藤井聡太を相手におそるべき地力を見せた羽生善治。対局時に50代で藤井に勝った棋士は他に井上慶太九段(2018年当時54)しかいない(photo 代表撮影) 20歳の藤井聡太と52歳の羽生善治のドリーム対決となった王将戦七番勝負。第3局は1月28、29日におこなわれる。その戦いが決着する前に、第2局で見せた羽生らしい常識外の妙手を振り返る。
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一言でいえば、見る者をうならせ続けた名局だった。
藤井聡太王将(20)に羽生善治九段(52)が挑戦する王将戦七番勝負。第2局は1月21、22日、大阪府高槻市でおこなわれた。結果は101手で羽生挑戦者が勝ち、スコアは1勝1敗のタイとなった。
「ちょっとほっとしてます」
局後にそうコメントしながら、羽生は安堵の表情を浮かべていた。七番勝負は全国各地を転戦する。誰を応援するにせよ、一局でも多く対局を見たいのは、将棋ファンや関係者に共通する思いだ。特に今シリーズは将棋史を代表するスーパースター2人の対決。両者の姿を一目でも、というのが対局地で待つ人々の思いだろう。まずは第5局の開催が決まったことで、羽生のみならず、多くの人はほっとしたのではないか。
七番勝負を通じて注目されるのは、羽生の作戦の立て方だ。なんでも指しこなせる羽生はときおり、思いもよらないような変化球も織り交ぜてくる。後手番の第1局では「一手損角換わり」という、ほとんど誰も予想しなかった戦型で臨んだ。羽生の作戦は巧みで、後手番としてはまずまずの展開だった。しかし藤井の指し回しは完璧に近く、最後は藤井が押し切っての勝利となった。
先後が替わった第2局。先手の羽生が選んだのは、現代最前線の相掛かりだった。序中盤の研究でもスキのない藤井に対して変化することなく、真正面から直球で戦おうという姿勢だ。相手の得意形を避けないのもまた、若手の頃から変わらない羽生のスタイルといえる。
戦いが始まり、前例から離れた中盤戦。焦点は羽生の細い攻めがつながるかどうかだった。
59手目。羽生は8筋に金を打つ。これが1日目のハイライトシーンだった。セオリーからすれば持ち駒の金は、相手玉か自玉の近くに打つのがよい。それを羽生は、どちらからも遠く離れたそっぽに打った。
「ゆっくりしてると攻めが切れちゃうんで。筋のわるい手なんですけど、しょうがないかなと思って指してました」(羽生)
盤面を広く見た、いかにも羽生らしい常識外の妙手だった。
いまから30年近く前。現在の藤井のように全冠を制覇する勢いだった羽生は、信じられないような勝負手、妙手、鬼手を連発。それらの指し手は「マジック」と呼ばれるようになった。幸運にもリアルタイムで目の当たりにできた人たちは、それは感動しただろう。
時代がくだって本局。羽生が常識外の金を打つのを、事前に誰も予想できていなかったかというと、実はそうではない。かつてと現在との違いは、あまりに強くなったコンピューター将棋ソフトの存在にある。ソフトが示す形勢判断と最善手順を参照するのが、現代における観戦スタイルだ。
羽生の金打ちは何手も前の段階から、最善手として示されていた。ではソフトの登場によって、観戦時のサプライズ感が薄れたかといえば、そうともいえない。対局者はもちろん対局中、ソフトに頼ることなく、自分の力で考え抜く。そうして観戦者が固唾をのんで見守る中、対局者が最善手を指せば、その技量の高さは明確となり、やはり感動は生まれる。羽生や藤井の対局では、そうしたことが多い。
羽生が金打ちの妙手を放ち、1日目にしてややペースをにぎったかにも見えたが、藤井が大きく崩れたわけでもない。2日目に入っても途中まで、ほぼ互角の戦いが続いた。
74手目を前にして、藤井は考え続ける。攻めるか、あるいは受けるか。藤井は1時間25分を使ったあと、羽生陣に銀を打ち込んで、激しく攻めかかった。結果的には、この判断が藤井にとっては敗着となったようだ。とはいえ、羽生が一手でもミスをすれば、たちまち羽生玉は詰まされてしまう。この藤井の攻めを完全に受け止められる対局者は、そう多くはないだろう。
「なんかちょっと受け間違うとすぐ負けそうな局面なんで。かなり慎重に考えて指していたんですけど。どの変化もギリギリと思ってやってました」(羽生)
ソフトはきわどい受けの最善手を示し続ける。それを羽生が指す。藤井がまた厳しく迫る。羽生はやはり最善の受けで返す。緊迫したやり取りを、羽生はノーミスで乗り切った。全国から羽生ファンの大歓声が聞こえそうな中、羽生はゴールへと近づいていく。
藤井はときおり、がっくりとしたしぐさを見せた。五冠を保持し、トップクラスを相手にし続けてなお、藤井は史上最高の年度勝率をうかがう勢いで勝ち続けている。その藤井ですら、本局の羽生からは、逆転の機会を見いだすことはできなかった。
100手目。藤井は龍で王手をする。対して十数ある受けのうち、羽生玉が詰まない正解手はわずか一つしかない。羽生は香の合駒を打ってしのぐ。これが唯一絶対の受けだ。藤井が投了し、羽生の勝ちが決まった。
「最後はちょっと怖かったんで。なにかあったらもうしょうがないと思ってたんですけど。まあ、詰まなくてよかったなっていう感じですね」(羽生)
戻って74手目は、銀を打って攻めるのではなく、自陣に飛車を打って受ける順がまさったと、ソフトは示していた。
「ひょえー、そうなんですか」(羽生)
ソフトらしい、恐れを知らぬ受け方を聞かされた藤井と羽生は、ともに笑っていた。考えつかないような怖い受けだ。
ときに感想戦は、感情的になった敗者の気持ちを整理するための場となる。しかし両者の場合は勝敗にかかわらず、真理探究のため、なごやかに検討が続けられる。それは今期七番勝負を通しても変わらない。
羽生は恒例の勝者撮影で、たこ焼き屋の姿をしていた。写真のインパクトは大きく、多くの将棋ファンがたこ焼きを買い求めにいく経済効果(?)も見られた。さらには埴輪が乗客のバスの運転手という、なんともシュールな写真も残されることになった。そうしたむちゃぶりに屈託なく応じる点もまた、羽生の偉大さだ。もし羽生が気難しい第一人者だったら、現在の将棋界の景色はずいぶんと違ったものになっていただろう。ファンサービスを大切にする羽生の姿勢は、藤井ら後進にも着実に受け継がれている。
第3局は1月28、29日。
もし藤井勝ちなら先手番で22連勝という、とんでもない記録を伸ばしていることになる。
一方で羽生勝ちならば、下馬評をくつがえしての先行となる。また羽生が1989年に作った先手番28連勝という史上最高記録も、羽生自身の手によって更新を防いだことになる。
ちなみに19歳の羽生の先手番連勝を止めたのは、66歳の大山康晴十五世名人だった。羽生が年齢を重ね、60代となってなお、藤井ら時代のトップクラスや、新進気鋭の若手らと伍して戦い続ける未来にも期待したい。
(ライター・松本博文)
※※AERA 2023年2月6日号