでかっこいい音はまた違うしね。

シャカのシステムに実際に行くと、ハイレ・セラシエ1世(※)の肖像が前に貼ってあって、その肖像画に向かってひとり黙々と曲をかけ続ける。その背中を見ながら客は踊るんだよね。そうやって見ると、サウンドシステムはある意味で教会の聖堂のようだし、マイクを持っているシャカは司祭のようでもある。

『バビロン』にも、アイタル・ライオンのクルーがキリスト教会に押しかけていくシーンがあるけど、そこには日曜の朝に正装して教会に行くキリスト教徒の黒人もいる。この映画においては、キリスト教のコミュニティーに対してサウンドシステムカルチャーが対置されている、という見方もできるのかもしれない。

河村:今回やっと字幕入りで観ることができて、主人公ブルーの人種差別による苦難に衝撃を受けました。

鈴木:タイトルの元は、聖書に出てくる「バビロン捕囚」。「バビロン」は抑圧の象徴であり、そこでずっと搾取され続ける存在を描いているわけです。

具体的には、アフリカから奴隷としてジャマイカに拉致された人たちの子孫が、今度は広大な植民地を支配した大英帝国側の都合で第二次大戦後に労働力として呼び寄せられ、不景気になると「国に帰れ」と言われるという、なんとも理不尽な話です。

鈴木:『バビロン』は1980年頃のUKにおけるそうした典型的な人種差別のかたちを示していますが、黒人対白人のコンフリクト以外にも、同時にさまざまな人間関係や対立が描かれている。

アイタル・ライオンのクルーにもロニーのような白人の理解者がいて、でも一方でビーフィーのようにすぐに暴力に訴えかけようとしてしまうトラブルメイカーがいる。

結婚式のシーンのあと、白人からひどい差別的な言葉と瓶まで投げられてキレたビーフィーを必死でクルーが止めるというシーンがあるけど、でもそれは彼らが夜中に騒いでたから、というきっかけもあったわけで。

そういった場面場面ごとに、起きるトラブルの質と原因には細かくグラデーションがあり、でもそれらの集積として、理性を超えた脊髄反射が生じてしまう。そうした集団心理がうまく描かれていると感じます。

河村:たしかに、ガレージで爆音で音楽をかけてトラブルになったりとか、学校の備品盗んじゃうとかあります。とはいえガレージで騒いでいるときに、白人のロニーを矢面に立たせたりと、日頃からトラブルのプラスアルファで人種差別的なプレッシャーとか、そこからの鬱屈も暗に感じるシーンでもありますよね。

映画『バビロン』より ©1980 National Film Trustee Company Ltd

鈴木:工場のシーンで、ブルーが工場のオーナーから「大事なお客の仕事だから昼休みなしでやってくれ」って言われて、突っぱねるじゃない?

オーナーは「これをやってくれたら午後は休んでもらってもかまわない」って言ってて、俺だったらそっちのほうが楽だと思うけど、いつもの鬱積したものがあるからかブルーは「昼休みは俺の権利だ」と言ってしまう。それで売り言葉に買い言葉で、オーナーは差別的なことを言ってブルーを解雇する、と。

日々の鬱積が下地にあり、そこにちょっとした日常のきっかけがあれば、すぐに差別的な言動へ、そして大きな問題へとつながってしまう。そういうリアリティーを感じさせる重要なシーンです。なにしろ、この翌1981年に「ブリクストン暴動」(※)が起きるわけだからね。そうやって解題していくと、すごいリアルな映画ですよね。

河村:あとはおそらく、移住1世と2世のあいだにも溝がありますよね。どちらかといえばイギリス社会に教育なども含めて同化しようとする両親と、ファッション的にも独自のラスタ的なラフなスタイルのブルー。イギリス社会に外から入ってきた1世の苦悩や苦労と、イギリスで生まれたのに疎外感を覚える2世のそれはまた違うんだろうなと。

最後のシーンで「学校で教えられる歴史は嘘ばかり」とブルーが歌いますが、それはそのシーンの直前のラスタの導師による「ナイヤビンギ」(※)の儀式や、シャカによる、アフリカ解放思想としてのラスタ的な歴史観のチャント、MCに対置されていると思うんですよ。

というのも彼が学校教育で習った歴史は、おそらく大英帝国を中心としたヨーロッパ的な歴史教育で、だけど親世代としてはイギリスでの教育がなくて苦労したから、せめて子どもには教育を、という気持ちや思いもあるでしょうし。

映画『バビロン』より ©1980 National Film Trustee Company Ltd

鈴木:なんとか身ひとつでカリブ海から渡ってきて戦後復興期の労働力不足のおかげで稼げた1世に対して、2世たちが年頃になったころにはオイルショック後の不景気なんですよね。歴史でいえば、サッチャーイズム(サッチャリズム)が台頭してくるころの話。

逆にいえば、ここで生まれたのに「国に帰れ」なんて理不尽なことを言われるような社会だから、サッチャーが権力を握ったともいえる。ブルーは最終的に両親の家を出て行くわけだけど、それは黒人の側も一枚岩ではないということを示していると思う。

鈴木:あとこの映画がレゲエムービーのなかで画期的なのは、もともと白人中心の国家を舞台にしたところです。

そこはジャマイカ・キングストンを舞台にした『ロッカーズ』や『ハーダー・ゼイ・カム』とはまったく違うところ。もちろん、この2作も名作中の名作だけど、基本的に黒人社会での「バビロン」を描いている。

河村:アップタウンに白人はいるけど、隣人としての白人からの差別は描かれない、という。

鈴木:そうそう。音楽青春映画みたいな部分で『ロッカーズ』と『バビロン』は同じではあるけど、『バビロン』はロンドンの社会における白人からの差別や抑圧、警察からのプレッシャーが描かれていますよね。

鈴木:ただブルーが執拗に警察から追われるシーンは、はっきりとした理由は映画では描かれていないからちょっとわかりづらいけど。

河村:たしかに。ジャマイカとUKのレゲエの歴史を描いたロイド・ブラッドリーの『ベース・カルチャー』(2007年、シンコーミュージック)という名著があって、あの本に「ウォーリア・チャージ」という章があるんですけど、これがそのまま『バビロン』の解説には相応しい感じです。

そこにはブリクストンの暴動などいくつかのアフロカリビアン系の暴動に前後して、「サス法」と呼ばれる19世紀初頭の法律まで持ち出して、彼らに執拗な職質、ときには暴力におよぶ嫌がらせをしていた警察の話も出てきます。

あとは「警察だと思わなかったから逃げた」というブルーの言葉をそのままとすれば、ネオナチ的な集団からのリンチみたいなものが横行していたのかなと。

映画『バビロン』より ©1980 National Film Trustee Company Ltd

鈴木:それもあっただろうけど、問題は、それが単に映画からでは伝わりにくい点です。ブルーは事実あのシーンではなにもやってないわけだから。でも、なにもしてないのに追いかけられる、という場面だからこそ、観ているほうには、権力側や人種差別主義者からの、理不尽で陰険で気味の悪いプレッシャーをブルーと共有できる、という表現技法なんでしょう。

レゲエの歌詞や文献なんかを読んだりしていればある程度は推し量ることはできるけど、40年前の南ロンドンの話を2022年の日本で見て、「なんで警察は追いかけるの?」と感じるのが普通だと思います。

河村:公開当時は、わりと当たり前に行なわれていたことだったんでしょうね。当時のロンドンのネオナチ的な集団といえば、ナショナル・フロント(国民戦線)がいます。

鈴木:ビーフィーがカッとなって、白人を刺しにいこうとするのをみんなが止めようとするシーンでも、壁にナショナル・フロントを示す「NF」って落書きがありますよね。

終盤、破壊されたガレージの壁にも、黒人たちを侮辱する言葉とともに、やっぱりNFって書いてある。70年代以降、80年代初頭の話なので、イギリスにおける当時の排外主義のシンボルとしてNFは出てくる。

河村:衝撃的なところといえば、ブルーの彼女のお兄さんと思しき男とその友人が、ゲームセンターで化粧をして、同性愛者っぽい白人の男性を誘い出して、路地裏で強盗を働くシーンがありますよね。

鈴木:そこもすごく意味のあるシーンだと思います。黒人の肉体性の魅力を感じている白人は、「ゴー・ホーム」と言ってしまう白人とはまったく別のタイプで、そんな彼を暴行して強盗するという。つまり『バビロン』では黒人から白人への暴力があったことも同時に示されている。

「バビロン」=白人中心社会そのもの、でもないという現実社会の複雑性が描かれているんですよね。強盗しようとした側は「歴史的に白人が俺たちを搾取してきたからだ、だからこのぐらいは当然だ」という言い分だけど、ブルーは救急車を呼んで被害者を助けようとする。

ブルー(映画『バビロン』より) ©1980 National Film Trustee Company Ltd

鈴木:ラスタマンであるブルーが、同性愛者と思しき人を助けようとするこのシーンは、いまの時代、この映画にもうひとつの奥深さと価値を与えています。この後年、ジャマイカのダンスホール・シーンから発信された同性愛嫌悪の言葉や考え方が世界に知れ渡りましたが、レゲエを反同性愛と結びつける考え方は、とりわけ今日、あまりに単純過ぎる。

少なくともブルーはホモフォビックなスタンスをとらないし、この場面では、黒人の「男娼」を買春しようとして、黒人から強盗され暴力を振るわれた白人の側に立っている。その瞬間、ブルーにとって人種も性的指向も問題ではないのです。これもこの映画が描くリアリズムだと解せます。

河村:その強盗騒ぎのあと、ブルーが明け方の彼女の家に行くシーンがありますけど、そこはおそらく移民が多く住んでいた「プロジェクト」と呼ばれる公共団地ですよね。『バビロン』では当時のリアルなアフロカリビアンたちの日常が切り取られているんだろうなと。

鈴木:ああいうところもリアルですよね。

河村:リアルな日常というと、結婚式のシーンが重要なのかなと思います。

アイタル・ライオン世代にとってはひと世代昔の音楽であるスカで親戚のおじさんたちが踊り、そしてラヴァーズ・ロックでチークダンスを踊る、というリアルなブルース・パーティの風景が垣間見られる。

ジャマイカから持ち込んだサウンドシステムカルチャーとUK独自の音楽として発生したラヴァーズ・ロックの需要、それらが丸ごと地域のコミュニティーにおける冠婚葬祭にも根づいているという。

鈴木:重要ですね。カリブ系の黒人にとって当時の社会的なメッセージを持ったプロテストソング的なルーツレゲエもあれば、恋の歌を歌うラヴァーズ・ロックもある。

鈴木:もちろんラヴァーズ・ロックにも隠れた政治性があったりもするし、さらにはシングルのB面のバージョンでは、カラオケというか、シンガーがサウンドシステムで歌ったり、トースティングを乗せたり、街の「のど自慢」的なショーや、コミュニティーの娯楽ツールとしての機能もある。

もちろん懐メロ的な過去の音楽は、前の世代にしてみれば遠く離れたジャマイカを思うノスタルジックな音楽でもある。当時のレゲエは、カリブ系移民の人たちにとって、人生のありとあらゆる場面で機能するコミュニティー・ミュージックと考えられると思いますね。

河村:ラヴァーズ・ロックは若い移民2世の女性に向けて、デニス・ボーヴェルがつくりだしたとされますが、それがそのまま映画で示されているともいえますよね。実際に、デニス・ボーヴェルは『バビロン』の音楽総監督というような立ち位置です。

鈴木:この映画用にスコアとしてつくったような曲も、さすがという仕上がりですよね。映画音楽として存在していて、しっかりとレゲエであるという。

デニス・ボーヴェルはポストパンクのダブ、ラヴァーズ・ロックなどをつくりだしたわけですけど、LKJ(リントン・クウェシ・ジョンソン)の楽曲にしても、ポエットが終わって後奏の部分が急にジャジーになったりとクロスオーバーな魅力がある。

音楽の引き出しがすごくいっぱいある人ですよね。UKレゲエにおけるスーパープロデューサーだし、このぐらいのことは朝飯前の鉄板仕事でしょう。

河村:サウンドトラックの話でいうと、主人公のブルーを演じるブリンズリー・フォードとそのバンド、Aswadの“Warrior Charge”がある種のメインテーマとなっています。これはアイタル・ライオンのプロデューサー、ドレッドがブリクストンのレコード店の事務所でわざわざ大金を払う交渉をして手に入れる楽曲です。

リリース前の音源、つまり「スペシャル」を手に入れるというサウンドシステム・カルチャーをしっかり描く意味で重要なシーンですよね。

映画『バビロン』より ©1980 National Film Trustee Company Ltd

河村:ラップのマイクバトルとも違って、トースティングによる煽りはあるにせよ、そのサウンドシステムだけでしか聴けない「スペシャル」でどれだけ会場を盛り上げられるかが当時のサウンドクラッシュ(※)で大事だったことが理解できないと、どういうことがよくわからないシーンかと思います。

鈴木:そこはちゃんとレゲエ好きのためにつくられているところですよね。『ロッカーズ』にもレコードのプレス工場の様子とか、主人公のホースマウスがジョー・ギブスのところに言って交渉して、卸業者として7インチを携えてバイクでレコード店を回ったりと、レコードというものを介して音楽シーンが見える場面がありますよね

『バビロン』のあのシーンでは、シャカとのクラッシューーUKでは「ダブ・カップ」と呼んだりもしますがーーがあるからどうしても強力なスペシャルが欲しい、ということで仕入れに行ったわけなんですよね。

鈴木:未発表のテープの状態で聴かされて、ガレージには10インチのレコードで持って帰っている。あの10インチというサイズは、テストプレスのアセテート盤=「ダブ・プレート」だし、そのあたりはレゲエに触れてないとちょっとわかりづらい。

あと最後のクラッシュのシーンで印象的なのは、シャカのサイレンマシンですよね。サイレンマシンをああやって鳴らすのは彼が発明したものと言われていて。サイレンマシンの不穏な音が生み出す、キリっとしたサウンドシステムの感覚、あれがシャカの独自の雰囲気に一役買っていると思う。

河村:こうやって紐解いていくと、『バビロン』は当時のUKのレゲエカルチャーのリアルなドキュメンタリーとしても見ることができます。

鈴木:2014年に東京でやった「Red Bull Music Academy」のレクチャーで、シャカは「『バビロン』の話はすべて実体験だ」というようなことを言っていましたしね。シャカはシナリオの面でも関わっていたみたいだし、ラストの映像を見ても、じつはあの映画の主役はジャー・シャカという感じがしますね。

鈴木:あと重要な点としては、『バビロン』はイギリスのカリビアンたちを描いた初の映画といわれていますよね。もちろん当時、カリブ系黒人の俳優はいたわけですが。

河村:白人社会を背景として、UKのアフロカリビアンの物語がフィーチャーされたはじめての映画ということですね。

鈴木:そう。1980年当時のイギリスの状況を描いた映画だと思うから、逆にジャマイカ人に見せた感想も知りたいですね。

音楽的には、サウンドシステムというものを考えれば、そのあとのクラブやレイヴカルチャーに続いていく部分はある。そういった後世への影響というのも踏まえて、どういう場所でイギリスのレゲエカルチャーが育まれていったのか、その時代、その場所の雰囲気を感じるのに、最適な映画だと思います。
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