カズオ・イシグロ氏『生きる LIVING』 黒澤映画との違いは「若者の存在」

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2023年03月30日 07:30  ORICON NEWS

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黒澤明監督の映画をリメイクした『生きる LIVING』(3月31日公開)の脚本を担当したカズオ・イシグロ氏
 黒澤明の不朽の名作『生きる』(1952年)を、第二次世界大戦後のイギリスを舞台にリメイクした映画『生きる LIVING』が3月31日より日本で劇場公開。リメイクを発案し、脚本を手がけたのは、小説『日の名残り』、『わたしを離さないで』などで知られるノーベル賞作家カズオ・イシグロ氏。オンライン・インタビューで、この映画に込めた思いを聞いた。

【画像】英国の雰囲気がハマっている映画『生きる LIVING』場面写真

 世界中をコロナウイルスが襲う少し前、映画プロデューサーのスティーヴン・ウーリー氏、『ラブ・アクチュアリー』、『アバウト・タイム 愛おしい時間について』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズなどに出演している俳優ビル・ナイらとディナーをともにした後、「黒澤映画の『生きる』を同時代のロンドンに移して再映画化し、ナイを出演させないか」と、イシグロ氏からウーリー氏に提案。「日本の名作『生きる』の英国版を誰か作ってくれないものかと、ずっと思っていた」そうで、ビル・ナイと会ってひらめいたという。

 当初は自分で脚本を担当するつもりはなかったそうだが、原案を書き上げ、ロックダウン中に監督に決まった南アフリカ出身のオリヴァー・ハーマナスとともに撮影用の脚本を磨いていった。結果として、「第76回英国アカデミー賞」「第95回アカデミー賞」でそれぞれ脚色賞にノミネートされる評価を得て、「自分にとってとても大きな意味を持つ作品になりました」と話す。

 『生きる LIVING』の舞台は、1953年、第二次世界大戦後の、いまだ復興途上のロンドン。主人公は、いつも同じ列車の同じ車両で通勤する堅物の英国紳士ウィリアムズ(ビル・ナイ)。役所の市民課に勤める彼は、ある日、医者からがんであることを宣告され、余命半年であることを知る。「生きることなく 人生を終わらせたくない」と、歯車でしかなかった日々に別れを告げ、充実した人生を取り戻そうとするが…。

■『生きる』のメッセージに影響を受けてきた

 イシグロ氏は、5歳の時に家族とともに英国に渡り、そのまま移住。映画好きな両親の影響で10代のころに黒澤監督の『生きる』を観て衝撃を受け、「映画から受け取ったメッセージに影響されて生きてきた」という。

 「表面的には余命を知った主人公が自分の人生を見つめ直す物語ですが、若い方にも響くものがあると思います。若いうちは、人生にどう向き合ったらいいのか、どういう意味を求めたらいいのか、よりよい世界にするためにどんな貢献ができるのか、と希望にあふれていると思うんです。しかし、時が経つとともになんとなく気力が失われ、惰性に流されるようになっていく。空虚になってしまった人生を意味あるものに変える、人生を充実させる方法はきっとある、ということに気づかせてくれる映画でもあると思うんです。

 そして、私が映画『生きる』から得たメッセージというのは、“他人がどう思うかではなく、自分は何をすべきかが重要”であるということ。“世間から称賛されることをモチベーションして生きてはいけない”ということでした。一生懸命努力しても報われないかもしれない。ほかの人の手柄になるかもしれない。その時は感謝されても、すぐに忘れられてしまうかもしれない。だからこそ、自分自身にとっての勝利の感覚を持つことが大切です。

 自伝を読んだことがあるくらいなので詳しいわけではありませんが、印象として黒澤監督自身がそういう方だったのではないでしょうか。『七人の侍』もそうですよね。村の人たちのために命がけで戦ったのに、最後、感謝もされない。でも、侍たちは『勝ったのはあの百姓たちだ』と満足げです。世間から称賛されるためにやるのではなく、それが自分の成すべき事だからやる。そんな人生観に魅力を感じ、影響を受けてきました」。

 SNSが大きな存在感を持つようになった現代、“承認欲求”“自己顕示欲”“自意識過剰”などで“生きづらさ”を感じてしまっている人にも、『生きる LIVING』はポジティブな気づきを与えくれそうだ。

■ブランコに乗って歌う曲を変更

 『生きる LIVING』は、原作『生きる』の脚本(黒澤明・橋本忍・小国英雄)に忠実だが、イシグロ氏が変更した点は、原作では大きく取り上げられることのなかった若者の存在だ。主人公の下で働き始めたばかりの若者ピーター(アレックス・シャープ)が重要な役割を担っていく。

 「違う価値観を持った若い世代の存在感も出したいと思いました。主人公の行いが彼のあとに続く世代にも何かしらインパクトを与え、その先の未来にまで連綿と受け継がれていくこともあるという希望も描きたいと思いました」。

 主人公が奔走して市民のために作った公園のブランコに乗るシーンでは、原作の「ゴンドラの唄」に代えて、スコットランド民謡の「ナナカマドの木」が歌われる。イシグロ氏が選んだ曲で、主人公にとっては早くに死に別れた妻との思い出の曲だ。

 「主人公が自分の人生を空虚で無意味なものだと感じるようになったのは、妻を亡くしたことがきっかけでした。人生の最後の時間に、ほんの少しでも市民の役に立つことができて、妻が生きていた頃の自分を取り戻せたという達成感、充実感、幸福感があるからこそ、この曲を歌っている、というストーリーが重要でした」。

 イシグロ氏の妻ローナン・アン・マクドゥガルさんのルーツはスコットランド。ピアノやギターをたしなむイシグロ氏もまた、家族でスコットランド民謡を歌ったり、演奏したりしてきたそうだ。
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