鴻上尚史さん(撮影/写真部・小山幸佑)「人の空気感や顔色をうかがうことは得意」でも「人の気持ちを考えることがとても苦手」と告白する27歳女性。自分の頭で考えられるようになりたいと願う相談者に、鴻上尚史が指摘する「こんな私でも」と否定的な思考の流れを遮断する必要性。
【声で聴く】鴻上尚史が「人生相談に込めた思い」【相談177】私は人の空気感や顔色をうかがうことは得意でも、人の気持ちを考えることがとても苦手です(27歳 女性 砂漠) 鴻上さん、こんにちは。
以前、「大人というのは自分の頭で考えられる人間になることだ」という鴻上さんの言葉を拝見しました。
私は、なるほどなと思うと同時に、それなら自分は子どもだなとも感じました。
というのも、昔から私は人の空気感や顔色をうかがうことは得意でも、人の気持ちに寄り添う=その人の気持ちを考えることがとても苦手で、そのせいか友達は少ないのに、先生や友達の親といった大人からは好かれやすいところがありました。
周りからはそれを「優等生」「いい子」と見られ、褒められることもありましたが、私は人の顔色をうかがう臆病な自分が嫌いで、思ったことをなんでもズバズバ言える人=自分の考えを言える人を見ると羨ましく感じていました。私には私の考えがないから、自分の意見を言うことができない。子どもが親に許しをもらおうとするように、うかがいをたてることしかできないんだと辛くなりました。
本をたくさん読むと自分で考える力が付くとも言いますが、私の場合、本を読んでもこんな考えもあるのか!とは思えど、それをちゃんと力にできていない気もして……(力にできていたら、こんなダメにはなっていませんよね)。
今回もこのような形で自分の力ではなく、鴻上さんの力に頼るようなことをしておりますが、こんな私でも自分の頭で考えられる大人になりたいとも思っており、投稿しました。
長文をすいません。
どんな厳しい言葉でもいいので、よろしくお願いします。
【鴻上さんの答え】 砂漠さん。そうですか。「顔色をうかがうことは得意」でも、「その人の気持ちを考えること」がとても苦手なんですね。
この二つは、似ているようで違いますよね。「顔色をうかがうこと」と「その人の気持ちを考えること」の違いはなんでしょうか。
僕が思うには、「顔色をうかがうこと」は、「人に嫌われたくない」という気持ちが中心で、関心は自分に向いていると感じます。一方、「その人の気持ちを考える」ということは、関心は相手に向いているんじゃないかと思います。自分中心か、相手中心かの違いですね。
いきなりの例え話なんですが、俳優になりたい初心者の中で、ものすごく自意識が強い人がいます。
相手役と会話していても、「どんなふうに見られているか」「恥は絶対にかきたくない」「笑われたくない」と強く思っている人です。そういう人は、相手に対する関心はまったくありません。相手がどんな表情をしようが、どんな演技をしようが関係ないのです。関心は自分です。自分がどうしたら恥をかかないか、笑われないか、どんな言い方をしたら演出家にほめられるかだけを考えているのです。
極端な例ですが、砂漠さんの状況もそれに近いと思います。
相手が本当は何を求めているかとか、本当はどう思っているかが問題ではなく、自分が嫌われないこと、自分が傷つかないことが重要なんだということです。
どうしてそうなってしまうかは、みんな、なんとなく分かっていると思います。自分に自信がない、ということですね。自分に自信がないから、とにかく、嫌われないこと、否定されないこと、笑われないことが一番大切なことになるのです。
どうですか、砂漠さん。もし、そうだと納得してもらえるなら、砂漠さんのやることはたったひとつです。
自分に自信をつけること。別な言い方をすると、自己肯定感を高めることだと思います。
だって、焦って本を読んでも何も身につかないでしょう。私なんかダメだと思いながらいろんなことに接しても、あまり得るものはないんじゃないでしょうか。
さて、砂漠さん。どうしたら自分に自信がつくのか。
僕は以前にこの「ほがらか人生相談」で、「小さな勝ち味を積み重ねること」と書きました。
自分のことを「こんなダメにはなっていませんよね」と書く砂漠さんですが、100%ダメですか? まったく良い点はありませんか?
でも、仕事のために(働いてないなら家事手伝いのために)毎朝ちゃんと起きてるんじゃないですか? 顔を洗えてるし、歯も磨けているんじゃないですか?
冗談ではないですよ。いくつかのことを、毎日ちゃんとできているのは素晴らしいことです。全部ダメなんて人はいません。ただ、全部を一気に否定する方が、細かな良い点を見つけるより楽だから、「私はダメだ」と言いたい人が多いのだと僕は思っています。
だって、自分と自分の生活を見つめて、小さいけれど良い点を見つけることはエネルギーが必要ですからね。
ネットで調べれば、自己肯定感を上げる方法を書いた本にたくさん出会うでしょう。僕はこの前、自己肯定感が低かったOLさんがどうやって自信をつけたかを正直に書いた本を読んで感動しました。
自己肯定感が低くて苦しんでいる人は多いですが、同時に、少しずつ少しずつ自己肯定感を高めて楽になった人も多いのです。そういう人が書いた本や経験談はきっと砂漠さんの参考になると思います。
自己肯定感が高まれば、焦ることはなくなります。相手の顔色をうかがうことに必死になる必要もなくなります。
人間の能力には限界があるので、一度にたくさんのことはできません。自意識の強い俳優は、エネルギーを「自分はどう見られているか」を探ることに使います。当然、相手のことを感じたり、観察したりする余裕はなくなります。人間のエネルギーは有限だからです。
でも、自分に向けるエネルギーが減ると、必然的に相手を観察するエネルギーが増えてきます。俳優はそうやって成長するのです。
自己肯定感が高まると、落ち着いて、相手の感情に寄り添うことができるようになります。本を読んでも、「早く吸収しよう」とか「自分は全然ダメだ」と焦ることもなくなります。ゆっくりと、言葉が身体に染み込んで、やがて使えるようになります。
ちなみに、俳優の初心者で、周りのことばかりを気にしていた人が、突然、思い切った演技を始めることがあります。思っていることを全部、ぶちまけるような演技です。
今まで「こんなことを言ったら嫌われるから言わないようにしよう」とフタをしていたことを一気に出すのです。
でも、残念ながら、そういう演技は人を感動させることは少ないです。ただ気持ちを吐き出しているだけで、一種の排泄作用のようなものだからです。
そして、この場合もじつは、相手に関心は向いていません。関心は、やっぱり自分です。自分の感情をとにかく吐き出すことに集中しているのです。
砂漠さんは「私は人の顔色をうかがう臆病な自分が嫌いで、思ったことをなんでもズバズバ言える人=自分の考えを言える人を見ると羨ましく感じていました」と書きます。
残念ながら、それは極端から極端へ移っただけで、「自分の考えにすべてフタをする」と「なんでもズバズバ言う」は、コインの裏表で、相手を無視するという意味では同じことじゃないかと感じます。
どちらも、自分に自信がないから起こることだと僕は思っています。
「こんな私でも自分の頭で考えられる大人になりたい」と砂漠さんは書きますが、「こんな私でも」と思っている間は、「自分の頭で考えられる」ことはないと思います。
まずは「こんな私でも」とオートマチックに考えてしまう流れを遮断することが必要なのです。
大丈夫。自己肯定感を低くしたのは、砂漠さんです。だから、自己肯定感を高くできるのも、砂漠さんなのです。人は変われます。変われると思ったら変われます。
少しずつ、自分をほめて、認めてあげませんか?
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