自分の死をプロデュースするということ

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2022年12月07日 14:51  ウートピ

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ウートピ

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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は、自分の死について。仕事で入棺体験と海洋散骨を体験した森さんは、死を明確に意識するようになったのだそうです。その中で、自分のお墓をどうするかという問題について考えるうち、ある想像が広がりました。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2019年6月22日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

最近、将来を度々考える。アラフィフにとっての将来とは、すなわち死だ。

ちびちびと終活などにも手を出しているのだが、周囲からは「まだ早いんじゃないの?」と訝られる。別に死に急いでるわけではないのだが、43歳を過ぎた頃から私は死を意識するようになった。なぜなら、実母が43歳で病死したからである。

ひとは、いきなりいなくなる

実母は丈夫な女性で、医者嫌いでもあった。もとより医者にかかる機会がなく、いつも元気だったと記憶している。その実母がある日の昼食後に、トマトの皮を吐いた。胃薬を飲んで数日間ごまかしていたのだが、微熱もあり、いかんせん容態がすっきりしない。ようやっと重い腰を上げ町医者に診察してもらった結果が、胃痙攣だった。が、これがどうやら誤診だったようで、2〜3日後にあっけなく母は亡くなった。私が10歳、姉が13歳の時である。

人は、いきなりいなくなるのだ。

後にも先にも、当時ほどの強烈な空虚感を味わったことがない。私はひそかに43歳を迎えるのがこわかった。43歳を過ぎたらいつ死んでもおかしくないと、心に深く切り刻まれていたのだ。実際、43歳というか40歳半ばで何らかの病を発症した知人もいたし、同級生が亡くなったと風の便りで聞きもした。私も健診にはまめに通うようにしたし、少しでも体調が悪ければ医者に駆け込む。実母とは正反対の性格になった。

もともとがM体質なのかどうかわからないが、胃カメラや大腸内視鏡検査など、若干痛みを伴う検査もわりと早いサイクルで受けている。ちなみに、肛門からお湯を流し入れて大腸を洗浄するコロンクレンジングもかなり前に体験しているし、水素点滴にもチャレンジした。血液クレンジングだけはちょっと敷居が高く……、まあ、なんていうか、健康維持の目的もあるけれど、エステ半分というか、プレイ的なものが好きなのかもしれない。

自分の死をプロデュースするということ

プレイ的なものといえば、かれこれ1年半以上前に入棺体験をした。仕事の一環だったのだが、仕事を抜きにしてとても興味深かった。だって通常は死んでからじゃないと棺桶って入れないでしょう。生きている間に死を味わうって、なかなかできない。しかも自分にあてたお経や弔辞(自分で自分に書く)など聞けないではないか。詳細は省くが、死に対する意識がより身近に感じられ、さらにカジュアルに向き合えるようになった。

この入棺体験に次ぎ、やはり仕事で海洋散骨にも参加したのだが、よりいっそう死が近しいものと感じ、死をプロデュースすることに燃えてきた。誤解されては困るのだが、死にたくなってきた、というのではなく、また死を薦めているのでもない。死を明確に意識すると、生というか生き様もまた明確になってくるのだ。明確にしなければならない、といおうか。1日1日が尊く思えてくる。つまり、死のプロデュース=生のプロデュースなのだ。

その流れで私が注目しているのが、お墓のシェアリングだ。読んで字のごとく、血縁者ではない他人同士でお墓をシェアするのである。おそらく随分前からこういう動きはあったと推測するが、ニュースで見た時はちょっとびっくりした。私も終活からのお墓問題には悩んでいて、夫は好きだけど夫の実家の墓には入りたくないとこっそり思っていた。

ならば夫婦(プラス飼い猫)の墓を買わねばならないのだが、昨今、お墓などおいそれとは買えない。だったら樹木葬はどうだろうと近場の樹木葬墓地を調べてみたら、数年待ちだった。それなら海にまいてもらおうか、と思ったが、実は私、昔から水が苦手なのだ。プールや川で溺れた過去があり、海にまかれたら成仏できない気がする。

ならば遺骨を指輪やネックレスにする方法もあるが(これがとても美しいのだ)、誰が私の遺骨アクセサリーを身につけるのだろう。年齢からして私より先に夫が死ぬだろうし、他人の遺骨アクセサリーをもらってよろこぶ奇特な人もいないだろう。

「夫と同じお墓に入りたくない」と思う妻たち

うっすら悩んでいた矢先に、お墓シェア情報! これだ、と思った。そうそう、私独自の調査だが、既婚者では「夫と同じお墓に入りたくない」と思っている妻の割合が高い。夫側は当然一緒だと踏んでいるらしいが、妻側は違うというのだ。経済的理由またはその他の事情で離婚はできないけれど、死んでからは別れたい、お墓まで一緒なんて御免だ、と辟易している妻達が、夫の想像をはるかにこえて多いのだろう。

そんな妻達にとっても、お墓シェアは需要があるのかもしれない。生前にこっそり手続きできるかもしれないしね。

私は死んだことがないし、臨死も未経験なのだが、自分が入るお墓に他人が数人いるというのは、なんだか楽しそうだ。魂の合コンみたいじゃないですか。人生観なども共通している人がきっと集まってくるのだ。まったく気が合わない(魂が合わない?)人(魂?)はいないと推測する。

たぶん、男同士とか女同士とか、男女混合とか、様々リクエストもあるだろうし、地域や趣味趣向も似通っているだろう。デリケートな問題だもの、要望も事細かく聞いてくれて、できるかぎりニーズに合わせてくれるに違いない。

人によっては、見ず知らずの他人とお墓を共にするなんて信じられない、と嫌悪するかもしれない。やっぱり先祖代々のお墓へ入るのが筋だ、という確固たる思いも納得できる。私も、できれば私の実家のお墓に入りたいのだが、私は結婚した身だし、これから継母が入り、もしかしたら姉が入るので、定員オーバーな気がするのだ(すでにいくつもお骨が入っていらっしゃるので)。

人の生き方や身の振り方が多様になってきた時代、お墓に関してももっと間口を広げてもいい。見ず知らずの他人と……、と言うけれど、新しい人と知り合う時って緊張するけれどワクワクしませんか。死んでからワクワクしてどうする? という意見もあるかもしれませんが(もっともワクワクが何なのかもわからなくなるかもしれないけれど)、死後にワクワクが待っている、と思うと、ワクワクするために頑張って、生きている間もワクワクすっぞ!と気合が入りませんか?

同じ志(?)を持つ人々(魂)が集まって、ひとところで生活(?)するのだ。生前は見ず知らずの他人、死後は友達、もしくは恋人にだってなれちゃうかもしれない。まあ、一括りにしなくても皆で性別もシェアしちゃえばいいかも。死後、性別ってどうなるのだろう。あまり深く考えなくてもいいか。

とにかく、私はお墓シェア、墓友はアリだと思う。先にも言ったが、死を明るくとらえると生も明るくなって、1日1日が本当に尊く、人生をもっと充実させようと改めて思えるのだ。

神様はお墓の中までは関与していない

「病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞操を守ることをここに誓います」

言わずもがな、結婚式での誓いの言葉だ。死がふたりを分かつまで。これによると、お墓の中まで神様は関与していない。家族と離れたところで、誰か思い出の人と一緒にお墓に入りたいとか、生き別れになった恋人と一緒にお墓に入りたいとか、まさに「骨まで愛して」といった心境の女性はいないかな、とちょっと怖いけど想像してみた。わりといるかもしれない。

いや、リアルに愛人同士がお墓をシェアするのも可能だってことだろうか。示し合わせて、そういう手続きを取る人もいたりして。ハーレム状態のお墓もアリかもしれないし、そうなるとまるでお墓がキャバクラかホストクラブ状態になりそうだ。魂同士でもめるのかな?

それは冗談だとしても。愛人の元夫や元妻が、お互いの配偶者のお墓参りでバッティングしちゃって、そのふたりがいい感じになるのはアリかもしれない。それはそれでご縁だし、いいと思う。まさに人類皆兄弟な美しさだ。

入棺体験も海洋散骨も、年配の方だけではなく若い方も参加していた。20代〜30代の独身男女だ。特に入棺体験は皆様「生き方を見なおすいいきっかけになった」「生まれ変わった気がする」など、明るい表情で語っていた。生と死って表裏一体なのである。そういえばセックスで生々しく生きている瞬間に「逝く」って叫ぶものね。なるほど、これって真理なんだ。しみじみ思った私である。

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