ソウルの韓国外交省で、解決策について記者会見する朴振外相(中央)=3月6日、東亜日報提供 日韓両国間の懸案だった徴用工訴訟問題が動こうとしている。韓国が示した解決策を日本が評価、韓国大統領の訪日にこぎつけた。関係改善に向けた両国の思惑や、その背景を探る。AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。
【写真】韓国政府が発表した解決策を批判し、市民団体がソウルで開いた集会の様子* * *
韓国の尹錫悦大統領が16日、来日した。韓国政府が6日に発表した徴用工訴訟問題の解決策について、日本が評価したことで実現した。尹氏が昨年5月の就任以来、「早く銀座でヱビスビールが飲みたい」と周囲に訴えていた訪日がようやく実現した。関係改善の背景でどんな動きがあったのか。日韓関係はどこに向かうのか。
2018年10月、韓国大法院(最高裁)が日本企業に元徴用工らへの損害賠償を命じた。日本側は1965年の日韓請求権協定を破壊する行為だとして激しく反発した。日本は翌年夏、事実上の対抗措置として、韓国向け半導体素材などの輸出管理措置を発動した。当時の文在寅政権は一時、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄に動くなど、両国関係は「戦後最悪」と呼ばれる状態に陥った。
尹政権で外交安保の司令塔役を務める金聖翰国家安保室長は、政権発足前から、一連の問題をまとめて解決する「グランドバーゲン構想」を周囲に語っていた。尹大統領自身、就任直後から外交省などに「日韓関係の改善を最優先で急げ」と指示していた。検事総長時代、文在寅政権から職務停止処分を受けるなど散々冷遇された尹氏にとり、日韓関係改善は文政権の失政を満天下に明らかにするカードだった。
■韓国で繰り広げられる激しい政治闘争
では、なぜ政権発足から問題解決まで10カ月の期間を要したのか。それには日韓それぞれの事情があった。
韓国では、激しい政治闘争が繰り広げられていた。尹政権の発足直後、ブレーンの一人はソウルで筆者に「(尹氏と大統領選を争った)李在明(野党「共に民主党」代表)は許さない。たたきつぶす」と語っていた。尹政権を支える人々には「MBマン」と呼ばれた、李明博政権当時の高官が目立つ。文在寅政権当時、李氏は逮捕・投獄され、大勢の関係者が検察の取り調べを受けた。
実際、尹政権では文政権当時の徐薫・元国家安保室長が逮捕された。検察は李在明氏に逮捕状を請求。国会議員の不逮捕特権に守られているが、有罪判決が確定すれば、李氏も投獄されることになる。韓国の政界筋は「李在明は27年の次期大統領選には立候補できないだろう」と語る。
この激しい政治対立が徴用工問題の解決を遅らせた。実は、尹政権の保守と文在寅前政権の進歩(革新)の間で、徴用工問題の解決策を巡って大きな違いがあるわけではない。文政権当時、国会議長だった文喜相氏は19年12月、日韓の企業と個人から寄付金を募って財団を作り、損害賠償を肩代わりする法案を国会に提出した。法案は成立しなかったが、基本的な考え方は、尹政権の解決策とほぼ同じだった。
だが、尹政権は日本側と交渉するばかりで、国内調整にほとんど力を割かなかった。李政権で大統領府に勤務した元高官は「当時の同僚たちには、進歩の連中とは顔を合わせるのも嫌だ、という人が多い」と語る。韓国では今も週末になると、保守系の「太極旗集会」と進歩系の「ロウソクの灯集会」が開かれ、お互いを呪詛する。
大統領選で李在明氏の外交ブレーンだった魏聖洛元駐ロシア大使は昨年5月の尹政権発足直後、「この問題は進歩と保守が一緒に解決しないとだめだ。双方から人を出して賢人会議を作り、解決策を政府に提言すべきだ」と語っていた。だが、朴振外相が日韓関係の有識者を招いた「賢人会議」を開いたのは昨年12月6日。韓国政府が今年1月12日に解決案を公表するわずか1カ月前だった。
徴用工問題から外された進歩勢力は激烈に反応した。李在明氏は3月6日、徴用工問題の解決策について「外交史における最大の恥辱であり汚点だ」と非難した。韓国政府は「進歩勢力の報復」を恐れた。保守系の朴槿恵政権が手がけた日韓慰安婦合意などを巡り、韓国検察当局は文政権当時の18年8月、外交省が訴訟に介入したとして同省を家宅捜索した。同省幹部は「あんなことは二度とご免だ」と語る。
韓国政府がこの10カ月間、徴用工訴訟の原告団に面会したり、日本政府に「誠意ある措置」を求めたりした背景には、「進歩の報復を回避するためのアリバイ作り」という側面もあった。魏聖洛氏は「尹政権がまず、進歩勢力と合意案を作っていれば、日本に対して謝罪や新たな財団創設といった譲歩を求める必要もなかった」と語る。
韓国は来春、総選挙が控える。少数与党の尹政権にとって負けられない選挙だ。今年後半から総選挙の公認候補選びが始まる。大統領府の政務関係の幹部らから「保守支持層にも一定数、反日主義者はいる。韓日関係を改善するなら、4月末くらいまでがリミットだ」という声も出ていた。3月6日の徴用工問題解決策の発表は、保革の激烈な政治闘争のなか、散々逡巡した末に決定した政治的な産物だった。
他方、日本側も尹政権発足後、すぐに関係改善に乗り出したわけではない。尹政権は第三国での日韓首脳会談の開催を打診し続けたが、日本側は慎重だった。尹政権はほぼ、日本側の主張をのむ形で解決策を模索していたが、自民党内に「安易な関係改善は認めない」という声が出ていたからだ。
転機の一つは昨年11月、麻生太郎自民党副総裁の訪韓だった。麻生氏は尹大統領と会談した。複数の関係者の証言によれば、麻生氏は2013年2月の韓国大統領就任式後に、朴槿恵大統領(当時)との会談で展開した持論を再び、尹氏に持ち出した。麻生氏は13年当時、朴氏に、米国内で南北戦争を巡る認識に違いがあることを例に取りながら、日韓の間で歴史認識が一致しないことを前提に議論を進めるべきだという考えを示したとされる。朴氏はもちろん、当時の韓国メディアが、麻生氏の発言に猛反発し、日韓関係が停滞する一つの原因になった。
麻生氏は尹氏に、同じ趣旨の持論を展開したが、尹氏が反発して雰囲気が険悪になることはなかった。麻生氏は帰国後、岸田文雄首相ほか、自民党の様々な人々に、尹氏を高く評価して回った。岸田政権にとって、麻生氏の支持は不可欠であり、昨年11月13日の日韓プノンペン会談での、岸田首相の積極的な姿勢に結びついたという。
韓国と同じように、日本も外交戦略よりも、国内政治に目が向いていた結果、問題解決に一定の時間を要した。(朝日新聞記者・広島大学客員教授・牧野愛博)
※AERA 2023年3月27日号より抜粋