習近平氏(右)と新首相に就いた李強氏。学歴も低い叩き上げの地方役人だったが、習近平氏にかわいがられ、出世の階段をのぼった(写真:アフロ) 中国で開かれていた全人代が13日に閉幕した。国家主席として中国で初めて3期目に入った習近平氏の新体制は「忠誠秘書軍団」といえる。AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。
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サプライズのない会議、サプライズのない人事だった。中国で閉幕した「全人代」、全国人民代表大会(国会)。退屈気味の大会の中で、唯一おやっと思ったのは、習近平氏の国家主席就任が全票賛成で決定されたところだ。
共産党の会議はシナリオありきで、ハンコを押すだけの「ゴム印会議」と揶揄(やゆ)されることも多いが、実は「全票賛成」はめったにない。だいたい数票から数十票の反対・棄権がある。それは「党内にもちゃんと異なる意見がありますよ」と見せかけるためだとも言われる。
指導者の投票でも例外ではなく、1票や2票の反対・棄権が出てくるのが江沢民・胡錦濤時代の慣例だった。本人があえて自分に投票しない、という説も流れていた。2011年には共産党機関紙「人民日報」が「全票当選は危険で、民意を選挙が縛りつけたものだ」という評論を掲載したこともある(すでにネットからは削除)。過去に全票で選ばれた指導者は毛沢東。その意味で習近平氏は自らが尊敬するとされる毛沢東に並んだ、と言えるのかどうか。確かなのは「習近平は習近平に入れた」という事実である。
■「忠誠第一」のチーム
今回の全人代で注目されたのは、すでに秋の共産党大会で3選を確実にした習近平氏のことより、新しい体制のかじ取りを担うチームを習近平氏がどう組むかにあった。
結果として抜擢(ばってき)されたのは「かつての秘書」や「かつての部下」ばかり。浮かび上がるのは習近平氏が「忠誠第一」のチームづくりを目指した点である。
かつて日本の元首相・田中角栄には強力な秘書チームがいて「田中秘書軍団」と政界で恐れられた。中国以外のメディアはこの人事を「習家班(習ファミリー)」と呼んだが、家族的な親密さはあまりなく、上下関係のはっきりした「秘書軍団」と呼ぶのがふさわしい。
新体制の側近筆頭は、李克強氏にかわって国務院、つまり行政府のトップに就く李強首相だ。
李克強氏から「克」の字を抜いた名前でまぎらわしいが、2人の経歴は大きく異なる。
李克強氏が共産主義青年団で若いころから頭角を現し、経済に通じた「テクノクラート(技術官僚)」タイプだったのに対し、李強氏は学歴も低い叩き上げの地方役人だった。
李克強氏からすれば、李強氏など視界にも入らない「小役人」に映っていただろう。2人の運命が変わったのが、習近平氏が浙江省トップだった2004年。李強氏は同省の秘書長になった。習近平氏はことのほか李強氏をかわいがった。「習近平のあいまいで矛盾したリクエストを直感的に素早く理解し、政策に落とし込む才能があった」(ウォール・ストリート・ジャーナル紙)。習近平氏は地元新聞で「之江新語」というコラムを書いていたが、実際の筆者は李強氏だったとも言われる。演説も李強氏が執筆した。
12年に習近平氏が党総書記になると、李強氏も浙江省の省長、そして上海市の党トップと出世の階段を上った。浙江省には、巨大ネット企業「アリババ」の本社がある。李強氏は創業者の馬雲(ジャック・マー)氏とも交流があったとされるが、馬雲氏は習近平氏の逆鱗(げきりん)に触れてアリババを事実上追放された。頂点に立った李強氏との明暗は見事に分かれた。
■献身的な働きを評価
もう一人の側近で筆頭副首相についた丁薛祥氏は、李強氏の下で政府全体ににらみをきかせる番頭役になる。丁薛祥氏も習近平氏の秘書出身だ。上海市の中堅幹部だった丁薛祥氏は、習近平氏が浙江省の次に上海市のトップとして赴任したときに秘書長の役割を担った。献身的な働きぶりが評価され、中央に習近平氏が移ってからも、お世話係である総書記弁公室の主任を任されるなど、習近平氏に影のように寄り添う。
経済や金融、科学技術を担当する副首相の何立峰氏と習近平氏の出会いは1985年にさかのぼる。習近平氏が福建省アモイ市に赴任して以来40年近い付き合いとされる。
これらの人物に共通するのは、習近平氏が中央でトップに立たなければ、地方の中堅幹部として一生を淡々と終えたであろうという点だ。胡錦濤氏や李克強氏のように、30代から「将来中国を背負う人材」と目されたエリートではない。
それが14億人の世界一の人口を有し、米国につぐ大国でトップレベルの権力を手にしたのである。そのカタルシス(快感)の大きさは想像を超えるものがあるだろう。同時に、それは恩人である習近平氏への「忠誠」として表れてくる。
習近平時代の到来は、トウ(登におおざと)小平時代の終焉(しゅうえん)を意味する。トウ小平氏の党内統治の特色は集団指導と指導者選出の透明化だった。毛沢東の個人崇拝でひどい目にあった反省からだった。それを反故(ほご)にし、指導部を身内で固め、後継者も定めない習近平氏の新体制は、毛沢東時代への先祖返りと見られても仕方ない。
■専門家軍団をほぼ排除
これもトウ小平氏の方針で、国家主席や党総書記が外交や内政を司(つかさど)り、経済は国務院(行政府)に任せるというのが慣例だった。それゆえに、温家宝氏や朱鎔基氏などかつての首相は経済専門家としてかなり言いたいことを言い、庶民の人気も高かった。「経済は俺がやる」という意気込みがあり、その独立性が尊重され、彼らの下には欧米で教育を受けた経験も豊富なテクノクラート集団がそろい、社会主義と資本主義の両面を持つ難解な中国経済を支えてきた。
だが、今回の人事でそうした専門家集団はトップグループからほぼ排除され、ドメドメの秘書軍団がとって代わった。李強氏も何立峰氏も地方で実績を上げている人で、コネだけで出世した無能な人物ではないが、国レベルの行政経験はない。不動産バブルの崩壊、コロナによるロックダウンの後遺症など中国経済の先行きは不透明だ。米国の対中経済デカップリング(切り離し)も厳しさを増す。今年も5%前後の経済成長を掲げる中国経済のかじ取りがちゃんとできるかどうか、不安視する向きがあるのは当然だろう。
習近平氏の新体制について『私が陥った中国バブルの罠 レッド・ルーレット』という著書がある中国出身の政治評論家、デズモンド・シャム氏は「今年が習近平にとって権力行使の元年になる。過去10年は習近平にとって権力を固める期間。これから10年が理想を実現する期間。もはや彼を掣肘(せいちゅう)する勢力は共産党に存在しなくなった」と指摘している。(ジャーナリスト・野嶋剛)
※AERA 2023年3月27日号より抜粋
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