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2023年2月1日。プリキュアが記念すべき20周年目を迎えました。
今でこそ、プリキュアは親子で楽しめる人気アニメシリーズとなっていますが、ここに至るまで道は決して平たんではありませんでした。
「子どもたちのため」として始めた表現が、いつの間にか自らを呪縛する。プリキュア20年の歴史は「表現との戦い」の歴史でもあったのです。
●プリキュアシリーズ20周年
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2004年2月1日。記念すべき第1作「ふたりはプリキュア」がスタートしました(※これを記念して2月1日は「プリキュアの日」と制定されています)。
女の子向けアニメでありながら、パンチやキックで戦う姿が当時の女の子の心をまたたく間につかみ大ヒットアニメに。以後1年に1作品、途切れることなくシリーズを重ね、ついに2023年で20作目を迎えることとなりました。
バンダイが実施していた「お子さまの好きなキャラクター」アンケートの3〜5歳部門では14年連続で1位になるなど、今や小さな女の子向けコンテンツの代表となっています。
20シリーズの合計では77人を超えるプリキュアが登場しています。そこでずっと描かれてきたのは「女の子が自立していること。りりしくあること」。77人のプリキュアには、77通りの生き方が描かれているのです。
ちなみに、今でこそプリキュアといえば「女の子だって暴れたい!」というキャッチフレーズによりフェミニズム的な視点で語られがちですが、実はこれは企画書の2番目に書かれていた言葉。企画書のトップに書かれていたのは「永遠のテーマ・友情に真っ向勝負!」。プリキュアは何より「女の子の友情を描く物語」としてスタートしていたことを忘れてはいけません。
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そのプリキュアシリーズが20年も続いてきた要因の一つに、制作者が悩み決断し続けてきた「表現」の歴史があります。
●「女の子は〜」「男の子だから〜」は使わない
プリキュアを立ち上げた東映アニメーションの鷲尾天さん(現:執行役員エグゼクティブプロデューサー)は、プリキュアを制作するうえで最も気を使ったこととして「主人公が女の子であること」「番組の対象が子どもであること」をあげています。
――番組を作っていくうえでもっとも気を使われたことは?鷲尾 “やはり主人公が女の子”という点と、あくまでも番組の対象は子供たちなんだというスタンスです。講談社『ふたりはプリキュアビジュアルファンブックvol.2』(P87)
そのため、初期のプリキュアでは「顔面への攻撃はしない」「下着などのセクシーな表現はしない」「汚い食べ方をしない」「過剰なダイエットの描写をしない」など、子どもたちの作品であることに配慮した数々の決めごとがありました。
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例えば顔面への攻撃はしない。水着や下着は見せないなどだ。アニメのターゲットである女児がプリキュアごっこをしたとき、無意識のうちに絵に刷り込まれていることをやってしまったら怪我をする可能性がある。そこで、顔面や腹部を殴ったり殴られたりというシーンは表立って出さないようにした。プレジデント社『プレジデント2010年8月30日号「プリキュア」に学ぶ子どもマーケット攻略法』より
●大人の好きそうなことをしない
また2000年前半は、時代的にも令和ほどアニメに市民権はまだ無く、「子どもが見るもの」「一部のオタクが見るもの」といった風潮が根強く残っていた時代でした。
そんな中「ミニスカートの女の子がアクションをする」といった内容のプリキュアは、たとえ日曜日の朝アニメといえども大人にうがった目で見られることも懸念されました。
そこで、制作側は「大人の好きそうなこと」を一切やらない、というスタンスを取ったのです。
また「大人が好きそうなことはやめよう」と決めた。例えばターゲットの女児がとにかく楽しく見られるのであれば、あえて水着を出さなくてもすんでしまう。夏休みっぽい雰囲気であればいいじゃないか、と考えたのだ。さらにミニスカートのコスチュームで戦えば、下着が見えてしまうのが普通だ。だが、そうならないようにレギンスを着用させ、絶対に見えないように配慮していたという。プレジデント社『プレジデント2010年8月30日号」「プリキュア」に学ぶ子どもマーケット攻略法』より
事実、プリキュアシリーズにおいていわゆる「下着が見えるシーン」はこの20年間、一度も描かれたことはありません。
また、作中のジェンダー観にも配慮し「男だから」「女だから」などといったせりふは使わないこと、「戦う」「勝つ」「負ける」などといった攻撃的な言葉もNGとするなど、その思いはかなり徹底されていたようです。
――ジェンダーに関することにも気を付けているそうですね。鷲尾 そうですね。例えば、会話のなかに「男だから」とか、「女だから」というセリフは入れないようにするとか……。鶴崎 脚本を検討するときも「女の子は……」などというセリフや価値観を監督はかなり意識してはずしていますね。講談社『ふたりはプリキュアビジュアルファンブックvol.2』(P87)
そういえば「敵」って言葉を本編では使わないんですよね。プリキュアはNGにしている言葉があって、「戦う」とか「敵」「勝つ」「負ける」。これは脚本を書くときに一番苦労するんじゃないかと。幻冬舎『プリキュアシンドローム』(P490)
立ち上げ当時のプリキュアではそういった数々の決めごとにより、「子どもたちのための作品」ということが強く反映されていました。そしてこの方針はブランド維持のためにアニメーション以外でも徹底されます。
例えばプリキュアの漫画版を手掛けている上北ふたごさんは「胸の谷間を描かないように」や「たとえスパッツを履いていてもスカートの中は見えないように」という指定があったことや、「外見に関する美醜に関する表現」も避けていたことを明かしています。
上北 なぎほの時代(「ふたりはプリキュア」「MaxHeart」)に海水浴のお話を描いたときに「胸の谷間を描かないように。胸を強調しないように。と言われてはじめてその方針を知りました。キャラ設定画を改めて見返してみると、胸はペッタンコだったので、以降準じるようにしました。(中略)稲上さんから「たとえスパッツをつけていても、ブルームのスカートの中は隠れるようにしてください」とご指摘され、ハッとしました。私たちは女性ですので、全く無意識に描いていた部分ではあります。幼女向けアニメであろうと、性的で好奇な視線に対するガード、配慮の必要性があることに驚くと同時に、キャラクターを大切に守る正しい姿勢に感動しました。幻冬舎『プリキュアシンドローム』(P532)
鷲尾さんから注意された「外見に関する美醜の表現とか、食べ物を粗末に扱っているように見える表現は避けてください」というのも印象に残っています。幻冬舎『プリキュアシンドローム』(P533)
●親の目線も意識する
プリキュアシリーズ2代目プロデューサーの梅澤淳稔さんは、プリキュアシリーズを作る際に「子どもならばこの作品を楽しめるか?」ということと同時に「自分が親だったら子どもに薦められるか」という点を意識していたといいます。
梅澤 『プリキュア』シリーズは結局「自分が子どもだったら、この作品を楽しめるか」「自分が親だったら子どもに薦められるか」という2点を拠り所にするしかないんですよ。ぴあMOOK『プリキュアぴあ』(P87)
今でこそプリキュアシリーズは「親子で楽しめるアニメ」としての地位を確立していますが、開始当時は、保護者サイドから色眼鏡で見られることも多々あったようです。
そのため、親に見られることをも十分に配慮した作品作りがなされ、年月を重ねるとともに「子どもに見せても安心なアニメ」としての信頼も勝ち取っていったのです。
この「子どものための作品である」「大人の好きそうなことをしない」「保護者の目も意識する」という制作側の配慮が、メインターゲットである子ども、そして保護者の支持も得て「プリキュアシリーズ」を大ヒットアニメへと成長させていったのです。
しかしこれらの方針は、次第にプリキュアシリーズを苦しめることになっていくのです。
●次第に「規範」を求められるように
「ふたりはプリキュア」シリーズ3作品の後、2007年「Yes!プリキュア5」からはチーム制となりイメージを一新。こちらも続編が作られるほどの大ヒットとなり、以降「フレッシュプリキュア!」「ハートキャッチプリキュア!」「スイートプリキュア♪」「スマイルプリキュア!」「ドキドキ!プリキュア」とシリーズを重ね、プリキュアはまさに女の子向けアニメーションの代表へと躍進していきます。
しかしプリキュアシリーズはその歴史を重ねるにつれ、次第に女の子向けアニメとしての「規範」を求められるようになっていくのです。
登場するキャラクターは、優しい思いやりのある良い子で、親への反抗はしない、悪いことはしない、セクシーさを決して強調しません。描かれるストーリー的にも多くの制約があったといいます。
プリキュアシリーズで最も多くの脚本を書いている脚本家の成田良美さんは、2014年(ハピネスチャージプリキュア!)の時点で「恋愛を描くのもタブーになりつつあった」と語ってもいます。
成田 『プリキュア』は子どもが観るということもあって、恋愛を描くのはタブーになりつつありました。実際に脚本を担当するときも、恋愛のエピソードは避けてほしいと言われることもあるくらいで。学研プラス『ハピネスチャージプリキュア!オフィシャルコンプリートブック』(P80)
(実際にはプリキュアにも恋愛話はあるので、恋愛の描き方に注意が必要だった、という意味だと思われます)。
シリーズ開始から10年、プリキュアはいつのまにか世間に「道徳的なアニメ」としての側面を求められる様になっていたのです。
「この表現は使えない」「この展開はダメ」「このセリフを変えなければならない」そんな自主規制に捉われて、表現がどんどん窮屈になっていったのです。
2015年「Go!プリンセスプリキュア」のシリーズディレクター田中裕太さんは、それらの窮屈な現状を指し「女児アニメの概念に捉われないものとして始まったプリキュアが、シリーズを重ねるにつれ“女児向けアニメのスタンダード”として道徳的な部分を期待され表現の幅を狭めてしまっていた」と語っています。
田中 『プリキュア』シリーズは、女児アニメの概念に捉われないものとして始まったにもかかわらず、長くやっているうちに『プリキュア』のほうが、“女児アニメのスタンダード”と見なされるようになっていて、いつしかその内容に道徳的な側面まで期待されるようになりました。それはとてもありがたいし、名誉なことでもあるんですが、それに委縮して、これまで無意識にすごく表現の幅を狭めていたことがありました。学研プラス『Go!プリンセスプリキュア オフィシャルコンプリートブック』(P78)
●自主規制の象徴であった「水着」
そんな「自主規制」の象徴となっていたのがプリキュアの「水着表現」でした。
もともと自主規制として水着は描かれていませんでしたが、2009年「フレッシュプリキュア!」でワンシーンのみ水着が描かれた時の過剰な反応もあり、中期のプリキュアでは水着を描くのがタブーとなっていました。
本来、海に遊びに行くシーンでは水着になるのは当たり前ですし、女の子のファッションとしても夏の定番で描写に何も問題はないはずなのです。しかしプリキュアではシリーズ開始から10年間、不自然なほど水着になりませんでした。それも「過剰な自主規制」の産物だったのです。
「Go!プリンセスプリキュア」(2015年)のプロデューサーだった神木優さんは、プリキュアの水着は「慎重に扱うもの」であったことを認め、その過剰な配慮が逆に不自然になっているのでは、と危惧していました。
神木 『プリキュア』は視聴者がお子さんですから、たとえば敵であっても顔面は殴らないとか血は出さないとか、それなりのルールはあるんです。ただ、水着はセクシーに見えすぎた場合、作品として見せたい意図とズレが出てしまうことがあるので、慎重に扱うものだったんですね。その配慮の結果が逆に不自然に感じるのでは、ということは議論になっていました。それに合わせて、今年は一度、これまでのシリーズで受け継いでいるものを再検討しましょう、という話も出ていて。それが全面に出たのが水着の回だったんです。学研プラス『Go!プリンセスプリキュア オフィシャルコンプリートブック』(P78)
そしてその「Go!プリンセスプリキュア」において神木プロデューサーをはじめ制作側は葛藤の末、ついにプリキュアで水着表現を解禁したのです。もちろん何も問題になることはなく、以降のシリーズでは「プリキュアの水着」は普通に描かれるようになったのです。
プリキュアで「水着が描かれる」という、たったそれだけのことを実現するまでに11年もの歳月が必要でした。
もちろん水着表現の解禁には、初代から描いてきた「保護者からの信頼」を勝ち得てきたからこそ実現できた側面もあります。10年間の信頼が保護者に「プリキュアならば水着が描かれても安心だろう」と思わせるまでに至っていたのです。
この「水着の解禁」は、従来の「プリキュアの自主規制」からの脱却の象徴的な出来事となり、以降のプリキュアシリーズでもさまざまな新しい試みがされていくようになるのです。
田中 僕は個人的に、「プリキュア」シリーズはいささかこれまでのシリーズに慣例に凝り固まっている節があると思っていました。もし本作で少しだけでもそれを打破できれば、本作だけでなく以降のシリーズでも、もっと表現の幅を広げられて、これまで避けてきた表現や、もっと新しい表現も可能となるかもしれない。学研プラス『Go!プリンセスプリキュア オフィシャルコンプリートブック』(P78)
●子どものため、葛藤し続ける制作者の思い
プリキュアは2015年以降、東映アニメーションのプロデューサーが1年で交代するシステムとなり、作品的にも「魔法」や「スイーツ」「子育て」など分かりやすいテーマが示されるようになり、その年の制作者が伝えたいことが明確となっていきました。
そこでは、プリキュアの制作者が常に「今の子どもたちのために何が必要か?」を悩み、葛藤している姿が伺えます。
「魔法つかいプリキュア!」(2016年)シリーズ構成の村山功さんは、プリキュアが亡国を救うような「使命感にかられて戦う」のは違うと考え、プリキュアが「子どもたちの友達」として見えるようなストーリーを描きました。彼女たちは疑似家族的なつながりで「日常」を守るために戦いました。
村山 「王国が悪者につぶされて、妖精がプリキュアに助けを求めに行く」というストーリーは、暗くなるからやめたいと僕のほうから申し出ました。(中略)そんな大人の事情を子どもたちに見せたくなかったというのもあります。何よりも、子どもたちにプリキュアを友達として見てほしかった。そうすると強大な敵に立ち向かうとか、滅んだ王国を救うみたいな壮大な話は違うかなと思ったんです。学研プラス『魔法つかいプリキュア!オフィシャルコンプリートブック』(P90)
「キラキラ☆プリキュアアラモード」(2017年)では、未就学児に作品を楽しんでもらうために「プリキュアのアイデンティティー」の1つであった肉弾戦を封印。キラキラの「想い」で戦うプリキュアが描かれました。同作では「大好き」で集まったプリキュアたちの個々の尊重とシスターフッド的なつながりも描かれ、子どもたちに「大好き」の力を伝えたのです。
貝澤:僕がこれまで担当してきた作品と違い「プリキュア」は未就学児も観ているので、「その子たちが理解して楽しめるものを作ってください」と言われたんです。それを聞いて改めてバトルは肉弾戦でいいのかなと考えました。僕は「プリキュア」は女の子のなかにあるキラキラした特別な力が能力になっていると思っていて、バトルではそのキラキラを拳に乗せて的にぶつけているのだととらえました。学研プラス『キラキラ☆プリキュアアラモードオフィシャルコンプリートブック』(P86)
シリーズ15周年作品の「HUGっと!プリキュア」(2018年)では、「子育ては社会がするもの」や「ワンオペ育児の否定」「子育てだけが女性の幸せではない」など、社会問題を包括しつつ、家父長制などの古いシステムに縛られることなく「誰だって、何にでもなれる」姿が描かれました。その象徴として「男の子プリキュア」も誕生しました。
「子育てがテーマの作品ですが、観てくれる小さい女の子に『将来子どもを持つことが女性の幸せだ』という価値観を刷り込んでしまうことは、私は絶対やりたくないんです」。徳間書店『Animage(アニメージュ)』2018年7月号(P29)
「ヒーリングっど・プリキュア」(2020年、・はハートマーク)のシリーズ構成である香村純子さんは、これまでのプリキュアシリーズで描かれてきた「敵を赦(ゆる)し、救済すること」が、逆に女の子を追い詰めてしまうのではないか、と危惧し「女の子はなんでも許してくれる女神ではない」との思いを作品に込めました。
近年の「プリキュア」では、敵と和解して彼らを救済する結末が続いてきていたと思うんです。それは本当にいいことだと思っています。ただ、時にそれが、今の世にはびこる女の子への社会的圧力や扱い等と合体すると、それは女の子たちを追い詰めてしまうことはあるかもしれない、と。無意識に「女の子だから優しくしなきゃいけない」という強要にすり替わって、悪いヤツにつけ込まれて酷い目にあったりしないかしらと。もちろん和解や救済はすばらしいことだと思うんです。でもそれにこだわるあまり、自分の心が死んでしまっては元も子もないのでは……。(中略)香村 そうですね。女の子は何でも受け止めて何でも許してくれる女神ではありません。徳間書店『Animage(アニメージュ)』2021年03月号(P70)
プリキュアシリーズで描かれ続けてきたテーマは1つではありません。19作品には19通りの女の子の生き方が描かれてきました。
そこでは、子どもにとっては難解なテーマが示されることが多いのも事実です。しかし、制作者は「いつか大人になった時に、子どもの時に見たプリキュアの勇気を思い出してもらえる可能性があるならば、作り続けていく」とも語っています。
プリキュアはいつか大人になる「未来の子どもたち」に向けた制作者からのメッセージでもあるのです。
●考えることを放棄しない
「スター☆トゥインクルプリキュア」(2018年)のプロデューサーだった柳川あかりさんは、子ども向け作品において「どこまで配慮すればよいかの正解は無い」としながらも「考える事を放棄し、開き直ることがあってならない」と語っています。
どこまで配慮すればよいのか。この問いに対する「正解」はありません。でも、制作する側が考えることを放棄し、開き直ることがあってはならないと思います。誰かを傷つけた犠牲のもとに成り立つ「面白さ」なんて、あっていいわけがないのです。(朝日新聞 2020年1月10日 朝刊15面)
プリキュアシリーズの未視聴者にとっては、プリキュアは「毎年同じことを繰り返している」ように見えるのかもしれません。
もちろん、プリキュアはビジネスでもあるため「変身バンク」や「決め技シーン」「顔の前で商品をアップで映す」など必ず描かれる要素も数多くあります。
しかし今を生きる女の子に向けて、何が必要なのか、何を表現するべきかを制作者が常に自問自答し、惰性に陥らず考えることを放棄しなかったからこそ、プリキュアシリーズは20年もの間、女の子たちに支持され続けてきたのです。
●「女の子が喜んでくれる作品」であるため変わり続ける
従来の女の子アニメの常識を破って開始したプリキュアシリーズが、歴史を重ねるにつれいつのまにか「女の子向けアニメのスタンダード」として規範を求められ、表現の幅が狭まってしまったこと。しかしそれを乗り越え、表現の幅を広げて変化し続け20周年を迎え今に至ること。
20年目の最新作「ひろがるスカイ!プリキュア」は、シリーズ初の「異世界人」「青色のプリキュア」が主人公となります。プリキュアは常に変わり続けていきます。
ただ一つ変わらないものがあるとすれば、やはり初代プロデューサーの鷲尾さんの言葉に集約されるのではないでしょうか。
「女の子たちに熱狂してもらえるなら、変身しなくてもいいし、アクションをしなくてもいい。男の子が仲間に加わってもいいとまで思っています。女の子たちがちゃんと喜んでくれる作品になっているなら、『プリキュア』も変わっていってもいいと思うんです。」講談社『プリキュアコレクションふたりはプリキュアマックスハート(上北ふたご著)』鷲尾天独占インタビューより
「女の子がちゃんと喜んでくれる作品になっているなら、「プリキュア」も変わっていってもいい。」
制作者が常に悩み葛藤し、変わり続けながら「女の子が喜んでくれる作品」を作り続けていることこそが、20年にわたるプリキュアの強さなのです。
プリキュア20周年おめでとうございます。僕の娘もプリキュアと同じ年に生まれ、今年20歳になります。プリキュアとともに育った娘は、今でも「キュアパイン」が大好きで、たまに一緒にプリキュアの話もします。家族を幸せにしてくれてありがとうございます。
現在放送中の「デリシャスパーティプリキュア」は、プリキュアシリーズでは初のAmazon Prime Video、NETFLIX、dアニメストアほか各種見放題配信サービスでも見逃し配信中です。
「デリシャスパーティプリキュア」毎週日曜8時30分よりABC・テレビ朝日系列にて放送中(C)ABC-A・東映アニメーション
●著者:kasumi プロフィール
プリキュア好きの会社員。2児の父。視聴率などさまざまなデータからプリキュアを考察する「プリキュアの数字ブログ」を執筆中。2016年4月1日に公開した記事「娘が、プリキュアに追いついた日」は、プリキュアを通じた父娘のやりとりが多くの人の感動を呼び、多数のネットメディアに取り上げられた。
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