50歳で東大に再入学した小椋佳、つまらない授業に「ダメ出しした」 大宮エリーとの対談で明かす

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2022年12月09日 17:00  AERA dot.

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大宮エリーさん(左)と小椋佳さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)
 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。8人目のゲスト、シンガー・ソングライターの小椋佳さんは50歳で東大に戻り、大学院でも学んだそうで……。


【写真】大宮エリーさんと小椋佳さんの2ショットはこちら*  *  *


小椋:僕、東大に通算10年行ったわけだな。最初4年で卒業して、50歳で学士入学し、大学院にも行って。


大宮:なんで東大に戻ったんですか。


小椋:哲学やりたくて戻ったの。でも、文学部の入学試験科目に、外国語が二つも入っているんだよ。


大宮:えーっ。


小椋:9月に銀行を辞めて、翌年の1月に入学試験でしょ。銀行で英語はずいぶん使ってきたからいいとしても、もう1カ国語を4カ月でマスターするのはちょっと難しい。


大宮:無理ですよ!


小椋:それで、僕と同期の、のちに名誉教授になった哲学の主任教官に相談したら、そいつが「卒業した学部に再入学するなら、筆記試験はない」って言うんだよ。僕は法学なんかもう絶対やりたくない。そうしたら、またバカだなって言われてね。東大に入っちゃえば、いくらでも文学部に聴講に行けるじゃないかと。


大宮:ああ、なるほど。


小椋:だから入っちゃえばいいんだということね。法学部にまず入ったの、面接だけで。それでほとんど文学部の授業を受けてた。


大宮:へー!


小椋:ところがね、東大に入り直して、勉強しだしたら、面白くてしょうがないんだよ、これが。昔、大っ嫌いだった法学がさ。


大宮:いい話。


小椋:法学部って、公法、私法、政治学と三つのコースがあるの。僕は1度目は私法、2度目は政治学コースを取ったわけ。50歳になって、学生に戻ったら、授業が面白くてしょうがなくてさ、何か。授業が終わったら図書館に行って。朝一番から夜まで皆勤賞。


大宮:先生もプレッシャーですね。小椋佳が見てるって思うとね。


小椋:30年ぶりに大学の授業を見たら、最初はつまんなかったんだよ。30年前と同じ教え方をしてるわけ。教室に来る学生の数が、月ごとに減っていくんだよね。それで研究室に行って言ったわけ。「先生、教え方変えなきゃダメだよ」って。大学の講義っていうのもエンターテインメントだ、と。100分の授業が終わるまで、一瞬たりとも学生が飽きない講義はこうやるんだって。



大宮:どう教えたんですか?


小椋:5分に1回笑わせる。


大宮:え、難しいじゃないですか!


小椋:大変だよ、ステージっていうのは。それから「あ、初めて聞いた話だ」みたいな情報を出す。


大宮:東大の授業を面白くした男!


小椋:いつも3列目ぐらいに座ってたら、授業が終わると教授が聞きに来るわけ。「今日はいかがだったでしょうか」って(笑)。


大宮:(笑)。


小椋:50歳から取った何十科目は全優ですよ。本当は2年間あるはずなのに、1年で単位オーバー。で、2回目の東大はそこで卒業。


大宮:2回も!


小椋:で、やっぱり文学部に入らなきゃダメだって思って。それから1年間、フランス語を勉強して、翌年、哲学科に入り、3度目の卒業をして、修士課程へ進みました。


大宮:なんと! 小椋さん、なんでも達成しちゃう。いまは何に夢中になってるんです?


小椋:自分で戯曲を書き下ろして、自分の納得いくミュージカルを一本作って死にたいなっていう希望があるんです。それから、舞台をする人たちの基地もつくってる。代々木駅の近くに。来年8月に完成します。人生の最後に何かやろうかなと思って。僕なりの社会還元です。


おおみや・えりー/1975年、大阪府出身。99年、東京大学薬学部卒業。脚本家、演出家などを経て画家として活躍。クリエイティブのオンライン学校「エリー学園」「こどもエリー学園」を主宰。瀬戸内国際芸術祭(岡山県・犬島)で「光と内省のフラワーベンチ」を展示


おぐら・けい/1944年、東京都生まれ。67年、東大法学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。71年、初アルバム「青春〜砂漠の少年〜」を発表。退職して、94年に法学部に、96年に文学部に再入学。2000年、大学院修士号取得。ファイナルコンサートツアー「余生、もういいかい」開催中


※AERA 2022年12月12日号


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