ソニー再生の原点は多くの新規事業にあり 背景に仕事は「組織」でなく「人」がする法則

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2022年12月01日 08:00  AERA dot.

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「始めるのは上手だけど」と苦笑する小松。名の知れたプロジェクトリーダーだ(撮影/写真映像部・東川哲也)
 ソニーグループが営業利益1兆2023億円(2022年3月期決算)をたたき出した。営業利益1兆円超えは国内製造業ではトヨタ自動車に次ぐ2社目だ。家電の不振から復活した原動力は、そこで働く「ソニーな人たち」だ。


【写真】ウェブ上の仮想空間に構築された「エティハド・スタジアム」 短期集中連載の第3回は、小松正茂さん(49)。柔軟な発想と行動力を併せ持つプロジェクトリーダーだ。ソニーの再生の原点を探ると多くの新規事業、そして、背景にある法則がみえてくる。2022年12月5日号の記事を紹介する。(前後編の前編)


*  *  *


 ソニー再生の“原点”は、目白押しの新規事業にある。


 それも、組織単位ではなく、プロジェクト単位の取り組みである。プロジェクトは「集団」ではなくて、「個」の集まりだ。


 仕事は組織でするのではなく、「人」がするものというのが、「ソニーの法則」である。


 ここに、名の知れたプロジェクトリーダーがいる。


「始めるのは上手だけど、まだ儲けてないよねといわれていますよ」と苦笑する達人こと事業開発プラットフォーム新規事業探索部門コーポレートプロジェクト推進部統括部長の小松正茂(49)だ。


 彼がいま、精力的に取り組んでいるのは、スポーツエンタテインメントビジネスの創造だ。彼は、同部門のスポーツエンタテインメント推進準備室統括部長でもある。


■15兆円の巨大市場


 ご存じのように、スポーツイベントは、新型コロナウイルスの影響により、国内外ともに壊滅的な打撃を受けた。密集を避けるため、観戦は中止または入場制限が行われた。チケット収入は激減し、物販も減る一方だった。


 しかしながら、ピンチはチャンスである。試算によると、日本におけるスポーツビジネスの市場規模は、2025年には15兆円になると予想されている。スポーツは今日、エンタテインメントの代表的な存在である。


 ソニーは、ハードの先端技術はもとより、音楽や映画、ゲームの分野でソフト技術を磨いてきた。それを活かせば、新たなスポーツエンタテインメントを創造できる。


 ソニーは20年10月、Jリーグの横浜F・マリノスと「テクノロジー&エンタテインメント分野でパートナーシップに向けた意向確認書」を結んだ。それは思わぬビジネスへと進展する。




■まとめるのが得意


 ソニーは1989年、第一種電気通信事業者免許を取得し、通信の世界に新規参入を図った。ブロードバンド時代への対応である。そこで、通信業界の経験者を募集した。


 それに応募し、ソニーに移ったのが、通信会社の社員だった小松正茂である。


 転職組だ。むろん、だからといって、不利な扱いを受けることはない。ソニーには転職組が少なくない。


 小松は入社5年後、ソニーユニバーシティに参加する。グローバルリーダーを育成する場だ。それが、のちにプロジェクトリーダーを務める際の財産になる。


 リーダーは、目標をはっきり定めたうえで、メンバー一人ひとりを説得し、存分に能力を発揮させなければならない。デッドラインに向けてスケジュールを管理しながら、問題を解決に導く役割も果たさなければならない。


 小松には、もともとプロジェクトリーダーの素質があった。高校時代には剣道部のキャプテン、大学時代にはゼミ長を務めた。


「学生時代から、コミュニケーションをとって、みんなをまとめていくのは得意でした。勝手な発言も出てきますけど、目的と期日をもとに折り合いをつける。そんな経験を積みました」


 要するに、先頭に立って引っ張っていくというよりも、人をまとめるのが得意なのだ。加えて、社内横断的な人脈も構築している。プロジェクトリーダーとして、うってつけの人材といえる。


 小松が最初に取り組んだプロジェクトは、新規サービスの立ち上げだ。


 ガラケー時代に有志社員と始めたプロジェクト「うたとも」がそれだ。


 ソニーユニバーシティで出会ったソニーミュージックの仲間との雑談がキッカケだった。同じ音楽を聴いている人と仲良くなれるサービスを提供できないかな……と盛り上がった。個人レベルのコミュニケーションから始まったのだ。


 そのころ彼は、ネットワークサービスを企画開発する部署にいた。プロジェクトの立ち上げにかかわるうち、いつの間にか、プロジェクトリーダーに祭り上げられた。事業計画書を書き上げ、予算獲得に奔走した。予算が足りないというので、終了したプロジェクトから、不要のサーバーや遊休品をもらって、ワゴンに載せて運んだ。労を惜しまなかった。32歳だった。


 プロジェクトの事業決定の最終場面では、「これは、誰が責任をとるんだ」と聞かれた。


 小松は、ちょっぴり逡巡した。「お前は、やれといわないとやらないのか」と詰め寄られた。「いや、僕、やります」と彼はいったが、自分の意思を示すようにと教えられた。(文中敬称略)(ジャーナリスト・片山修)


※AERA 2022年12月5日号より抜粋


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