約58%のシングルマザーの年収が200万未満であり、養育費をもらっている母子世帯は24.3%に留まるという日本。(※1)
※1厚生労働省『平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果報告』より
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000188147.html……おいおい、家父長制からはみ出すものに冷たすぎやせんか、養育費は義務じゃないのか?と疑問は山積み、暗澹たる気持ちになるが、今まさに離婚に踏み切りたい母親たちに必要なのは、思想でも批判でもなく、「子どもの心のケア」と「子育ての手」と「金」である。
そこで、子どものショックを少しやわらげ、父親と交流することで養育費を払ってもらいやすくなる手段に「共同養育」というのがある。
じつは我が家もこの方法を取り入れており、順風満帆とは言いがたくても“シンカゾク”メンバーがそれぞれ「ま、悪くないか」という運用になっている(……と思いたいところだ)。この記事ではそのあたりを掘り下げてみたい。
■共同養育ってなあに?
共同養育とは何かを一文で表すならば、「離婚しても親はふたり」を前提とし、シンフウフ(元夫婦)のパートナーシップに基づいてつくる、子ども優先の養育形態のことだ。
離婚をすると、行政では世帯環境を指して「ひとり親」という言葉が使われるが、血肉を分けて誕生した子どもにとって、離婚しても親はふたり。大事だからもう一度書いちゃう、≪親はふたり≫なのだ。
これは一生変わらない事実であって、元夫婦もこのマインドを持つことが前提となる。戸籍上で他人となる元夫婦だが、子どもを一緒に養育していく育児パートナーとなるわけで、ここではその関係を“シンフウフ”と呼んでおく。
そして、共同養育において最も重要なのが、子どもの行動の自由を保証することだ。別居している親にも会いたいときは会い、連絡したいときはできるように。同居している親の顔色をうかがわずに、子ども個人がのびのびと気持ちを言える環境をつくることである。
肝に銘じたいのは、親どうしが不仲であれ、それは元夫婦のヨコの関係性であって、親子のタテの関係性とはちょっと違うということだ。子どもはたいがい「できることならパパとママに仲良くいてほしいけれど、それが無理だと分かって悲しい。でもぼくあたしとママ、ぼくあたしとパパは仲良くいたい」と望んでいる。
大人の都合で決めた離婚に子どもは巻き込まれるほかないのだから、子どもの気持ちを優先するのは当たり前のことではある。……が、大人たちは頭に血が上って当事者である子どもたちのことを考える余裕がない場合もあるのだ。
ちなみに「共同養育」と「共同親権」は響きが似ているためよく混同されるが、私は構造面で真逆だと思っている。あくまで私の肌感であるが、共同親権が語られるときの主語の多くは「大人」であり、自分の権利を主張する攻撃的なトーンが目立つ。残念ながら共同養育のようなシンフウフのパートナーシップが成り立っておらず、子どもの立場や気持ちを大事にしている印象がない。
今後、もし導入されることになったら、法律やルールのハード面にこだわるより、子どもに負担が少ないよう運用するソフト面を上位に考えるようになってほしいと願っている。
■シンカゾクの数だけある共同養育のスタイル
共同養育はシンフウフがつくっていくものであるため、関係性によって過ごし方にグラデーションがある。私が見聞きしたなかでは以下のようなパターンだ。
【パターン1】
子どもの学校行事などに共同で参加し、一緒に外食やレジャーを楽しむ。猛者はシンカゾクで旅行もするため、傍目からは戸籍上の家族に映る。
【パターン2】
子どもを一方の親へ受け渡すときだけ、顔を合わせる関係。学校行事等にも参加するが、連絡は事務的に行う。
【パターン3】
元夫婦は対面することなく、共同養育のサポート団体(※2)の手を借りて子との対面を行う。学校行事等にも参加するが、親同士は顔を合わせることはない。
※2共同養育の詳細は「一般社団法人りむすび」WEBへ
https://www.rimusubi.com/最近では、窪塚洋介さんや石田純一さんらが、名称は掲げていないものの実質的な共同養育を実践されていることが公表され、アヴァンギャルドな方たちはさすが時代の先を行っていると唸ったものだ。
我が家は上記パターンの1と2の間くらいだろうか。皮肉なことに離婚して共同養育を始めてからのほうが、私の自由時間が増えた。結婚してワンオペ、離婚してツーオペとなり、私の学びや遊び、睡眠に時間を割けることになったのがうれしくありがたい。子どもたちにとっても、拠点が2つあると楽しいようだ。
だが、もちろんメリットばかりではない。子どもたちから「大好きなパパとママが両方一緒に家にいるときがなくて悲しい」と根本的なことを言われたら、養育形態の一手段に過ぎない共同養育ではなすすべもない。
■共同養育は離婚を助長してしまうのか?
この問いに答える前に、私はまず「そもそも離婚とは何なのか」を問いたい。
残念なことに、外野からすれば子どもの立場をおもんぱかって「両親の離婚は悪」と判断されることがほとんどだ。冒頭で、家父長制からはみ出したものに冷たい日本と書いたが、とくに戸籍から出ようとする妻(嫁)に冷たいとも言え、「子どもがかわいそう」「貧困は自己責任だ」などという誹謗はしばしば元妻に集中する。
どうやら子を産み育てることは、夫のいる妻が粛々となすことという観念がこびりついているようで、さすがジェンダーギャップ指数116位(※3)の停滞した風土である。
※3ジェンダーギャップ指数
https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2022/202208/202208_07.htmlしかし、離婚の理由は夫婦の数だけある。不貞やDVなど明解なものもあれば、私の友人夫婦のような「夫が勉強に打ち込みたいから」という外野じゃ分からない理由もある。我慢を要求され、試行錯誤をしてもなお改善できない関係性だと判断したからこそ、夫婦は婚姻解消に踏み切るのである。とりわけ「我慢は怠慢」だと考える私にとって、離婚は豊かな人生へ向けた再スタートという意味あいのほうが強い。
さらにいえば、婚姻の有無と子育ては地続きであってもイコールではない。先述したシングルマザーが欲してやまない3項目、「子どもの心のケア」と「子育ての手」と「金」。じつはこれ、ほぼすべての家庭に当てはまることで、結婚していれば自動的にクリアできる問題でもない。その証拠に、離婚前の私は今と同じく、ひぃひぃ言ってたじゃないですか(
過去記事参照のこと)。じつは、読み返すのもしんどい。
また、国は表向き少子化を食い止めたいらしい。であれば、心身ともに距離ができてしまった夫婦からはそれ以上は子の誕生を望めないと悟り、離婚・再婚・出産を促した方が近道ではないだろうか。先のお二人の例では如実である。
私は、離婚はしないに越したことはないと思っている。おそろしく心身を消耗したからだ。しかし、熟考の末に本人たちが結論を出したならば、親ひとりで子の養育を抱え込まずに共同で行う、結婚や家族という戸籍のつながりだけを絆とせず、個人の足で立って新しい関係を結んでいく。ラクではないが、その選択肢が日本に住みながらありえる、ということは母親にとって純粋に希望ではないか。少なくとも私にはそうだった。
斎藤貴美子コピーライター、編集者、きき酒師。男児1人・女児1人の母。2021年に離婚し、シングルマザーとなるが元夫と共同養育(共同親権ではない)を実施中。放送大学で心理学を勉強中。