山下和美のエッセイ漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』完結  日本で古い建築を守る「意義」と「難しさ」

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2023年02月03日 07:11  リアルサウンド

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山下和美が保存運動を推し進めた、世田谷区に現存するもっとも古い洋館とされる「旧尾崎邸」。壁面は水色だが、かつては異なる色で塗られていたという説もある。写真=山内貴範
漫画家の熱意が人々を動かした!

 「グランドジャンプ」で連載されていた山下和美のエッセイ漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』が完結した。山下が、世田谷区豪徳寺にある明治時代に建てられた洋館「旧尾崎邸」の取り壊しの話を聞き、保存運動を開始。保存決定に至るまでの一連の出来事を描いている。2月3日にはNHK BSプレミアムで「そして、水色の家は残った〜"世田谷イチ古い洋館"の135年物語〜」が放送予定である。


 「旧尾崎邸」を残すうえで最大の問題は、土地と建物を買い取り、さらに修繕を施すための費用をいかに確保するかにあった。途中、山下は何度も壁に直面し、保存を断念せざるを得ない事態に追い込まれた。ところが、漫画家の新田たつお&笹生那実夫妻が現れてから事態が急展開。クラウドファンディングを行い、賛同者も増えていき、満を持して保存が決定した。現在は改修工事が進められており、年内にも一般公開が始まる見込みという。一人の漫画家の情熱が人々を動かし、大きな輪になった感動的な事例である。


 地方では建築を残すために奮闘している人が大勢いる。山下の漫画は、そうした人たちにこそ読まれるべき貴重な記録といえよう。


 しかしながら、本著を読むと、日本で古い建築を残すのがいかに難しいのかを実感させられてしまう面もある。山下ほどの数多くのヒット作を抱える漫画家界の大御所ですら、ここまで苦労しているのだ。建築の保存改修には億単位の費用がかかることも多く、不動産や地域住民との複雑な関係を考慮する必要も出てくるため、一筋縄ではいかないのである。


価値ある建築が取り壊されてきた

 日本ではこれまで、明治〜昭和初期に建てられた歴史的建造物が数多く取り壊されてきた。残っていれば確実に重要文化財になっていたであろう、ジョサイア・コンドルの「三菱一号館」は昭和43年(1968)に丸の内の再開発で解体された。そのすぐ近くに立っていた大正時代のオフィスビル、初代「丸の内ビルディング」も解体済みで、高層ビルに建て替えられている。


 吉田鉄郎の傑作であり、昭和初期のモダニズム建築の代表格である「大阪中央郵便局」も間違いなく重文になるべき建築であったが、開発されてしまった。「東京中央郵便局」は「KITTE」として再開発されて一部が現存しているものの、完全な形で残すことはできなかった。その一方で、「KITTE」は実に魅力的な施設である。建築を残すべきだったか、再開発して正解だったかどうかの判断が筆者には難しい。


「三菱一号館」は丸の内の歴史を語るうえで欠かせない建築であり、明治時代に建てられた最初期のオフィスビルでもあった。平成21年(2009)に図面を元に復元され、美術館として活用されているが、あくまでもオリジナルではないため重要文化財ではない。写真=山内貴範
 近年は、価値の高い戦後建築が相次いで取り壊されている。やはり重文に指定されるだけの価値があった菊竹清訓の「出雲大社庁の舎」や黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」が解体済みであるし、香川県高松市では丹下健三の「旧香川県庁舎」が重文指定された一方で、同じ丹下の作品「旧香川県立体育館」は解体の危機にさらされている。


 これを「日本はなんて文化を大事にしない国なんだ!」とディスりまくるのは容易いのだが、なぜ日本では名建築がいとも簡単に解体されてしまうのだろう。未来の文化遺産が失われる事態なのに、世論が盛り上がらないのだろう。筆者は建築関係者や建築ジャーナリストの責任も大きいと考えている。彼らは現代建築の魅力を人々に伝える努力をしてきたのだろうか。建築の価値を説明するのはなかなか難しい。パンフレットを見ても一般にはわかりにくすぎるのだ。メタボリズム? ポストモダン? なんじゃそりゃ? なのである。


 そもそも、日本を代表する世界的な建築家である丹下健三の名前を知っている人が、どれだけいるのか。前川國男、坂倉準三などにいたってはさらに知名度が低いだろう。こうした戦後まもなく活躍した建築家の知名度を、安藤忠雄か隈研吾くらいのレベルまで引き上げる努力を、建築関係者は行わなければいけないのではないだろうか。


「代々木競技場」は丹下健三の代表作であり、昭和39年(1964)に建てられた2023年1月現在でもっとも新しい重要文化財。丹下が設計した建築はほかに「広島平和記念資料館」や「東京都庁舎」「フジテレビ本社ビル」などがあり、作品は知っていても建築家の名前を知っている人がどこまでいるだろうか。写真=山内貴範
インフルエンサーが古い建築に住めば解決する?

 価値ある建築が次々に取り壊される問題は、もはや日本の伝統芸と言えるような状況だ。国宝級の城郭や寺院を壊しまくった明治維新の頃や、やはり明治時代の洋館を壊した高度成長期の頃から何も変わっていないのだ。


 こうした状況をどうすれば変えることができるのか。筆者の知り合いの不動産業者は、「日本で古い家に住むことがトレンドになれば変わるのではないか」と語る。なぜ、古い建築は取り壊されてしまうのか。それはハコを新築した方が不動産の資産価値が上がるためだ。それならば、古い方に資産価値がつき、所有することにステータス性が生まれれば壊されないのである。


 例えば、HIKAKINのようなインフルエンサー的な人物が洋館に住み始めたり、青木美沙子が洋館を舞台にロリイタの文化を広めたり、イケイケのIT実業家が昭和初期の古いビルを買い取って情報発信基地にするなどして、「古い建物に住むのがトレンドになり、古いビルほどテナントが入るようになれば、わざわざ耐震改修して手間をかけてでも守ろうとする機運が生まれるかもしれない」と、先の不動産業者は言う。


 もしくは、『ラブライブ!』や『ぼっち・ざ・ろっく!』などの人気アニメの聖地になるのもありなのかもしれない。洋館が登場するアニメでは、『ゾンビランドサガ』には佐賀県唐津市の「旧三菱合資会社唐津支店本館」が登場する。滋賀県豊郷町の「豊郷小学校旧校舎群」は『けいおん!』の舞台として高名だが、かつては町を二分し、解体か、保存かで大きな議論になった。


 こうした聖地化を進めることで、建築を守る機運を醸成することもできるかもしれない。だが、聖地巡礼が成功するか否かはアニメのヒットにかかってくるため、別の問題が生まれてくる。やはり、建築の保存は難しいのだ。


佐賀県唐津市の「旧三菱合資会社唐津支店本館」は明治41年(1908)の竣工。アニメの聖地になっている洋館では代表的なもの。設計は三菱丸ノ内建築事務所。唐津出身の建築家の曾禰達蔵は三菱の建設顧問であった。写真=山内貴範
建築を守るのは人々の愛着と熱意

  山下和美の運動が成功したのはなぜか。そもそもなぜ山下が「旧尾崎邸」を守ろうと思ったのか。それは、北海道小樽市に生まれ、子どもの頃から洋館に囲まれていたという原体験があった。「旧尾崎邸」を残したいと思ったきっかけは、建築学的な価値云々よりもかわいくて素敵な洋館であるという純粋な想いであった。


 小難しい学術的な話よりも、こういう人々の純粋な思いの方が共感を呼びやすいと筆者は考える。例えば、辰野金吾が設計した東京駅の赤レンガ駅舎が残ったのは、ひとえに運動を始めた市民の愛着が大きかったためではなかったか。こうした草の根的な活動は重要だ。弘前市は前川國男の建築を観光資源として活用する動きを見せている。島根県には、菊竹清訓や安田臣が設計した山陰地方のモダニズム建築を広めようとする「大建築友の会」のような活動もある。こうした活動が盛り上がっていってほしいものだ。


東京駅の赤レンガ駅舎(東京駅丸ノ内本屋)は大正3年(1914)に辰野金吾と葛西萬司の設計で建てられた。昭和20年(1945)に戦災に遭って多くを焼失したが、戦後に仮復旧。その後は取り壊して駅ビル化する構想もあったが、市民団体を中心にした保存運動で解体を免れ、創建当時の姿に復原された。写真は今となっては貴重な復原前の姿。写真=山内貴範 鳥取県、島根県など山陰地方には戦後を代表するモダニズム建築が多い。この「島根県庁舎」は建設省に所属していた安田臣の代表作で、戦後の勢いを感じさせる迫力満点の建築。写真=山内貴範
 歴史的建造物に対し、維持管理が面倒な邪魔モノという扱いではなく、地域の宝、みんなのものという意識が共有できなければ後世に残らない。廃線が取り沙汰される各地のローカル線にもいえるのかもしれないが、一度失くしてしまったものは二度とよみがえらせることはできないのだ。地域の10年、50年先を見据えた議論が必要だろう。


 間違いなく、歴史的建造物は今後の地域振興や観光立国を考えるうえでも欠かせない存在になってくるだろう。山下和美の漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』は、建築に関する様々な問題を考えるうえで最適な、教科書になり得る一冊である。


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