峯岸みなみ(みねぎし・みなみ)/2005年にAKB48の第1期メンバーとして活動を始め、21年に卒業。現在はバラエティー番組やラジオなど幅広く活躍。22年9月に発売した初のスタイルブック『短所ネガティブ 長所ネガティブ』も話題に(撮影/写真映像部・加藤夏子) 539日間にわたる禁酒を経験した峯岸みなみさん。毎晩のように痛飲し、かつては「週5で記憶を飛ばしていたこともあった」そうです。そんな峯岸さんは、当時の自分を「お酒の場に依存していたかもしれない」と振り返ります。AERA 2023年2月6日号の記事から。
【写真】峯岸さんが禁酒中に続けていたツイートはこちら* * *
アルコールをやめようと思ったのは、「きれいに卒業したかった」からだ。
タレントの峯岸みなみさん(30)は、539日間の禁酒をしていた。所属していたAKB48の卒業コンサートに向けて、お酒を飲まないと宣言したのがきっかけだった。
■「週刊誌対策」で禁酒
なぜ禁酒を掲げたのか。
「自分で言うのもなんですが、素面だと人の気持ちを考えられるまじめな人間なんです。ただ、お酒を飲むと普段気を張っているぶん感情がバンと爆発しちゃったり、陽気になって初対面の人とも肩を組んで歌ってしまったり。飲み屋で知り合った人と思いもよらない報道をされてしまったこともありました」
これまでの経験から、卒業前は週刊誌記者の張り込みが激化しやすいことも知っていた。「最後の1期生」としての卒業公演が、スキャンダルで台無しになってはいけない。そんな思いもあって、2019年12月から禁酒を始めた。
最初の2カ月ほどは、飲みに行けないつらさがあった。
「インスタを開けば友達が飲み会をしているし、そこに自分がいないというのもさみしかった。ただ、しばらくしてコロナ禍が始まると、みんな飲まなくなって。そうした気持ちも自然と落ち着いていきました」
禁酒していることをツイッターで何げなくつぶやいたら、ファンから「依存症の人に見えるからツイートしないでほしい」とコメントがきたこともあった。
そのとき、ふと思った。
「お酒には依存していなかったけど、お酒の場に依存していたかもしれない」
12歳でAKB48のオーディションに合格した。「会いに行けるアイドル」をコンセプトにしたグループは、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍の幅を広げていく。その一員として、峯岸さんの人気も知名度も急拡大していった。
■「神7」に抱いた劣等感
アイドルとしての目まぐるしい日々。まだ10代だった峯岸さんが楽しみにしていたのが、お酒の解禁だった。
当時から仲の良いメンバーは峯岸さんより一つ年上で、すでにお酒を楽しんでいた。その姿に憧れや妄想が募り、いつからか二十歳の誕生日へのカウントダウンをはじめていた。
「早くお酒を飲んでみたい」
「みんなの仲間入りをしたい」
そんな感情が、二十歳になった瞬間に弾けたという。
「飲み会というものに行ってみたいという思いが強すぎたんです。みんなと同時にスタートを切れなかったこともあって、爆発的にお酒を飲むようになってしまいました」
飲みの場に行けばシャンパンがいくつも空き、一気飲みもした。おいしいからというよりは、派手に飲んで酔っ払う感覚が楽しかった。お酒で仕事のストレスやモヤモヤが一時的に発散できた気がした。
そんな峯岸さんを心配するメンバーも当然いた。グループの総監督だった高橋みなみさんから、「飲み方が怖い」「知らない人と仲良くなるのは危ない」と怒られたこともある。
だが、その声は届かない時期だったと振り返る。
「神7に選ばれていないとか、他のメンバーへの劣等感があった。やっとお酒を飲めるようになって、その世界で楽しく遊んでくれる友達もできて、そこにいればそうした不安から解放されるような気がしたんです」
飲んだ次の日に友達から見せられた動画や写真に、「だらーんとなった自分」の姿があったのは一度や二度ではない。何も覚えておらず不安になったが、100%酔っ払う様子を最初に見せてしまったため、そこに達さないと盛り上がっていないと思われてしまうかもしれない。二十歳からの1年間は、「エンタメとして」飲みまくったという。
■週5で記憶を飛ばす
だが、このときAKB48の活躍は目覚ましく、外で飲めば常に誰かから指をさされる。忙しさも相まって、物理的に飲めない時間も多かった。
飲み方が加速したのは、お酒を解禁して2カ月後に恋愛スキャンダルが報じられてからだ。峯岸さんは研究生へと降格。頭を丸刈りにしての謝罪はAKB48史上に残る騒動になった。
「スキャンダルがあってしばらくは外に出なかったので、お酒からは離れていました。ただ、少し落ち着いてからは、また飲みの場に行くようになってしまった。仕事が減ったストレスをお酒にぶつけるようになり、週5で記憶を飛ばしていた時期もありました」
テレビのオファーもなく、飲むことが唯一の楽しみだった。夜ご飯を終えれば店に行き、朝9時頃まで飲み続ける。夜まで寝て、また飲みに行く。そんな毎日を過ごしていたという。
あるとき、飲みすぎて仕事を飛ばしてしまったことがある。
「午後からレッスンがあるのに12時くらいまで飲んでしまって。自分では起きられると思っていたけど、無意識にアラームを止めていたみたいです。携帯の電源も切れていて、連絡がつかない。すごく心配をかけてしまいました」
当時のマネージャーには、「今後どうしていくのか自分で考えるように」と突き放すように言われた。ひたすら謝り続けた。
お酒をやめようと考えたことはあったが、「飲みの場に行かない」選択ができなかった。そこに行けば常連の誰かがいて、楽しい時間が確約されている。峯岸さんにとって、生きがいのようになっていた。
■両親の存在に救われた
実家に帰ったとき、「飲んでばっかりでヤバい」と親に愚痴ったことがある。
「それを言うことで、まだ本当にヤバいところまでは行ききっていないって思いたかったのかもしれません。自分のエゴですけど、両親が突き放すことなく話を聞いてくれたことが救いになっていたような気がします」
それほど「お酒の場」に依存していたという峯岸さんだが、どうして今回は禁酒を達成できたのか。
「卒業するまで飲まないという目標ができたのが大きかったです。歴代のすっごい素敵な卒業をいっぱい見届けてきたので、自分もきれいな姿でみんなに祝福されてAKB48としての活動を終えたかった。卒業発表したことで責任や目標が生まれて、『お酒の場の呪縛』から解放された気がします」
禁酒宣言をした当初は、峯岸さん自身も周りも「本当にやめられるのか」と半信半疑だった。ただ、事務所の人がすごくうれしそうだったことは覚えているという。
コロナ禍での公演延期もあったが、宣言通り539日の禁酒を経て、21年5月にAKB48を卒業した。その後飲酒は再開したが、食事とあわせて嗜んだり、海外旅行でその地の有名なお酒を楽しんだり。以前のような飲み方はしなくなった。
「きっと誰だって、最初は自分が依存するなんて思っていないと思います。いつなくなっても大丈夫というくらいの気持ちだったのに、いつの間にかやめられなくなって、それに自分でも気づいていないことってあるじゃないですか。私もそういう感じだったのかもしれません」
(編集部・福井しほ)
※AERA 2023年2月6日号