母は父に処刑され、自身も処刑寸前に追い込まれ…壮絶な生涯を遂げた“もう一人”のエリザベス女王

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2022年12月01日 16:45  AERA dot.

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崩御されたエリザベス女王2世(アフロ)
『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は、英国での“二人”のエリザベス女王について「診断」する。


【壮絶な生涯を遂げたエリザベス女王1世】*  *  *


 9月8日、英国女王エリザベス2世が崩御された。20世紀から21世紀、激動の連合王国を統治した偉大な君主に追悼を申し上げたい。古くから英国は女王が統治すると発展するといわれてきた。その意味で最初に思い浮かぶのは19世紀、大英帝国の最盛期に君臨したヴィクトリア女王であろう。そして次に思い浮かぶのは16世紀にイングランドをヨーロッパの強国の地位に引き上げたエリザベス1世である。


二人のエリザベス女王


 名は体をあらわすというが、心理学的に人は与えられた名に見合った振る舞いをすることが知られている。我々医師や大学教員には古風な名前の持ち主が多く、映画監督や芸術家には少し変わった名前が多いという研究があるが、出身階級や家庭の教育に加えて、与えられた名にふさわしい行動をとろうと無意識のうちに努力しているのかもしれない。故エリザベス2世の場合、同名のエリザベス1世が名君だっただけに直接の血のつながりはないとはいえ、何らかのプレッシャーを感じていたであろう。


 エリザベス1世はテューダー朝2代目、英国ルネサンスを代表する名君かつ暴君であるヘンリー8世の次女として生まれた(1533年)。最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンに男児が生まれないことに業を煮やしたヘンリー8世がカトリック教会と決別して離婚、再婚したアン・ブーリンとの第1子であったが、その後も男児は生まれず、父王は2番目の王妃に姦通の濡れ衣を着せて処刑してしまう。その後も王妃たちに理由をつけては離別や処刑を繰り返し、都合6人の王妃との間にエリザベス、エドワード、メアリーの3人の子をもうけた。


 ヘンリー8世の後を継いだ王子はエドワード6世として即位するが、生来病弱で、結核(一説には先天梅毒)により15歳で死去、そのあとを継いだメアリは愛する母が離婚されたことを恨んで、カトリックに復帰するとともにプロテスタントを徹底弾圧、「ブラッディ・メアリー」という悪名を残した。母方の親戚スペイン王太子フェリペ(のちのフェリペ2世)と結婚するも子には恵まれず42歳で死去。やっとエリザベスに王位が回ってきた。



処刑寸前に追い込まれ


 エリザベスは母を殺した父によって庶子の身分に落とされたり、その父を恨む姉によってロンドン塔に拘束されて危うく処刑されそうになったり、若年のころから権力闘争と宗教戦争の恐ろしさを痛感していた。そのために、英国国教会を重んじながらカトリックや清教徒に対する厳しい弾圧は行わず、ドイツや北欧のプロテスタント諸国、カトリックのスペインやそのライバルであるフランスと等距離外交を展開。また女王の配偶者を狙って近寄ってくる貴族たちや諸外国の王族を「私は国家と結婚しています」といって適当にあしらい生涯を独身で通した。その間、フランスにおける新教徒と旧教徒の内戦、スペイン無敵艦隊の襲来など何度も危機があったが、宰相バーリー卿ウィリアム・セシルや海賊出身の名提督フランシス・ドレーク卿などの活躍でこれを乗り越え、英国ルネサンスの最盛期を築いた。


 筆者の好きな古楽の世界では、ウィリアム・バードやジョン・ダウランド、アンソニー・ホルボーン、トマス・モーリーなどの作曲家が輩出し、文学の世界では英国史上最大の劇作家ウィリアム・シェイクスピアが活躍したのがこの時代である。


 しかし。


「処女王」の称号を守るために生涯結婚せず、エリザベス1世の没後にはライバルだった遠縁のスコットランドのメアリー女王の長男ジェームズ6世(英国王としてはジェームズ1世)を後継に迎えざるを得なかった。


 エリザベス1世の偉大な生涯は当然ながら、伯父エドワード8世の退位(有名なシンプソン夫人との恋のために王位を放棄)、そして父ジョージ6世の早逝によって、25歳で王位につかざるを得なかったエリザベス2世に影響を与えたに違いない。しかし、エリザベス1世の寂しい晩年に比べると、多くの子供たちや孫たちに囲まれて最期を迎えたエリザベス2世は幸せだったかもしれない。


チャールズという名の国王


 さて、母の死を受けて即位した新国王チャールズは、その名を冠するイングランド国王(スコットランド国王としても)3代目である。面白いことに国によって王様の名前に好みがあるようで、フランスでは聖ルイ王(ルイ9世)以来、ルイが多い。太陽王ルイ14世が有名だが、その曽孫でロココの遊蕩児ルイ15世、フランス革命に非業の死を遂げたルイ16世、そしてその弟のルイ18世まで18人もいる。


 英国で多いのは、ハノーバーから移って王位についたジョージ1世からエリザベス2世の父までのジョージ、エドワード証聖王からエリザベスの伯父まで8人も続くエドワードであろうか。フランスにおける領土を喪失したジョン欠地王のようにケチのつく名前は選ばれない。


 チャールズも英国王の名としては微妙である。前述のジェームズ1世の息子だったチャールズ1世は非常に謹厳実直な性格の持ち主だったようであるが、王権神授説を信じて清教徒が多数を占める議会との妥協をあくまで拒み、革命で断頭台に上るという悲劇の最期を遂げた。


 その息子チャールズ2世は辛くも清教徒革命を逃れてフランスに亡命したが、父の仇を討つために頑張った形跡はなく、フランスやスペイン領ネーデルラントのブルージュで優雅な宮廷文化の吸収と美女たちとの恋愛遊戯に10年を費やした。強権的な指導者オリバー・クロムウェルの没後、清教徒政府の瓦解を受けて王政復古で英国に戻ってきたが、政治は家臣に任せて相変わらず多くの愛妾を抱え、庶子たちはノーサンバーランド公やバクルー公、グラフトン公、セントオルバンズ公など、現在も続く英国貴族の先祖となっている。


 ただ、王妃キャサリンとの間には嫡子に恵まれず、弟のジェームズ2世、そのあとは姪のメアリー2世、アンと続くが直系の子孫は絶えてしまった。そして遠縁のハノーバー家から英語の話せない英国王がヘンデルとともにやってきてこれが現在の英国王室の直系祖先である。


「ピースメーカー」としての期待


 チャールズも物心つくころから、自分が将来は伝統ある王室の後継者であることは意識していたであろうが、先代先々代のチャールズがあまりぱっとしなかったことは面白くなかったであろう。しかし、欧州全体に目を向けると、有名なシャルルマーニュ(カール大帝)や日の沈まないスペイン帝国を築いたカール5世(カルロス1世)など、同名の名君は少なくない。


 チャールズ3世はカミラ夫人に発した“下ネタ”が報じられることもあったが、ご両親や祖父のジョージ6世、曽祖父のジョージ5世のような謹厳実直な君主よりもさらにもう1代前のエドワード7世のようなユーモアあふれる国王になっていただきたいと願う。エドワード7世も母であるヴィクトリア女王があまりに偉大かつ長命で王位に就いたときは高齢であり、治世は10年足らずであったが、保守党(ソールズベリー侯爵とバルフォア)と自由党(キャンベル=バナマンとアスキス)が交互に政権を担当、日英同盟、英仏協商、英露協商を締結、甥で英国に対抗意識むき出しだったドイツ皇帝ウィルヘルム2世とも良好な関係を維持した「ピースメーカー」であった。


 チャールズ新国王は皇太子時代から環境問題や人権には活発に意見を述べてこられたが、中東のイスラム原理主義者、ロシアとウクライナ、中国と台湾など、世界がきな臭くなっている今こそ、国際協調への活躍を祈念したい。


◯早川 智(はやかわ・さとし)
1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など


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このニュースに関するつぶやき

  • エリザベス1世は高校で世界史を選択した人なら知ってるはず。絶対王政時代のキーパーソンの1人。波瀾万丈の生涯が映画化されたこともある。
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