「感染してみたい」と言い出した女性のおそろしい本音

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2023年02月03日 14:50  ウートピ

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ウートピ

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男女関係も浮き彫りにしていく新型コロナウイルス。ある日、森さんは「コロナに思いきって感染してみたい」と話す女性に出会いました。聞くと、本当に大事な人が誰なのかを知りたいから、と言うのです。自分とウイルスを天秤にかけてしまうその真意とは……。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2020年5月30日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています。

「思いきって、感染してみたくなりました、だって」

先日、友人からスカイプでこんな相談を受けた。内容は彼女の友人のことである。仮にN美としておくが、私の友人によるとN美は元来エキセントリックというか感情の起伏が激しいタイプだという。友人は、このコロナ禍で度々N美の相談に乗っていたが、終わりの見えない外出自粛生活で正常の人も軽い欝病になりそうな昨今である。私に助けを求めてきたのだ。

よくよく聞いてみたら……

「思いきって感染って、コロナだよね」

と、一応私は問うてみた。

「そうなのよ」

ため息まじりに友人がこたえる。N美は、一度コロナウイルスに感染してしまえば、もう二度とならない、とでも思っているのだろうか。連日流れるニュースを見れば、そんなうまい具合にいくはずないと知っているはずだ。とりあえず私は友人に確認してみたのだが、事情はそう単純ではなかった。

「感染したら、本当に大事な人が誰なのか判明する、って言うの」

なるほど、N美はウイルスと自分とを天秤にかけてみたいのだ。美人の部類に入るN美には、付き合っている人が複数いた。タイプも年齢もバラバラで、もちろん既婚者もいれば彼女持ちもいる。そういった足元のおぼつかない関係性にN美が疲れたのかどうか不明だが、抜き差しならない状況になった時にも離れない人は誰なのか、知りたくなったのだという。

個人的に、そういったギャンブルは薦めないし、好きではない。相手を試すような行為は失礼にあたる。そもそも完治する保証がないのに、自分の身体を賭けるなどもってのほかだ。

ただ、数日前にワイドショーで「コロナに感染したから婚約破棄された」という報道があったので、私にもN美の気持ちはわからないでもなかった。大変な状況にならないと、人の本性などわからないのだ。そして、大変な状況になった時に後悔してみても、もう遅い。そのコロナ離婚ならぬコロナ婚約破棄の話を友人に伝えて、とりあえずスカイプを切った。すると友人もコロナ婚約破棄の話をN美に吹聴したらしく、数日後にまた友人から連絡があった。

「コロナ婚約破棄の話、N美はいたく感動していたのよ」

とスカイプ画面から飛沫が飛んできそうな勢いで、友人がまくしたてる。感動する話か? 私は教訓として言ったつもりなのだけれど、と思いつつ、友人に合槌をうつ。

「そのくらい潔い人じゃなきゃ、付き合った意味がないんですって」

付き合った意味がない、とは、過去形である。つまり、N美は男達と別れたがっているのか? いったいどういうことなのだろう。

出会いと別れはセット

人と人が出会えば、いずれは別れる。恋人や夫婦でなくとも、肉親でも友人知人でも、必ず縁が切れるようにできている。人は、身の丈に合ったぶんだけの、ものやことや人を抱えて生きていくのだ。抱えきれなくなった分は離れていく。だからといって、別れるために付き合う人はいないだろう。

と、私は思っていた。

「N美は、付き合った相手に一生自分を抱えて生きてほしいのよ」

友人が言った。

「なにそれ。美人しか似合わないようなセリフだね」

私は言った。皮肉ではなく、むしろ賞賛だった。

突然だが、現在の私の母は父の後添えで、私の生みの母は私が10歳の時に亡くなっている。母亡き2年後にやってきたのが、今の母だ。いつだったか私は姉と、「前妻が死んで再婚って嫌じゃないかな。前妻と離婚して再婚ならわかるけど」とこっそり話し合ったことがある。亡くなった人というのは記憶までそこで止まるので、当然だが歳をとらない。さらに時間という研磨剤がうまく嫌な部分を削っていき、美しい思い出しか残らない。

離婚した前妻なら本人はまだ存在するので、歳も取っていくし、嫌な部分としての(多少は研磨されるだろうが)思い出も顕在する。死というのは、死に方によって当人の印象を変えてしまう。あっけない死、不慮の死などは、美談にもなり得るのだ。当人はもういないのに、生前の当人を超越して、磨かれた印象だけが独り歩きする。華美だったり、儚げだったり。

まさかN美は、それをねらっているのか。

恐ろしきはウイルスではなく人

友人は、なおも言う。

「新型コロナウイルスは認知されているし、れっきとした病気よね。言うならば、今年は新型コロナ元年なわけよ。人々はコロナと聞けば、今年を思い出すの」

うん、わかる。そしてN美がもし感染したとして、最悪の結果、亡くなったとしたら。

「いずれ、コロナウイルスにも特効薬ができるでしょうよ。インフルエンザみたいに、ワクチンも開発されて、わりとポピュラーになっていく。でも、毎年流行はするよね」

そう、N美がいなくなっても病気そのものは消えず、感染者も後を絶たないだろう。特効薬やワクチンができたとしても、罹る人はいる。未来、N美に関わった人や、関わった人の友人知人がコロナウイルスに感染されたら、皆、嫌でもN美を思い出すだろう。

あの時、付き合っていた女性が亡くなった、と。しみじみ故人を偲ぶだけではなく、当時の自分をも振り返ることになる。もし、コロナ婚約破棄した人のように、N美を冷たくあしらってしまったとしたら。妻や彼女の手前、即座にN美との縁をぶった切ったとしたら。「ううん、いいのよ。あなたは正しいわ」とN美が笑って送り出してくれたとしたら。

うわー、超恐ろしい思い出として、永遠に生きるわけだ、N美。げに恐ろしきはウイルスではなく人だなぁ、と背筋がゾッとした私である。まあ、N美のようなエキセントリックで感情の起伏が激しい美人というのは、ある一定の人種からしたらすこぶる魅力的なのだろう。しかしコロナウイルスを逆手にとって、自分を他人の心に刻みつけるなんて、本気で実行しようとするなんて。

N美の毒牙にやられてしまった友人

「確かに、N美さんは魅力的だね。今度ネタにしていい?」

と私は友人に笑って言った。

「笑いごとじゃないんだけど」

と友人は疲弊したようにつぶやいた。友人のほうが病にかかったように、青ざめている。たぶん、N美の宣言というか計画は、生半可ではないのだろう。今までも似たような事例があったのではないか。

友人を元気づけるべく、私はある提案をした。

「今度、zoomで飲み会しようよ。N美も混ぜて。ふたりでさりげなく止めるように説得してみよう」

友人が小刻みに頷き、

「ねえ、それよりも私、昨日から微熱があるのよ」

と、やや充血した目で言う。

「え」

「風邪かもしれないけど。インフルとか」

神妙な面持ちだ。

「とにかく、早く病院に行きなよ」

「微熱があるなんてN美に言ったら、うちに来そうでこわい」

「黙っていればいいよ」

うん、と言い、スカイプを切った。

げに恐ろしきは、ウイルスよりも人だ。友人は、すっかりN美の毒牙にやられてしまっている。微熱があるのは事実かもしれないけれど、N美からの相談がなかったら、発熱しなかったのではないだろうか。

後日、友人に連絡してみたら、単なる風邪だったらしい。私はホッと胸をなでおろした。

その後、N美の話は聞いていない。

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