こんにちは。SFプロトタイパーの大橋博之です。
この連載では、僕が取り組んでいる「SFプロトタイピング」について語って行きます。SFプロトタイピングとは、SF的な思考で未来を考え、SF作品を創作するなどして企業のビジネスに活用するメソッドです。
今回は、SFプロトタイピングで自社の2030年のビジョンを描いた、SaaSベンチャー企業のカミナシ(千代田区)の事例を紹介します。カミナシの諸岡裕人さん(代表取締役CEO)に、ゲストとしてコスプレイヤーの秋の「」さん(読み:あきの)を交えてお話を伺いました。
●カミナシ
|
|
製造業やサービス業など非オフィス業務がメインのノンデスクワーカー向けに、DXを支援するSaaSタイプの現場DXプラットフォーム「カミナシ」を提供している。ノンデスクワーカーが才能を存分に発揮して挑戦できる世の中を目指している。
●諸岡裕人(カミナシ代表取締役CEO)
1984年生まれ。家業である航空会社のアウトソーシング事業を手掛けるワールドエンタプライズ(千葉県成田市)で、LCCのエアアジア・ジャパンやバニラ・エアの予約センターの立ち上げや、日本航空の機内食工場オープンなどに携わる。そこで感じた現場の課題を解決するため、2016年12月にカミナシを創業。
●秋の「」(読み:あきの)
自らの手で架空のものを趣味で現実に作り上げるのに熱中するコスプレイヤー。JAXAの小惑星探査機「はやぶさ」のコスプレで注目を集めた。JAXAが主催するイベントなどに科学コミュニケーターとしてゲスト参加し、はやぶさのイメージアップに貢献した。
|
|
●現場DXを支援するSaaSベンチャー×小惑星探査機のコスプレイヤー
大橋 創業された背景を教えてください。
諸岡さん(以下、敬称略) 私たちは製造業などノンデスクワーカーの業務を効率化する現場DXプラットフォーム「カミナシ」を提供しています。
私の父は実業家で、現場作業がメインの業務を営んでいます。私が家業に加わることになった際、現場を見て、とてもアナログな働き方をしていると気付きました。使っている道具が電話と紙。これだけITが普及している時代に、どうして旧式な仕事の仕方を続けているのかと疑問を感じました。デジタルの力で現場の働き方を変えなければいけないと考えたことからカミナシを創業しました。
大橋 具体的にはどのような事業を行っているのですか?
|
|
諸岡 紙の書類やチェックリスト、マニュアルなどをタブレットやスマートフォンで行うというサービスを展開しています。現在、約5000カ所以上の現場で導入していただいています。
大橋 ありがとうございます。では、秋の「」さんがコスプレイヤーに目覚めたのはいつくらいからなのですか?
秋の「」さん(以下、敬称略) 中学生くらいからです。「この服とこの服を組み合わせたら、このシーンの、このキャラクターになるぞ」と思ったことがきっかけです。そこからコスプレ同人イベントに行くようになりました。
大橋 小惑星探査機「はやぶさ」のコスプレで注目を集めましたね。
秋の「」 科学関係や工学関係がすごく好きなんです。インターネットにいろいろなファンアートがあったのですが、そのなかに「美少女擬人化」というジャンルがあり、そこにあった、宇宙機ファンの「あしべ精肉店」さんが描いたはやぶさの擬人化イラストに感銘を受けてコスプレしました。
大橋 はやぶさが帰還する2010年2月ごろですよね。さまざまなイベントに引っ張りだこになりましたよね。
秋の「」 「はやぶさが話題になったけれど、目には見えないものだから説明する人が欲しい、科学技術の話だけだと難しい」。そこに「はやぶさのコスプレをした面白い奴がいるぞ」となって声を掛けていただきました。
大橋 単にはやぶさの擬人化イラストをコスプレしただけでなく、科学関係や工学関係が好きだったからこそのこだわりがあった。はやぶさのエンジントラブルも再現していてすごいとSFファンの間では話題になりました。今回は10年ぶりにはやぶさのコスプレをしてもらって感激しています(笑)
●カミナシのビジョンを小説で伝えたい 他にはない面白さを求めて
大橋 諸岡さんとSFプロトタイピングとの出会いを教えてください。
諸岡 グロービス・キャピタル・パートナーズ(GCP)のキャピタリストである野本遼平さんと面識があり、野本さんから「小説家の小野美由紀さんとで起業家向けのSFプロトタイピングのワークショップをやるから来ないか」と誘われ、面白そうだなと思って参加することにしました。
実は、そのころ、カミナシのビジョンを作る必要性を感じていました。ところが、よくある企業のビジョンは、Webサイトに真面目な言葉で書いてあるのが一般的。しかし、私自身がそれらを読んでも心を動かされることはなかったため、どうしたら心が動くような伝え方ができるだろうかと思っていました。
カミナシは余白や遊びを大事にする企業文化です。小説の形でビジョンを描けないかと考えていたのですが、それを私が書くのは不可能です。SFプロトタイピングのワークショップの誘いを受けたのは、まさに悩んでいたタイミングだったんです。
ワークショップで「ショートショート(短編よりも短い小説)を書く」というプログラムになり、書いてみると意外と自分でも書けそうだった。それで、2030年の未来を想像して小説を書き始めました。
「人は物語に動かされる」 noteへの投稿で実感したこと
大橋 なぜ、ビジョンが小説だったのですか?
諸岡 理由は2つあります。1つは私は喋ることよりも書くことが好きだったからです。以前、カミナシの設立から苦労して来たことを物語として書いて「note」で発表したところ、「感動した」「共感した」と反響をいただき、会社自体を知っていただくきっかけになりました。それまで採用に苦労していたのですが、読んだ人が「入社したい」と言ってくれて。いま、社員は70人ほどですが、9割が物語を読んで入社してくれた人たちです。「物語で人は動かせる」と感じました。
もう1つは、小説の中であれば文脈や背景、登場人物の感情なども伝えることが出来るからです。そうすれば、「野口さんのようなお客さん」と言った時に、社員全員が同じイメージを共有できるなと思いました。登場人物を共通言語のように使いながら、未来を共有するってすごく分かりやすいなと思ったんですよね。その2つから、未来という超不確実性が高いものを語るとき、小説なら伝わると思いました。
秋の「」 私も中学生のころ、コスプレの仲間を登場させたファンタジー小説を書いたことがあります。すると登場した仲間が面白がってくれて。自分や自分が知っている人が出てくる。すると頭にビジョンが思い浮かんでくる。メカや機械が好きな私からすると「物語は強い」ということは少し悔しいのですが(笑)、とても理解できます。
それに、私がはやぶさになって、イベントで「地球に早く帰りたいな〜」と言うと、とても伝わるんです。それは擬人化した架空なんだけど、はやぶさの物語の強さだと感じました。
2050年の投資家にプレゼンする――ワークショップで取り組んだこと
諸岡 私が参加したワークショップは、秋の「」さんがおっしゃったように、架空の世界だけど、現実味のある設定をしっかりと組み立てるプログラムでした。全くでたらめな未来ではなく、政治や社会がどうなっているか、実際に起こり得ることを予測して想像しました。特にワークショップで面白かったのは、2050年の投資家に社長としてプレゼンすることでした。
大橋 SFで未来を想像する、発想を2030年に飛ばすことはできましたか?
諸岡 難しかったですが、1時間30分のワークショップで「発想できる頭」を作ることはできたと思います。でも、誰も見たこともない未来を語るのは、けっこう恥ずかしいんですよね(笑)
秋の「」 外れるかもしれないし(笑)
大橋 SF者にすれば普通のことなんですけどね(笑)
諸岡 SFだから何でもアリなんだとルールを作ってあげると、みんなストッパーが取れて、とんでもないことでも話始めます。「土地じゃなくて、空地(そらち)ができます」とか、何それ? みたいな(笑)
秋の「」 領空権的なものですね(笑)
●ノンデスクワーカーが報われる世界を創造 2030年のビジョンを描く
大橋 ご自身で、2030年の未来を1万5000字の小説で書かれたとか。どのような内容だったのですか?
諸岡 ノンデスクワーカーは現場で働く人たちです。大切な仕事ですが、頑張っても報われないことがあります。ノンデスクワーカーが挑戦し、報われる世界を創造したいと考えて物語にしました。
大橋 諸岡さんが書かれた物語があったのに、ワークショップを開催された小説家の小野美由紀さんに小説の執筆を依頼したのはどうしてなのですか?
諸岡 私自身と、メンバーに不安があったからです。「諸岡が書いたものは大スベリするんじゃないか」と(笑)。私は自分が書いた小説は良いものだと自画自賛していますが、最後に読むのは一般の方々です。自分だけで考えるよりも、プロの小説家の方に最後に再構成していただいたほうが伝わりやすいと思い、小野さんにお願いしました。
秋の「」 マイワールドだと、面白くてもどうしても美化してしまう。それでも突っ走って行く人もいると思いますが、諸岡さんはいったん、立ち止まったわけですね。
諸岡 人に何かを届けるとき、届いた先のことまで考えないと、いくらコンテンツが良いものでも意味がないと考えています。そこはこだわりとしてありました。8割は私が書いた内容でしたが、小野さんがブラシュアップしてくれました。
完成したSF小説「カミナシビジョン2030」
大橋 そうして生まれのが、「カミナシビジョン2030」ですね。
――2030年立っているだけでどっと汗が吹き出す。遠くでは太陽の日差しを浴びて銀色に輝くコンテナが、蜃気楼の向こうで揺らいでいる。松田はARグラスを外すと額の雫を拭った。彼女が今居るのは、パキスタンの砂漠地帯だ。国際的企業が先月竣工した人工肉培養工場にサービス導入するため、一昨日から滞在している。
というのが冒頭のシーン。物語はとても未来観にあふれていると思いました。
諸岡 物語としては、現在を描く方が理解されやすいかもしれませんが、SFプロトタイピングなので、私自身、信じられないような世界を描くことにしました。
秋の「」 私も読んで、面白いと思いました。コスプレイヤー目線で2030年を考えると、個人向けの造形や塗料は進化していると思います。そんな未来が想像できます。
大橋 面白いですね。諸岡さんには諸岡さんの、秋の「」さんには秋の「」さんの課題感があるから、それぞれで未来の解決策が思い浮かぶのでしょうね。
●社内で2日間のワークショップ実施 全員がショートショート執筆
大橋 社内でもSFプロトタイピングのワークショップを開催されたのだとか。
諸岡 2日間かけて、私が受けたワークショップと同じようなプログラムを実施しました。参加者全員にショートショートを書いてもらいました。
秋の「」 そのために時間を取って実施されたというのはすごいですね。
諸岡 ショートショートを書かされたスタッフは大変だったと思います。「自分の世界観を小説にしろ」と言われてもね(笑)。みんな苦労しながら、ひねり出していました(笑)
●小説をルーズリーフにて歴史を積み重ねていく
大橋 小野さんとともにアウトプットした小説は、Webサイトにアップするだけでなく、ファイルにされたのだとか。
諸岡 小説で書いた「ビジョン」に「ミッション」「バリュー」を加えた3部構成になっています。当初は冊子の予定でしたが、ルーズリーフ形式にしてもらいました。なぜなら、2年後には違うことを考えている可能性もあるから。変わった部分は差し替えられるようにしたいと思いました。
大橋 電子媒体でなく、紙なんですね。
諸岡 私は紙が好きなんです。
秋の「」 紙に対するリスペクトはあるわけですね。
諸岡 メチャメチャあります。紙は便利です。ぱっと見られる良さがありますよね。
大橋 完成したルーズリーフをスタッフに配布したのだとか。
諸岡 スタッフはみんな自分専用のルーズリーフを持っていて、名前やメモを書き込んだりと、カミナシの歴史を作るような感じで活用しています。
大橋 ビジョンをみんなで共有し、活用することが目的だったということですね。
諸岡 イーロン・マスク氏が「テクノロジーは勝手には進歩しない。誰かの強い情熱が集まってこそ進歩する」というようなことを言っています。私が目指す世界は、私たちだけの情熱だけではダメで、多くの人に強い情熱の火をともさないと実現できないと考えています。
秋の「」 自分ができる範囲のことを続けていくと、“ヘンなもの”ができて、偶然、それを見た人が「なんじゃこれ。でも、面白い!」と言ってくれる。「面白そうだから自分もやってみた」「改善してみた」という人が現れる。「コスプレ衣装を作り着るのは自己満足にすぎない」と思っていましたが、イベントに呼んでいただき、魅力を伝えられ、なんと宇宙開発の道に進む人も現れましたから。
●ベンチャーは共感がないと続かない 小説はビジネスの意思決定を確かにする
大橋 カミナシビジョン2030は、働き方をアップデートした取り組みを表彰する「WORK DESIGN AWARD 2022」において、ニューカルチャー部門賞を受賞されています。
諸岡 まわりから反響をいただいたこともあり、応募しました。するとSFプロトタイピングという手法でビジョンを伝える取り組みが新しい試みだと評価していただけました。
その後、いろいろな起業家から「小説を読みました。ビジョンを作りたいのだけど、どうすれば良いのでしょう?」と相談が来るようになりました。
その背景には、ベンチャーやスタートアップはカルチャーやビジョンへの共感がないと続かない、ということが関係しています。カルチャーやビジョンをどう伝えるかが課題というか、永遠のテーマです。
大橋 SFプロトタイピングを活用しているのは大企業が多いんです。特にレガシーな企業は改革への意識が強く、そこにSFプロトタイピングを活用しようとしています。でも、ベンチャー、スタートアップは、「自分たちがやっていることが未来」と、SFプロトタイピングに対してあまり関心を示さない傾向があります。しかし、カミナシさんではSFプロトタイピングを活用した。実は、そこが僕には驚きでした。
諸岡 多くのベンチャーやスタートアップは、自社のビジョンはスタッフが理解していると勘違いしています。でも、何となくカッコいい数文字のスローガンで、社長の思いまで理解してもらえるわけがありません。実際、自分でカミナシのビジョンを書くと1万5000字になりました。
大橋 スローガンだけでは社長とスタッフに認識のずれは起こりますよね。
諸岡 はい。認識のずれがあると、例えば新しいプロダクトやサービスを立ち上げるとき、みんながそれぞれ違う考え方で進めてしまうことも。なぜなら曖昧で抽象度の高いビジョンだから。そのようなビジョンでは、ビジネスとしてスピードのある意思決定ができなくなるのは当たり前です。カミナシビジョン2030は、人の心に何かを訴えて、ハートウォーミングな物語を語るだけでなく、ビジネス上の意思決定をまとめていくという意味のあるものを目指しました。
SFプロトタイピングは余白がある 夢を具体的に語りやすい
秋の「」 片仮名語を羅列するとカッコいいみたいなのが譬喩されていますが、もっと具体的に語らないといけないと私も思います。でもそれが実は大変。大変だから多くの企業ではやらない。ふんわりとしたイメージだけのものを指摘して気持ちよくなっているように思います。
大橋 夢を語るというのは、その夢が具体的でないと語れません。夢が抽象的になっていないかを見直すのはいいかもしれませんね。
諸岡 その通りだと思います。いろんな見直し方があると思いますが、カミナシではSFプロトタイピングで見直した。SFプロトタイピングの良いところは、具体的になりすぎないところです。余白があって、みんなが想像力を働かせられる余地が残っている。いいあんばいなんです。
大橋 毎年、内容を見直していくということですが、今後もSFプロトタイピングを続けていく予定なのでしょうか?
諸岡 カミナシビジョン2030は、2022年のタイミングで書いたものだし、2030年の夢を書いているだけです。そこから先、どこに行くかは一切、書いていません。今後の世の中の進歩と共に毎年、アップデートしていきたいと思っています。
秋の「」 大長編小説になりそうですね。
諸岡 新しく入社したスタッフは、渡された小説を見て「これを読まないといけなのかよ」と嫌になるかもしれません(笑)。でも、読むと私の葛藤や悩みが分かると思います。
●夢への第一歩を踏み出すために 「過程こそテクノロジーの芽」
大橋 最後にメッセージをお願いします。
諸岡 カミナシビジョン2030は、いまの会社からすると夢の状態です。でも、その夢に向かって第一歩を踏み出すために、そこに行く具体的なストーリーを作り始め、出来上がりつつあるところです。2023年からは新しいプロダクト作りにもチャレンジして、具体的に届けることをやって行きます。これからも頑張ります(笑)
秋の「」 コスプレは、架空のものを実際に作り上げていくものです。それはSFプロトタイピングとかなり似ていると思いました。架空なものを形にしてみようとすると、いろいろな問題点が見えてきます。「あれができない、これができない」と……。それが大事だと思います。できないのなら、何ができないか、何が足りないか、それを一つずつ乗り越えてみようと思うと、「こっちでもいい」「こういう方法ある」と新しい発想が生まれます。
検索して、「こういう技術があるから誰か使ってくれ」という情報をキャッチして、それを使ってみる。宇宙開発もそうです。新しい技術がいっぱいあります。APIで公開しています。読者の方にもいろいろな職業の方がいると思うので、ぜひ見てみてもらいたいです。世間に広まる前の段階のものが多いので、組み合わせたら自分の分野でまだ誰もやってないものを作れます。架空のものを実現する過程こそがテクノロジーの芽です。
大橋 僕が言いたかったことを秋の「」さんに言われてしまいました(笑)、僕も同感です。本日はありがとうございました。
カミナシさんは、SFプロトタイピングで会社のビジョンを描き、それをスタッフに共有しています。カミナシさんの「物語」の主役はスタッフ一人一人。確かに、片仮名語を多用した、ふんわりとしたビジョンで企業の「夢」は語り尽くせないように思いました。そこにSFプロトタイピングを用いることでより具体的な企業ビジョンになり得るということが、よく分かりました。
SFプロトタイピングに興味がある、取り組んでみたい、もしくは取り組んでいるという方がいらっしゃいましたら、ITmedia NEWS編集部までご連絡ください。この連載で紹介させていただくかもしれません。
●連載:「SFプロトタイピング」で“未来のイノベーション”を起こせ!
SF《サイエンスフィクション》をビジネスに活用する「SFプロトタイピング」。現実を取り払って“未来のイノベーション”を生み出す可能性を秘めた取り組みの最前線を追う。
|
|
|
|
Copyright(C) 2023 ITmedia Inc. All rights reserved. 記事・写真の無断転載を禁じます。
掲載情報の著作権は提供元企業に帰属します。