中国留学中の日本人が語るコロナ禍の生活 「ある日突然、寮がロックダウン」して今は

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2023年03月30日 06:30  AERA dot.

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にぎわう清華大学の学生食堂。政策緩和後もパーティションは残っている(佐藤さん提供)
 中国は「ゼロコロナ政策」を2022年12月に大幅緩和。市町村の封鎖を解除し、海外からの入国者に義務づけていた検査や隔離措置も撤廃した。めまぐるしく方針転換がなされるコロナ禍の中国で、日本からの留学生はどのような大学生活を送っていたのだろうか。清華大学で語学留学中の佐藤春香さん(仮名)と、長年中国の大学で教鞭を執り、現地の状況をよく知る加藤隆則氏に話を聞いた。


【中国留学の様子を伝える写真の続きはこちら】 佐藤さんが中国留学への準備を始めたのはコロナ禍のまっただ中だった。


「それまではユーチューブを見たり、推しの俳優さんの動画を見たりして中国語を勉強していました。でもやはり独学では限界があると感じ、語学留学を検討しました」


■奨学金を得て、アジアトップ大学へ


 佐藤さんが見つけたのは語学留学ができる日中友好協会の奨学金。しかし当時は留学ビザの発給も中止されており、渡航はままならない状況だった。


「ただ、韓国人には留学ビザが下りていたんです。22年になってから日本人にもビザが発給されるといううわさが流れ、思いきって志願することにしました」


 大学の成績や論文、学習計画などの書類を提出し、面接に臨み無事合格。受け入れ先も第一志望の清華大学に決まった。英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)による2023年版の世界大学ランキングで、アジア圏トップに躍り出た名門大だ。


 会社を辞め退路を断っての決断だったが、2月に内定がでているのになかなか受け入れを許可する通知が届かない。22年の8月末にやっとビザ発給の通知が届き、9月にあわただしく中国に旅立った。政府が手配した隔離施設での10日間の隔離に加え、清華大学のホテルで4日間、寮の個室で7日間、計3週間に及ぶ隔離生活をおくる。


「隔離施設に比べて、大学のホテルや寮は食事などの待遇がかなり良かったですね。部屋に着いたらウェルカムのお菓子が置いてあり、サポートも充実していて孤独を感じずにすみました」


 中国のキャンパス事情に詳しい加藤氏はこう話す。


 中国各地の主要大学は広大で学生は全国から集まりますから、ほとんどの学生がキャンパスにある寮で生活します。朝8時から始まり夜9時まで続く授業もあるので、学生にとってもそのほうが都合がいい。友人とのつながりも宿舎で生まれることが多いです」 


 キャンパスにはスーパーやコンビニ、美容院や病院もあるので、キャンパスが封鎖されたとしても、十分生活はできるという。



 佐藤さんが合わせて20日間余りの隔離を終えいよいよ教室に行くと、誰もマスクをしていないことに驚いた。


「北京ではまだはやっていなかったですし、隔離された状態で、感染者がいないのならマスクをするまでではない、という考え方なんです」


 佐藤さんは、韓国人留学生のルームメートとすぐに仲良くなった。週に4回、1コマ100分の授業を2コマ受け、その後は同級生たちと食堂へ行ってランチをしたり、図書館で一緒に勉強したりして過ごす。日本語を学ぶ中国人学生を紹介され、一緒におしゃべりをしたり、お互いの文章を添削したりして語学力を磨いた。


「やはり対面授業は充実しています。発音の間違いをすぐその場で教師に直してもらったり、気軽に友達とコミュニケーションをとったりできました」


 当時、北京市内は自由に行動できたため、繁華街に出かけてお茶を飲んだり、ちょっとした買い物を楽しんだりしていたという。


■突然の寮ロックダウンでも、大学のサポートは充実



 しかし11月中旬から風向きが変わってきた。北京でもぽつぽつと感染者が出始め、キャンパスからの外出が禁止に。


「5〜6月ごろの政策が一番厳しい時期のロックダウンを経験した同級生がいて、またそういう事態になるかもしれない、と不安がっていました」


 同時期に大学でも感染者が出て、教員やスタッフ、学生ごとに区画や食堂が分けられ、キャンパス内でも移動が制限されるようになった。11月下旬には対面授業からまたオンライン授業に。12月に入ると、佐藤さんの寮の学生にも感染者が現れ、その日は棟から出ることが禁止された。



「ある日突然、寮が騒がしくなり、どうやら隔離が始まったようだぞ、と。部屋の前に隔離グッズが配られていました。医療用マスクやゴム手袋、抗原検査のキット、水、カップラーメンなどが入っていましたね。大学のスタッフの方がZoomで相談に乗ってくれたりして、清華大の支援はかなり手厚かったです。ここにいれば最悪コロナになってもサポートが受けられるだろうという安心感はありました」



 最初の感染者が出た後は、またたく間にキャンパスに感染が広がった。クラスメートの8割以上が感染。教員もほとんど罹患し、連日400人あまりの感染者が出ているという情報も流れた。


「私自身、感染しなかったのが不思議なくらいです。ただ大学のサポートがあったのと、軽い症状の人が多そうだったので、あまり悲壮感はなかったですね。むしろ、かかったら仕方がないというあきらめに似たような気持ちでした。このあたりは、日本と空気感が似ているかもしれません」


 秋学期の授業は最後まで対面に戻ることはなく、オンライン授業のまま12月末に終了。一方で政策は緩み、都市の封鎖もなくなってどこでも自由に行けるようになった。学内の感染者数も落ち着き、生活は元に戻っているという。


 大学の授業は23年の6月までだが、佐藤さんはその後も中国に残ろうと思っている。佐藤さんが芸術大学に在学していた時の研究テーマは、中華圏のファッションだった。


 「中国の文化が好きなんです。長い歴史があるので、物事をひもとこうとすると次々といろんな発見があります。ファッションも時代が変わるとガラリと様変わりし、日本にはない面白さがありました」


 18年に大学を卒業しアパレル業界に就職。仕事をするなかで、アパレル業界の重要なステークホルダーである中国のことをより理解するためにも、大学までの学びをさらに深めるためにも、中国語を習得する必要性を感じての留学だった。


「清華大は理系のイメージが強いかもしれませんが、実はファッション研究が盛んな大学でもあるんです。コロナ禍の留学生活でしたが、キャンパス内には大きな図書館が8棟あったり、オンラインシステム上でもジャーナルが読み放題なので関心のあるファッション関連の文献を読み漁ったりと、それなりに充実した環境で過ごせていると思います。ただ、中国語の習熟度はまだまだ足りません。もう少しこちらにとどまり、語学をもっと鍛えようと考えています」


加藤隆則(かとう・たかのり)さん
1962年東京生まれ。86年早稲田大学卒業後、北京言語学院大学院に留学。88年読売新聞社に入社。2005年から10年間中国に駐在し中国総局長上海支局長、編集委員を歴任。16年から汕頭大学ジャーナリズム・コミュニケーション学部の教授に就任。定年退職後22年から昆明分離文理大学院外国語学部で日本語の教師を務める。


(文・柿崎明子)


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