『萬川集海』は、忍術の三大秘伝書の一つ。基本的に忍術は口伝だが、江戸時代になると先祖から受け継いだ技術を後世に残すため、秘伝書がつくられるようになった/国立公文所館蔵 2月5日で第5回の放送を迎えたNHK大河ドラマ「どうする家康」。「瀬名奪還作戦」と題されたこの回では、駿府にとらわれた家康(松本潤)の妻・瀬名(有村架純)を取り戻す物語のカギを握る存在として、伊賀忍者が登場した。伊賀者(いがもの)とも呼ばれる彼らは、恐らくは日本一有名な忍者集団だ。『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(監修・小和田哲男 編・かみゆ歴史編集部)から解説したい。
【写真】「徳川四天王」の一人として家康を支えた有力家臣はこちら 講談や漫画などで知られる忍者は、重力を無視して壁を走ったり、印を結んで姿を消したりと、常人離れした忍術を操る。にわかには信じがたいが、史料は少ないながらも実在していたことが確認されており、多くの戦国大名に力を貸していたとされる。
もちろん、忍者のイメージとして広く知られる超常的な忍術はあくまでフィクションだ。実際の忍術は、厳しい鍛錬が必要とはいえ、誰でも身につけられる実用的な技術だった。
イメージと異なるのは、服装も同様である。忍者といえば黒い覆面だが、黒はかえって目立つため、茶色や紺の装束を着用した。移動時には目立たないよう、農民や僧侶に変装することが多かったという。
意外と地味な忍者の実態だが、任務を考えれば当然といえる。彼らの任務は大別すると、情報を探る「諜報」、情報を守り嘘などで攪乱する「防諜」、敵を思惑通りに動かす「調略」、ゲリラ戦などの「不正規戦」の4種類。このようなスパイ活動を行う際には、実行メンバーが違和感なく潜入することが第一だった。目立たず確実な仕事ができる忍者こそが、優秀な忍者だったのだ。
実際に“現場入り”した忍者は、多彩なスキルを使って任務を実行した。敵の城や陣でスパイ活動する際は、商人や下級の家臣に変装し、巧みな話術で必要な情報を引き出した。また、音を立てない歩き方で天井裏などに忍び込み、暗殺を実行することもあった。
ゲリラ戦などの屋外任務では、狼煙(のろし)や旗を使って敵軍の位置を伝達したり、偽の情報を流して攪乱したりしたほか、天気の予測や野宿などのスキルも役立てた。
戦国大名お抱えの忍者集団としては、以下が知られている。彼らは主家の機密にも関わっていた。このため、忍者の記録は意図的に消す必要があり、史料が少ないのである。
◆伊賀者(いがもの)
甲賀者と並ぶ、日本で最も有名な忍者集団の一つ。織田信長によって壊滅するが、一部は江戸幕府の公儀隠密となる。
◆黒脛巾組(くろはばきぐみ)
伊達政宗が組織した忍者部隊。政宗と佐竹・蘆名軍が激突した人取橋の戦いでは、流言をまいて敵陣を攪乱したという。
◆甲賀者(こうがもの)
甲賀郡の国人による自治組織で、度々近江の六角家に協力した。六角家滅亡後は織田家の配下となる。
◆座頭衆(ざとうしゅう)
毛利元就が用いた忍者。座頭とは盲目の琵琶法師のことで、元就は彼らを諸国に派遣し、情報を集めていたという。
◆透波(すっぱ)
武田信玄が用いた忍者集団。信玄は彼らの情報網により全国の情報を詳細に知っていたため、敵から恐れられたという。
◆戸隠流(とがくしりゅう/とがくれりゅう)
長野県の戸隠山を本拠とする。現存する忍術流派で、その起源は平安末期までさかのぼるというが真偽は不明。
◆軒猿(のきざる)
上杉謙信が使ったとされる忍者だが実態は不明。謙信は出羽三山などの山伏も諜報活動に用いていたという。
◆鉢屋衆(はちやしゅう)
尼子家に仕えた忍者集団。尼子経久が月山富田城を奪われた際、城の奪回の際に活躍したという。
◆風魔一党(ふうまいっとう)
北条家5代に仕えた忍者で、敵の攪乱や夜襲を得意とした。北条氏滅亡後は盗賊となり、処刑されたとされる。
(構成 生活・文化編集部 上原千穂)