生産者や職人までも報われる料理界を作るために 「エテ」オーナーシェフ・庄司夏子

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2022年12月09日 18:00  AERA dot.

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コックコートは着ない。ファッションブランド「アツシ ナカシマ」のエプロンがトレードマークだ(撮影/岡田晃奈)
 「エテ」オーナーシェフ、庄司夏子。今年、「アジアのベストレストラン50」での最優秀女性シェフ賞をはじめ、国際的な賞を次々と受賞した庄司夏子。料理の世界でこういった賞に、日本人の女性シェフがノミネートされることすらほとんどない。その扉を庄司は、こじ開けてきた。店と料理がすべて。自分の名前を世界で高めることで、生産者や職人までも報われる料理界を作りたい。


【写真】厨房のスタッフは女性3人。庄司は料理、接客、掃除すべてを担当し、表と裏双方に立つ*  *  *


 東京・代々木上原の住宅街の一角。秘密めいた入り口でインターホンを押すと、静かに扉が開かれる。小径を通った先のレセプションで村上隆のシルクスクリーンに迎えられ、そこからインゴ・マウラーのライトが照らすシックなダイニングルームへ。窓の向こうの庭園には、先鋭的なオブジェが光の中に浮き上がる。


 わずか70平方メートル、最大客席6人というレストラン「エテ」が今、世界中の美食家たちから熱い視線を浴びている。美食の館といえば、有名シェフを頂点とするピラミッド体制で大人数のスタッフを回す、本場フランスの「グランメゾン」が料理界の標準だが、その対極にあるミニマムな空間で、それらに挑んでいるのがオーナーシェフの庄司夏子(しょうじなつこ)(33)である。


 メニューを追っていこう。前菜は塩とスパイスをきかせた雲丹(うに)のタルト。次にメイヤーレモンをくりぬいたカップに、エシャロットソースであえた甘鯛(あまだい)のタルタル。カップにはグレープフルーツの果肉を一つひとつ張りつけて、マーガレットのようにこしらえた蓋(ふた)が、色鮮やかな花々に埋もれてのっている。


 タコスの皮で巻いた秋刀魚(さんま)のフィンガーフードと和梨のソース、甘鯛のうろこ揚げを目の前で松茸(まつたけ)のスープにジュッと落とし込む香ばしい一品……とコースは進み、圧巻は庄司の代名詞であるデザート「フルール・ド・エテ」。鮮やかなマンゴーのタルトが漆黒のテーブルに置かれ、その周囲に大輪のバラが、庄司の手によってちりばめられると、ストイックな空間がパリ・オペラ座のようなゴージャスな世界に一瞬で変化した。


■男性シェフは認められても 女性は通過できない


 庄司は今年3月、料理界のワールドカップと称される「アジアのベストレストラン50」で「最優秀女性シェフ賞」を、9月にはシェフに焦点をあてた国際賞「ザ・ベスト・シェフ・アワーズ」で特別賞の「フードアート賞」を獲得。2020年に「アジアのベストレストラン50」で受賞した「ベストパティシエ賞」と合わせて三冠を達成した。いずれも日本人女性初という輝かしい形容詞付きだ。



「どの賞でも特別か、いちばんいい賞を狙っていました。そうやって名前を覚えてもらうことが、今の私にはとても大事だから」


 170センチの長身に、均整の取れたスタイル。授賞式では、脇腹が大胆に開いたロングドレスや、全身に深紅のバラを散らしたスパッツドレスという装いでレッドカーペットを歩く。愛想笑いをしない口元から出る言葉は不敵だが、その真意は、料理界に次の一ページを開きたい、というひたすらな思いにある。


「日本人に限らず男性シェフは世界で認められていますが、こういう場でノミネートされる日本人女性はいません。差別というよりも、料理界における“ふるい”の目が細かすぎて、それを通過できるのが男性だけだからなんです。私は、その目を少しでも粗くしたい。私のような小さなロールモデルでも、そして女性でも、ランクインできるって、みんなに知ってもらいたいんです」


 料理の世界は経済と同期しながら、グローバル化、ボーダーレス化が激しく進んでいる。それとともに、お金に糸目をつけず美食体験に邁進(まいしん)するガストロノミスト、フーディーと称される人たちの、独特な市場が世界規模で形成されている。前述の料理アワードや、ミシュランのようなガイドブックがランク付けをすることで、レストランとシェフ間の競争は激化する一方、頂に至る道は年々、狭く、険しく、時に迷路のようにもなっている。


 今年、ザ・ベスト・シェフ・アワーズで特別賞を受けたシェフ11人のうち、女性は庄司を入れた4人だった。アンヌ=ソフィー・ピックはフランスの著名な三ツ星レストランの後継、アナ・ロスはスロベニアというフーディー未踏地からの新星、ジェシカ・ロスバルは移民女性に料理を教えるNPOの共同創設者と、料理以外にそれぞれの強いアピールポイントを持つ。「世界のベストレストラン50」で5回、世界一に輝いたコペンハーゲンの「ノーマ」は、蟻(あり)や苔(こけ)を食材に加えるという衝撃的な創意で注目を集め、そこにマケドニア系移民というオーナーシェフ、レネ・レゼピの物語が重なっていた。


 世界に打って出るには「日本人」「女性」というキーワードは、もはや何ほどのインパクトでもない。言葉を換えれば、庄司はほとんど徒手空拳で世界に挑んでいる。今年は7月から11月までロンドン、ドバイ、マドリード、メキシコ、LA、モルディブと、息もつかずに世界中を渡り歩き、美食イベントに登壇しながら顔を売った。


「今年と来年前半がマジ勝負だと思っているんです。世界的なアワードをとれば、スタッフと食材の生産者さん、店を支えてくれる人たちに報いることができる。私のような人間が注目されることで、未来も開けていくはずだ、って」



■出勤途中も栗の皮むき 満員電車で束の間の睡眠


 燃える野心の原点は、中学生の時に家庭科の授業で作ったシュークリームだった。オーブンの中でシュー生地が膨れる様子に感動し、家で作ったものを友人に配ったら、みなから「おいしい」と喜ばれた。


 それをきっかけに、食物調理科がある駒場学園高校に進学。菓子作りの腕を磨くとともに、料理の綿密さを身につけられるフレンチのシェフを目指すことにした。同校は「フロリレージュ」(東京・青山)の川手寛康らモダンフレンチの旗手が輩出していた。庄司を教えた副校長の戸塚哲夫は、庄司の中に「個性的で、負けん気が強くて、貪欲」というシェフの条件を見る一方で、気持ちは少し複雑だった。


「シェフになるなら雇われでなく、独立を目指せ、と生徒たちを鼓舞していましたが、レストランは過酷な割に儲(もう)けにならない世界。効率を考えると質が落ちるし、質が低ければ評価もされない。大半の女子生徒が選ぶ栄養士の道を勧めるべきか、と迷っていました」


 高校時代の後半は、都内のブライダルレストランで、就職を前提にしたインターンを務めた。それが出発点となるはずだったが、研修期間中に経営が破綻し、調理人は全員解雇に。何が起こったかも分からないまま、「1時間以内に退去してください」という非情な通告を聞いた。


 その後、戸塚のつてで代官山の「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」(現レクテ)を経て、フロリレージュに入店。パティシエとシェフの右腕であるスーシェフを務めることになる。


 現場は聞きしにまさる厳しさだった。前夜の仕事が深夜を回っても、朝は7時台に店に入り、ガラス磨きや掃除などの立ち上げ準備と、仕込みを行う。デザート補助だった当初は、栗の皮むきのような単純作業が割り当てられる。時間が足りなくて、出勤途中の信号待ちでも、手を休めずに皮むきを続けていた。


「1日14時間以上働いて、それが週6日。いつもヘトヘトで、満員電車で通勤する朝は、人に挟まれて、立ったまま、ちょっとだけ眠れる。それがうれしかった」


 人が次々と辞める中、庄司が続けられたのには、料理への理想とともに、もう一つの理由があった。


「妹と暮らしていた時の方がずっと大変だった。その経験があったからですね」


 2歳年下の妹には重度の知的障害があり、少しでも不安なことが起きると、パニックに陥り暴れ出すので、24時間の見守りが必要だった。


「電車に乗っている時なんかにパニックが起こると、みんなが私たちを見る。その視線におびえながら、私は思春期を過ごしました。そのことは今も自分の中に残っていますし、母も私もずっと緊張の中にいました」


 庄司が高校に入学した時に、妹の介護施設入居が決まり、緊張は一時緩んだが、他方で父のアルコール依存が進んでいた。忙し過ぎた庄司は、それに気付くこともできなかった。父の余命が1週間と告げられた時でも仕事は休めず、最期を看取(みと)ることはできなかった。その現実に心が折れ、川手への恩義もそこそこに、3年半でフロリレージュを飛び出した。


 先が見えないまま、シティーホテルのレストランでホール担当のアルバイトをする中、一通のメールが庄司の進む道を開いていく。


「なっちゃんのお菓子が忘れられない。私の結婚式で、ウェディングケーキを作ってもらえませんか」


 メールの送り主は、フリーエディターの山本久美。庄司とはフロリレージュ時代に、女性誌の人気シェフレシピの連載記事を通して親しくなり、街場の名店を一緒に食べ歩いてもいた。


■美しいフルーツのケーキが 話題になり予約殺到


「撮影用のお菓子を現場で作っていたのがなっちゃん。それがとてもおいしかった。おいしいだけではなく、見せ方までを納得するまで作り込む。彼女自身、スター性を秘めていて、お父さんのことで弱って、現場を離れてしまうのは、あまりにもったいなかった」(山本)


 ウェディングケーキは大好評だった。「自分が作ったもので人が喜ぶ」という原点を目の当たりにして、料理への闘志が再び湧きあがってきた。しかし、不義理をした川手の店にはもう戻れない。独立するしかない、と心を決めた。23歳の時だ。


 通常、レストランを開店するには、小規模でも4千万円の初期資金が必要といわれている。だが、若く、女性である庄司に、そんな資金を貸してくれるところはどこもない。母からの援助を元手に、日本政策金融公庫でようやく1千万円の融資を得て、代々木公園の裏手にあるマンションの一室を借り、たった一人で店づくりを始めた。


(文中敬称略)


(文・清野由美)


※記事の続きはAERA 2022年12月12日号でご覧いただけます。


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