※写真はイメージです (GettyImages) 文芸評論家・縄田一男さんが評する「今週の一冊」。今回は『虹の涯』(戸田義長、東京創元社 1870円・税込み)。
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これまで『恋牡丹』『雪旅籠』と手堅い時代ミステリーを放ってきた戸田義長の、よりスケールアップをした歴史ミステリーが本書『虹の涯』である。
主人公は水戸天狗党の中心人物、藤田小四郎である。天狗党といえば水戸藩内の門閥派と天狗党との角逐や幕府との軋轢(あつれき)を背負い、元治元年三月、攘夷の先駆けたらんと筑波山で蹶起(けっき)、京にいる中納言徳川慶喜に見参するべく行軍を続けた事で知られている。
作者は後書きで天狗党を扱った三つの先行作品に触れているが、ミステリーファンならその凄絶な行軍を描いた山田風太郎『魔群の通過』をご存知だろう。
本書では「天地揺らぐ」「蔵の中」「分かれ道」の三つの短篇が行軍前、中篇「幾山河」が行軍を扱った作品となっている。
「天地揺らぐ」は、安政の江戸地震で家屋の下敷きになったとされる、小四郎の父・東湖(とうこ)の死の真相が暴かれる。この作品から全篇を通して小四郎の相棒となる漢方医・山川穂継(ほつぐ)が登場する。
東湖の死に関してはそれを知っていたと思われる人物が転落死を遂げており、さらには、地震の際消火活動にあたった町火消までもが辻斬りにあっている。小四郎はこの幾重にも絡んだ謎に挑む事になるが、トリックはもとより、何故東湖が犯人の罠にうかうかとはまってしまったのか──時代の状況と結び付いた謎解きが好ましい。
「蔵の中」では、小四郎自身が下手人の疑いをかけられ捕縛された密室殺人の謎を解く事になる。蔵の中で死んだのは人形浄瑠璃に取り憑かれた名主の息子。その傍らには女房までが朱(あけ)に染まって倒れており、床には油が撒かれていた。それはあたかも殺された長男が人形浄瑠璃にのめり込むきっかけとなった『女殺油地獄』の如し。密室の謎に加えて見立て殺人、さらには目に見えぬ兇器とミステリーファンならこたえられぬ設定に、ここでも時代状況が密接に関わり、真の黒幕は、まだ尻尾を出してはいない。
続く「分かれ道」は山川が大店(おおだな)の内儀の隠し子の問題の相談を受けた事から事件が始まる。この作品で絶妙なのはお互いを思いやる従姉妹同士の絆が切なくそれが後の惨事の遠因となっているのが哀しい。物語の結末で小四郎は、「生まれながらにして俺の人生に分かれ道はない。攘夷のために命を賭すという、ただの一本道なのだ。それゆえ寸刻たりとも迷ったことはない」と言い放つが、その決然たる思いはあまりにも強く、女たちの哀れさを際立たせている。
そして本書のおよそ半分にわたる「幾山河」でいよいよ行軍の全貌が描かれる事になる。
が、そこはミステリーのこと、道中で次々と隊士を襲う通称<化人>が跳梁する。何故か<化人(けじん)>は、放っておいても死んでしまう戦闘で重傷を負った者ばかりを襲い、その腹を裂いていくのだ。
「幾山河」はこの<化人>に関する謎解きと行軍の詳細、さらには連中と心中するわけにはいかぬと自分を慕う天狗党を捨て石にする慶喜の非情さ等が描かれていく。
そしてラストでは題名にある“虹の涯”に行けなかった者、そして“虹の涯”には何があるのかを見届けなければならなくなった者、その運命の交錯を見事に描いて幕となる。
この作品の優れている点は、物語で扱われている事件が、歴史的背景と無理なく結び付いている点であり、それが本書を第一級の歴史ミステリーたらしめていると言えるだろう。加えて誠実かつ凜とした文体の小気味良さはどうだ。私は久し振りに正統的な漢文脈で書かれた歴史小説を読んで、五味康祐以来の興奮を味わった。
嬉しい作品の登場だ。
※週刊朝日 2023年2月3日号
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