滋賀野洲ボーイズから『第5回 WBSC U-15 ワールドカップ』メンバーに選ばれ、ショート兼ピッチャーとして活躍した辻琉沙選手。スーパーラウンドでキューバを7回4安打無失点に抑えた好投は話題にもなりました。そんな辻選手に、小学生時代に所属した多賀少年野球クラブでの思い出、U-15日本代表で経験したことなどについてお話を訊きました。
【中学での自信に繋がった、野球の知識と経験】
——野球をはじめたきっかけを教えてください。
3つ上の兄の影響です。多賀少年野球クラブ(以下、多賀)に入ったのは体験に行った保育園のときです。
——試合に出始めたのは何年生の頃から?
3年生チームの試合に2年生くらいの時から出ていました。
——多賀は、今は「楽しく!強く!」という方針で練習をしていますが、以前は練習が厳しかったそうですね。方針が変わったのは何年生の時でしたか?
5年の時でした。徐々に「楽しい」方向に変わっていきました。
——方針が変わったとき、どう思いましたか?
褒められることが多くなって嬉しかったですし、野球が楽しかったですね。それまでは厳しいことが「普通」だと思っていましたけど、方針変更した後と比べたら、それまでの厳しい練習は楽しくなかったかもしれないです。
——多賀で一番思い出に残っていることは?
冬の集中ノックがしんどかったことです。本当にきつくて。でもしんどいことを乗り越えられたことで精神的に強くなれた気がします。
——小学生時代には阪神タイガースジュニアにも選ばれていましたが、選抜チームで野球をやってみて感じたことなどはありますか?
技術的には上手い子が多かったですけど、「野球」に関してはみんなが知らないことを自分が知っていることが多くて、(選抜チームでやっていることよりも)多賀の方がレベルは高いなぁと思いました。
——具体的にいうと?
一番は走塁ですね。ピッチャーが投げた直後のボールの軌道を見て、ランナーがスタートするかしないか判断するとか、多賀ではすごく高度なことをやっていたんだなぁと改めて思いました。
——振り返ってみて多賀で野球をやって良かったと思うことは?
全国大会等にもたくさん出られて、他のチームよりも経験値を積めたこと。あとは技術もそうですが、さっき話した走塁とか判断力とか、そういう野球の知識とかプレーの引き出しとかを増やすことができたことです。それが中学に入って自信に繋がったかなと思います。
【世界で経験した「日本では見られないボール」】
——中学から滋賀野洲ボーイズ(硬式)に進みましたが、ボールの違いなどで苦労したことはありますか?
一番は打球が怖いということですね。あとはバッティングでは変化球です。小学校の時はコースで狙うことはあっても球種を狙うことはなかったので、どの球を狙っていいのか、初めは分からなかったですね。
——U15日本代表に選ばれましたけども、初めて日本代表として世界で戦った感想は?
環境が大きく変わったので対応できない部分がありましたし、世界の選手達は体が大きいので球が速かったり、打球も遠くに飛ばしたり、打球速度も速かったり、そういう面では負けていると思いました。でも日本の「細かい野球」で勝てる部分も多くて、アメリカにも勝てましたし、技術的な部分では日本は負けてないと思いました。
——すごい選手もいましたか?
アメリカのピッチャーは147キロくらい出ていて速いし、変化球のキレもすごかったです。ストレートも外国人ピッチャー特有の動くボールだったり。「真っ直ぐだ!」と思って振ったらバットの芯を外されるような、日本のボーイズリーグではなかなか見られないボールでした。
——そういった体験は帰国後に生かされていますか?
ツーシームとか動くボールはすごく武器になるなと思いました。なのでU15監督の鹿取義隆さんが僕と同じサイドスローだったので、投げ方をすぐに教わって、今でも電話とかで教えてもらっています。
——ボーイズリーグを引退後の現在はどんな練習をしていますか?
今はネットに向かっての投げ込みなどをしています。
——最後にこれからの目標を教えてください。
甲子園に出ることはもちろんですが、U18の代表に選ばれることです。
(取材・写真:永松欣也)
プロフィール
辻 琉沙(つじ りゅうさ)
2007年8月3日生まれ
ポジション:投・内
身長/体重:175cm/65kg
投打:右投右打
【経歴】
多賀少年野球クラブ(多賀町立多賀小学校)
滋賀野洲ボーイズ(多賀町立多賀中学校)