『この世の喜びよ』『荒地の家族』はどんな作品?芥川賞過去作をすべて読んだライター・菊池良が解説

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2023年01月24日 09:00  CINRA.NET

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Text by 原里実
Text by 菊池良

第168回(2022年下半期)『芥川龍之介賞(以下、芥川賞)』の受賞作が決まりました。今回の候補作は以下の5作品でした。

そのうち鈴木涼美さんをのぞく4人が初ノミネートでした。鈴木涼美は前回も『ギフテッド』(2022年)が候補になっていましたから、連続ノミネートとなります。

安堂ホセさんは『ジャクソンひとり』がデビュー作。『芥川賞』は新人に贈られる賞なので、デビュー作が候補になることもよくあります。グレゴリー・ケズナジャットさんは日本文学の研究者で、『鴨川ランナー』(2021年)という作品で小説家としてデビューしました。

受賞したのは以下の2作品です。

左から、井戸川射子『この世の喜びよ』(講談社)、佐藤厚志『荒地の家族』(新潮社)

『芥川賞』において、同時受賞は珍しいことではありません。直近でも2021年上半期が石沢麻依さんと李琴峰さんの同時受賞でした。いままで『芥川賞』は168回行なわれていますが、今回も含めてそのうちの44回が同時受賞です(ちなみに「受賞作なし」は32回ありました)。

井戸川射子さんの『この世の喜びよ』ではショッピングセンターの喪服売り場で働く「あなた」が、同じショッピングセンターのフードコートにいる中学3年生の少女と出会います。少女には1歳の弟がおり、放課後はフードコートで過ごしていると「あなた」に言います。「あなた」には2人の娘がいて、長女は小学校の教員をやっていますが、あるとき名古屋へ家出をしてしまいます。「あなた」は過去のことを思い起こしながら、少女や長女と向き合います。

『この世の喜びよ』は二人称小説です。「あなた」という語りかけで物語が進んでいきます。

「私」「僕」などの語り手が綴る「一人称」の小説、「○○が──」と登場人物を指し示す「三人称」の小説があります。それにたいして二人称小説は「あなた」「きみ」と語りかけることで、読むひとにふしぎな読書体験をあたえます。

『芥川賞』でも過去に二人称で綴った藤野可織さんの『爪と目』(2013年)が受賞しています。

藤野可織『爪と目』(新潮社)。3歳の女の子の視点から、実の母の死後に家にやってきた若い女性「あなた」の姿を描いている

井戸川射子さんは2019年に詩集『する、されるユートピア』が『中原中也賞』を受賞。これまでに2冊の詩集を出版しています。2020年から小説を発表し、『ここはとても速い川』(2021年)で『野間文芸新人賞』を受賞しました。高校の国語教員をしながら創作活動をしています。

井戸川射子『ここはとても速い川』(講談社)。児童養護施設に暮らす小学5年生の集(しゅう)と、親友・ひじりとの日々を描く

佐藤厚志さんの『荒地の家族』は40歳になる植木職人の男性が主人公です。10年前、ちょうど独立したころに厄災が起こり、仕事道具は流され、生活を立て直すためにどんな仕事でも引き受けて生きてきました。その2年後、妻が病気で亡くなり、ひとり息子の啓太と暮らしています。同級生の紹介で再婚しましたが、ある日突然、再婚相手は家を出ていきました。

主人公は同級生である元塗装屋の男と再会します。かれも妻を亡くし、いまは病気を患っているようでした。10年かけて街は少しずつ復旧していきましたが、いまでも海の近くは荒地として残されています。

佐藤厚志さんは2017年、『蛇沼』で『新潮新人賞』を受賞。2020年は『境界の円居』で『仙台短編文学賞』大賞を受賞し、2021年に『象の皮膚』が第34回『三島由紀夫賞』の候補になっています。仙台にある書店に勤めながら執筆活動をつづけています。

佐藤厚志『象の皮膚』(新潮社)。幼い頃からアトピー性皮膚炎に悩まされてきた五十嵐凛は、非正規雇用の書店員として働いている。皮膚の痒みにもカスタマーハラスメントにも負けず働くなか、東日本大震災が起こる

安堂ホセさんの『ジャクソンひとり』はブラックミックスの男性が主人公で、手に入れた服に仕込まれたQRコードがきっかけになってある事件に巻き込まれます。自らへの差別的な視線を逆手にとって犯人を追い詰める復讐譚です。

グレゴリー・ケズナジャットさんの『開墾地』は日本の大学院で学ぶアメリカ国籍の男性が、サウスカロライナ州の実家に帰ってくるという作品です。実家の父親はイラン人で、親族とはペルシャ語を話すが、主人公はそれがわからない。そして主人公も日本語という第二言語で研究をしている。母語が日本語ではない作家としては、過去に楊逸さんと李琴峰さんが『芥川賞』を受賞しています。

鈴木涼美さんの『グレイスレス』はAV撮影における化粧師(メイク)が主人公です。生命において切り離せない「性」について、主人公とその家族が住む家と重ね合わせて描写しています。

左から安堂ホセ『ジャクソンひとり』(河出書房新社)、グレゴリー・ケズナジャット『開墾地』(講談社)、鈴木涼美『グレイスレス』(文藝春秋)

どれも現代を生きるわたしたちを深くえぐる作品ではないでしょうか。

『荒地の家族』は雑誌掲載時、「震災から十年過ぎねば書けなかった魂の一撃」ということばが添えられていました。とても印象的で考えさせられます。わたしたちはこの10年、どう生きてきたでしょうか?

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