エマニュエル・トッドさん 家族制度や識字率、出生率に基づき、現代政治や社会を分析し、「ソ連崩壊」から「米国の金融危機」などを予言した、フランスの歴史家エマニュエル・トッド。パンデミックとウクライナ戦争で注目を集めた“デジタル技術”により、ある群の国家が勝利を収めていると語ります。しかし長期化するウクライナ戦争では、他方で、このようなデジタル技術はそれほど価値があるわけではないとも言います。その真意を、最新刊『2035年の世界地図』から一部を抜粋・再編して大公開します。
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■ネットによる“監視社会”がもたらしたのは大衆支配ではない――あなたは、パンデミックはデジタル技術を使った監視社会への道を開いたと思いますか。
この質問は大変難しい。答えにためらってしまいます。
確かに、我々の社会は「監視社会」ではあります。ただ、私たちが問題にしているのが誰についてなのか定かでありません。「誰が観察されていますか?」「ソーシャルメディアなどで監視されているのは誰ですか?」ここから考え始めるべきです。
たくさんの偏執症的な文言や動画が出回っています。いかに私たち全員が国家などによって観察され、監視されているかを伝えています。私の印象では、ほとんどの人は――私もその中に含まれると思いますが――まったく重要ではないので、監視する必要など、さらさらありません。
つまり、ここには、いわば信じがたい自己陶酔的な要素があります。「国家が全員を観察し、監視したい」という考えです。国家にとってほとんどの人は全く重要ではありません。
しかし、あるカテゴリーの人たちは重要です。監視したり観察したりする値打ちのある人たちです。それがエリートです。全世界規模の権力ゲームの中にいるエリートです。
私は最近、ある歴史的な問題を理解し、説明したいと考えています。それは、「なぜヨーロッパのエリートがますます米国に従属的になっているのか」ということです。
なぜ英国とオーストラリアは、米国の衛星国化がますます進行しているのでしょうか。銀行や金融、大学などのエリートにおける、インターネットによるコミュニケーションや監視が大変重要な役割を果たしているのは間違いありません。
インターネットは、英語圏を作り出しました。その中で、米国から独立した考えを持つ英国人であること、または豪州人であることはだんだん非常に難しくなっています。なぜなら、同じ言語を使う者どうしであれば、インターネットはコミュニケーションを容易にするからです。
あなたは日本人で、私はフランス人であるにもかかわらず、私たちは英語を使っています。しかし、私生活では自国語を使っている。しかし、あなたが英国人や豪州人であるなら、話は違うわけです。
インターネットは、英国とオーストラリアに対して米国の力をとてつもなく増大させたと思います。
これは、エリートのレベルの話です。インターネットを使って送金すると、非常に簡単に送金できたように感じますが、個人の情報が丸見えになる可能性があります。丸見えになっている相手というのは、誰に対してでも、というわけではありません。米国の情報機関に対して、なのです。ヨーロッパのエリートは現在、米国に対して丸裸になりうる存在なのだと思います。
これが問題だと思っているのです。現在起こっているのは、大衆への支配ではなく、エリートへの支配です。これら二つはまったく違うものです。いわば「世界的な寡頭制システム」の中ではとくにそうなります。だから私は、グローバルエリート内での相互作用と支配に、より関心があります。その中心には、米国がいます。
■長期化するウクライナ戦局を左右するもの――ウクライナ危機に関しては、ロシア軍とNATOまたはウクライナ軍によるサイバー戦の側面もありますが、どのように感じておられますか。
これらは「新しい戦争技術」です。歴史のあらゆる段階で新しい戦争技術が生み出されてきました。
私は専門家ではありませんが、すでにある種の新しいバランスに達していると感じています。ウクライナ戦争について興味深いのは、洗練されたテクノロジーの重要性ではなく、それどころか逆にいわばテクノロジーが後退しているということです。
われわれが気づきつつあるのは、本当の戦争をする場合には、問題はもはや最も洗練された武器を持つことではないということです。複雑なものでなくても、多くの武器を持つことの方が重要なのです。
私にとって、ウクライナでこれから何が起こるかに関して問いたいことは、サイバー戦に関して米国またはロシアのどちらが有能か、ということではありません。
両国はかなり互角だと思います。むしろ重要なのは、米国またはロシアのどちらが多くロケット、砲弾などを供給できるか、ということです。これらは長期戦に必要なものです。この戦争は、おそらく4、5年ほど続くからです。今、私たちは直接参戦していませんが、ウクライナとロシアの戦いは続きます。ウクライナもロシアも戦争を止めないことは明らかです。
そこで、もっと基本的な事柄に戻るわけです。従来型の破壊手段をより多く生産する工業システムの能力です。同時に、本当の戦争はロシアと米国の間で行われていることも明らかです。こちらは冷戦です。
ウクライナ侵攻が彼らの「冷戦」の延長として始まったことを思い出しましょう。プーチンが開戦の前に行った演説を思い出してみましょう。
みなさんはプーチンがウクライナへの宣戦布告を拒否したことを忘れているのではないでしょうか。彼は、「特別軍事作戦」について話しただけでした。しかし、彼が欧米、特に米国に宣戦布告したことは明らかでした。ロシアが望んでいるのは、米国に屈辱を与えることであり、単にウクライナの領土をもう少し奪うことではありません。
私は偉大な戦士ではありませんし、戦争は嫌いです。戦争について話すのはほとんど苦痛です。ウクライナで起こっているのは恐ろしいことです。戦争です。人が殺され、民間人も殺されています。しかし、まさにこの瞬間、戦争は次の段階に進みつつあると思います。
次の段階とは、経済的なものです。つまりエネルギー問題がヨーロッパ経済に与える影響が戦争の行方に重要な意味を持つでしょう。繰り返しになりますが、これは、高度な兵器とは程遠い話です。単純なエネルギーをめぐる問題が与える影響が大きくなっていくはずです。
エマニュエル・トッド歴史家、文化人類学者、人口学者。
1951年フランス生まれ。家族制度や識字率、出生率に基づき現代政治や社会を分析し、ソ連崩壊、米国の金融危機、アラブの春、英国EU離脱などを予言。主な著書に『グローバリズム以後』(朝日新聞出版)、『帝国以後』『経済幻想』(藤原書店)、『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』『第三次世界大戦はもう始まっている』(文藝春秋)など。
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