※写真はイメージです 人生100年時代。やれ生前整理だ、年金だ、お墓だと、とかく最近の世は老人にとって生きにくい。「いい年して」と言われても、ガハハと笑って生きる。人生の達人たちの言葉に耳を傾け、カッコよく“グレた”老人になってやろうじゃないか。
【写真】70代にして11センチのヒールとレオタード衣装を着こなす女優がこちら* * *
「書店に並ぶ雑誌や週刊誌の新聞広告で、生前整理、墓じまい、相続といった言葉が並んでいて、元気なうちに勉強しておかなければと、つい手に取ってしまいます。でも、死後の準備をせかされているようで、やるせなくなります」
東京都に住む70代のヨシコさんはそう言って、ため息をついた。
週刊誌を手に取ると「死ぬまでに済ませておきたい○○」というようなハウツー企画が目につくようになった。それだけ需要があるのだろうと思うのだが……。
ヨシコさんは一戸建てに30代独身の末の息子と2人暮らし。上の子ども2人は結婚して家を離れている。夫には数年前に先立たれた。一人で過ごす時間が増え、持ち家の相続や自分の墓のことなど、先のことを考えると不安になる毎日だ。
体が動くうちに不安なく“手続き”の事前準備を済ませておきたい。身軽になっておきたいと家中の断捨離も始めた。
「そうやってせかされていると感じる一方で、長生きの秘訣をまとめた本や老後資産の増やし方といった指南本も多くあって、亡くなった後のことを考えたり、まだまだ先は長いと人生設計を思ってみたり、頭の中は忙しい。もっと気ままに生きていければと思うのですが……」
人生100年時代。高齢者の中にはこうした「お金」や「健康」「暮らし」の不安に縛られてしまっている人も多いのではないだろうか。
悩んでいても、老いは確実に進んでいく。年を重ねるにつれ、不安にかられて、怒りっぽくなった、卑屈になった、という声もよく聞く。
何にも縛られず、人生後半戦をカッコよく生きるにはどうすればいいか。そんなときは“人生の達人”にご指南いただくのが近道だ。
本誌で「コンセント抜いたか」を連載する作家の嵐山光三郎さん(81)は「老いていく自分が面白い」と笑い飛ばす。
「同年代が集まると病気の話や墓の話ばかりで、これじゃ面白くない。若いときにできていたことが今できなくなっていることを、もっと面白がらないと楽しくないね」
かつては鮮やかに上段まで伸びた空手の回し蹴りができなくなった。腰あたりまで上がれば上々。むろん、今や鉄棒で逆上がりはできない。もはや立っているだけで運動。そんな自分が面白いと嵐山さんは言う。
「知らなかった、わからなかったことを知る。人は老いていくというのをまさに体験できている、という発見だね」
記者が話を聞いたのは、嵐山さんが散歩中のことだった。ある目標があって、体力をつけるべく鍛えているのだという。
「アフリカの砂漠に旅に行きたくてね。自分の体の老いを確認する旅になるかなあ」
80歳を超えて、遠くアフリカの、しかも砂漠を旅したいという人が世間にどれだけいるだろうか。まさに「枯れてたまるか!」の精神。まだまだ若く、気力も十分に見える。
とはいえ、嵐山さんも自身の老いにショックを受けたことがあるようだ。20年前、嵐山さんがまだ60代のとき、スポーツ観戦のために韓国に行った。
「ソウルだったか大邱だったか、地下鉄に乗っていたら、そばで座っていた若者が声をかけてきた。金髪にピアス、タトゥー満載の男だよ。因縁でもつけられるのかと思ったら、席を譲ってくれた。儒教の国だから自然と年配者に優しいんだね。日本じゃ見られない光景だったのと、私も老人かと思わされたのでショックだった(笑)」
■ほどよくグレて若者とバトルを
嵐山さんは自宅から事務所まで電車で通うが、トレーニングも兼ねて車内では立っていることが多いという。日本の若者はあまり席を譲ってくれないという。
「気づかないふりをされたり、寝たふりをされたりして、こんちくしょうって思うけど、譲られてもこんちくしょうと思う(笑)。そういう自分の心の動きも面白いよね」
今、老人に対しての風当たりは強く感じる。少子高齢化もあり、世代交代が進まず、日本が好景気だったころを知る年代の人たちがまだまだ社会の中心にいる。「老害」という言葉がしばしば聞こえ、若い世代からは、老人は社会から退場せよというような声も聞こえてくる。
「国家的には老人は何も生産しないけど、のさばっていていい。若いことは価値じゃないし、退場してほしいなら若者がたたき落とさないと。自分から身を引くことはないし、私はのさばるよ。今でも子どもと『何言ってんだ』って言い合いしているし、そうやって次の世代とのバトルがないと人生に張りがなくなってしまうよね」
古典を残した中国の詩人李白や思想家の孔子は晩年、隠遁生活を送ったが、現代人はオリジナルの老後を考えるのがいいと続ける。
「彼らは60代前後、70代で亡くなっているから、80代以降の生き方について参考にする古典がないんだね。だから自分なりの生き方を見つけるしかないわけ。私は、地域のお祭りで若い衆に煙たがられるくらいの生意気なじいさんでいるくらいがちょうどいいと思ってる。ほどよくグレて、自分本位で生きればいい。そんなんでいいんじゃないかな」
そう言い残して嵐山さんは、街の中を背筋を伸ばしてスタスタと歩いていくのだった。
歯に衣着せぬ発言で為政者にズバリ切り込むジャーナリストの田原総一朗さん(88)も、破天荒にオリジナルの生き方を貫く。
「就職活動では朝日新聞やNHKなど大手メディアから全部落とされたけど、今思うと落ちてよかった。そういうところに入っていたら60歳過ぎたら定年で、今みたいに現役を続けていなかったと思う。生涯現役でいようと気を張っているからこそ、毎日3〜4件の取材ができる。仕事がなくなったら一気に衰えちゃう」
■煙たがられても本音でぶつかれ
30年以上続く討論番組「朝まで生テレビ!」では今や、ずっと年下のコメンテーターと激論を交わす。
田原さんも嵐山さんと同じように「若い世代に煙たがられてもいい」と話す。番組では時に声を荒らげて相手を批判することもあるが、それは貫き続けようとする信条があるからだ。
「相手の年齢に関わらず、大事にしているのは面と向かって本音でぶつかっていくということ。ここ最近の首相にだって、もう年下しかいないけど、その姿勢は貫いています。最初のうちは煙たがられますよ。でも、本音をぶつけていけば、必ず相手の心が開くから。これは一般社会でも同じだと思う」
30代後半の記者は田原さんの本誌連載「ギロン堂」を担当しているが、半世紀も年が離れた記者に対しても、対等に、謙虚に接してくれるし、時には「それは違う!」と、番組での司会ぶりさながらに叱られる。
「互いの信頼が人間関係は大事だから、遠慮はしません。不細工であってもなりふり構わずに、正直に人と付き合いたいんだね」
今年の4月で89歳になる。体は若いときと同じようには動かない。体力も落ちた。それでも田原さんは朗らかだ。
「耳は遠くなって補聴器をつけているし、気が短くなったよね。自覚はしているし、気をつけているつもりだけど、娘には毎日怒られていますよ(笑)」
そう言って屈託なく笑うのだった。
戦後を生きてきたたくましい父親も家に帰れば今では家族に叱られる。これは男性の“あるある”かもしれない。
歌手の加藤登紀子さん(79)の言葉は明るく軽やかだ。
「今こそ私たちの世代がもっと楽しそうに生きなきゃだめ。戦後七十数年の平和な時代を生きてきたんだから」
昨年末、今を生きる人々へ、「今、目の前の『ちょっといいこと』に感動しましょう!」というメッセージを込めた『百万本のバラ物語』(光文社)を出版した。
加藤さんは1943年生まれ。物心がつくころには、戦争を経験した上の世代が激しく道を拓いてくれて、加藤さんはその道をのびのびと歩いてくることができたという。
「私たちの世代は、60年安保で闘った人もサラリーマンになって、多くの人が大きな企業に入って仕事をしてきた。それからの半世紀がこの結果でしょ。やっぱり『敗北感』がありますよね」
それはなぜなのか。平穏な世界が70年以上続いたものの、ふたたび不穏で「鬱陶しい」空気になってきているからだ、と加藤さんは嘆く。ロシアによるウクライナ侵攻だ。
「第2次世界大戦終戦後、世界中が新しい時代を迎えねばと理想に突き抜けようとしました。でもその理想に対する弾圧が今また行われている。この七十余年を生き、老後を迎えて一人になったとき、若い世代にその理想を手渡せなかった悔しさはあります」
とはいえ、暗い世もあるけれど、そうした時代を知っている世代だからこそ、「生きることを楽しむ」「ワクワク、ドキドキを感じる」ことが今は一番大事だと話す。
「みんなで飲んだり食べたりしていれば、おいしいものはこんなにたくさんあるんだとか、こんなに素敵な音楽があるとか、素晴らしい経験を遠慮などせずにいっぱい話してほしい。若い人がまだ知らない経験をたくさんしているのだから」
長引くコロナ禍で、死について考えもめぐらせた。
「死後の練習をしているみたいで淋しかったです。死んだらきっと、娘にこう言いたいとか、いろんなことを思うだろうけど何もできない。死んだ人はみんな天国でこの気持ちを味わっているんだなと」
少し娘と距離を置かざるを得ない状況になったことで、言いたいこと、伝えたいことを整理しようと考えるようになったという。
3年過ぎて、もうそんなのはいやだと思う。今を思うままに生きなければ、悔いが残る。肩身の狭さや動きにくさを感じる同世代に向けて、こうエールを送る。
「生きづらさを感じている若い人たちに、もっと喜びを知ってほしい! 人生は天井が抜けるほど楽しくなきゃいけない。破天荒な喜びを取り戻して人生を謳歌してほしい。それを伝えられるのは私たち世代の役割じゃないですか」
■格好よく颯爽とヒールの強さを
この2、3年で日本の人口のボリューム層である団塊の世代は、75歳以上の後期高齢者となる。これまで数々の印象的なメッセージの企業広告を出してきた宝島社は年始、「団塊は最後までヒールが似合う。」とする広告を全国紙などに掲載した。
団塊の世代の歌手、俳優の中尾ミエさん(76)がレオタード衣装に身を包み、ピンヒールを履いて堂々と胸を張って座っている姿が印象的だ。同社の担当者はその意図をこう語った。
「団塊の世代には、競争を勝ち抜いてきたという強い信念があると考えています。自分たちの世代だけで戦後を乗り越え、日本を成長させてきました。自分の意志を曲げない強さが、いま必要ではないかと思います。逆説的な『ヒール(悪役)』という言葉を使うことでその強さを際立たせ、団塊の世代はもちろん、現役世代をも鼓舞できればと考えました」
団塊世代が元気になれば、シニア層全体の活力にもなる。現役世代にとっても、年を重ねることに対する不安も減るのではないか。そんなメッセージが込められている。
広告撮影時の中尾さんからも強い意志が感じられたそうだ。
「70代半ばにしてレオタード衣装を着こなすスタイルの良さや、11センチのヒールを履きこなし、難しいポージングの要求にも対応していただけました。終始カッコよく美しく、いくつになっても自分らしくありたいという強い意志を感じました」
冒頭に登場したヨシコさんは、老いゆく自身の理想の姿についてこう話す。
「テレビなどで、自然体に颯爽と、気ままに生きている同世代の芸能人を見ると、こうありたいなと思います」
グレていたって、煙たがられたっていいじゃないか。年を取ったらああいう人になりたい……そう言わせるような老人を目指したい。(本誌/秦 正理、鮎川哲也)
※週刊朝日 2023年2月3日号