※写真はイメージです。本文とは関係ありません(写真:caughtinthe / iStock / Getty Images Plus) 累計40万部を突破した『傲慢と善良』(朝日文庫)。ヒットの理由はひとつに、ミステリとしての面白さがある。主人公はひと組の男女。西澤架(かける)の婚約者、坂庭真実(まみ)がある日突然、姿を消す。彼女からストーカーの存在を聞いていたこともあり、架はその無事を祈りながら行方を探す。真実はなぜ消えたのか、どこでどうしているのか、ふたりは再び会うことができるのか……展開から目が離せない。
架と真実は、婚活アプリで出会った。いまや婚活アプリ、マッチングアプリがきっかけで結婚にいたるカップルはめずらしくない。こうしたサービスの普及で、出会いのチャンスは大きく広がった。しかしそれで誰もが結婚までの道のりを短縮できるわけではない。
出会うことはできる、けれど、この人と結婚するのが正解かどうか迷ってしまう。架もその壁にぶつかった。「何かが合わないと感じる」「ピンとくる相手と巡り合えない」「決め手がない」――出会っているのに出会えていない、といった状態がつづき、疲れを感じていた。
婚活に悩み、疲れ、ときに足掻く男女の心模様が圧倒的なリアリティでもって書かれていることも、同作がロングセラーとなった理由のひとつである。たくさんの読者から“刺さる”という声が届いている。
では、結婚する人たちには必ず、「ピンときた」瞬間や、「結婚するならこの人だ!」という決め手があるものなのだろうか。
大阪在住のリョウタさんは鳥取に赴任中、婚活パーティに参加した。しかし、結婚の意志はなかった。
「32歳のときですね。僕は結婚願望がなく、いずれは大阪の本社に戻る予定だったので、デートする相手が見つかればいいなぐらいのノリで参加しました。何人かとマッチングしたけど、その女性のことは好みの順でいうと3番ぐらい。正直なことをいうと、印象も薄かったんです」
後日、6歳年下のその女性とたまたま時間が合ったのでデートをした。何度かのデートの後、彼氏/彼女の関係に発展した。
「実は僕、女性と長期間つき合った経験がないんですよ。だいたい1、2年ぐらいで別れるタイミングがくる。彼女ともそんな感じだろうなと思っていました」
『傲慢と善良』に、こんなシーンがある。真実との結婚に踏み切れない架に、古いつき合いの女友だちが、婚活で出会ったなら「一年以内に結婚してあげるのが礼儀」だと手厳しく忠告するのだ。
「彼女は、結婚のことが頭にあったと思います。僕に結婚の意思がないなら、長く引っ張るのも彼女に悪いなという気持ちはあって、今回も長くて1年ぐらいだろうと思っていたんです。ところが、つき合いはじめて半年が経ったとき、異動の話が舞い込んできた。本社に戻るのかと思ったら、なんと海外赴任でした」
リョウタさんにとっては、チャンスだった。行かない選択肢はない。けれど、そうすると恋人のことはどうすればいいのか。
「遠距離恋愛という選択肢はありませんでした。過去に経験したことがあるんですが、つらい思い出しかなくて。でもじゃあ、これを機に結婚するかというと……なんとなく踏み切れない。というのも、彼女のことは好きだけど、身を焦がすようなアツい気持ちはまるでなかったんですね。若いころにはそんな恋愛もあったので、僕の年齢のせいかもしれないけど。この人がいないと生きていけない!とは思えませんでした」
リョウタさんがその後どんな選択をしたかについては後述し、ここで「これ以上の人はいない」と思って結婚を決断した男性のエピソードを紹介する。
東京在住で現在37歳のタクオさんは、今年で結婚10年目を迎える。出会ったときの妻は、22歳の大学生だった。当時のタクオさんは結婚は35歳で、と思っていたため、彼女との結婚は考えていなかった。過去には、結婚にまつわる苦い思い出もある。
「学生時代からつき合っていた女性がいたのですが、本人からもその母親からも結婚のプレッシャーをかけられていたんです。3人で食事して彼女が席をはずしたときに、お母さんが『いつ結婚するの?』って。親が口を出すことじゃないだろう、と思っていましたね」
娘が心配なのはわかるんですけど、とタクオさんは言い添える。『傲慢と善良』の真実は、婚活アプリに登録する以前は、お見合い相談所に登録していた。その相談所では、親がかりで婚活に臨む人も少なくないという。架はそのことを知って少なからず驚いた。結婚は本人同士のものではないのか。
「僕にも、5年もつき合ったなら結婚するのが筋だという気持ちはあったんです。でも彼女は、結婚後は専業主婦になる以外のことは考えていなくて、その違和感が消せなかった。高級車じゃなきゃイヤとか、ブランドもの以外は着たくないとか……見栄っ張りなところがあったんです」
実はタクオさんの実家は、地元では知らない人がいない会社を経営している。経済的にもかなり裕福だ。タクオさん自身は家族とは無関係の会社に勤めており、今後家業に参加するつもりもない。けれど彼女とその母親から「いつ家業を継ぐの?」と訊かれたことは一度や二度ではなかった。
「転職して東京に出てきてからは、マッチングアプリでいろんな女性と出会いました。彼女とは別れていなかったけど、遊びたかったんですよね。キャリアを築くために勉強をしている女性としばらくつき合ったとき、自立している女性ってかっこいいなって思ったんですよ。いずれ結婚するなら、相手はこんなふうに自分を持っている人がいい、と漠然とイメージするようになりました」
その女性とはお互いに忙しすぎて時間が合わず、交際はつづかなかった。その後もタクオさんは軽い遊び目的でマッチングアプリを利用し、ほどなくして妻となる女性と出会う。一方、作中の架は結婚を望みながらも“ピンとくる”相手に出会えず、50人以上とマッチングを繰り返した。
「いまでこそめずらしくないんでしょうけれど、10年前はマッチングアプリで出会ったっていうのはちょっと人には言えない感じ。だから結婚するとは夢にも思わなかった……のですが、彼女は実家の居心地が悪かったらしく僕の家に転がり込んできて、すぐに同棲開始。2年経ったころに、彼女の妊娠がわかりました」
当時の彼女は大学を卒業したばかりで、タクオさんも20代。人生設計からは大きくはずれていた。
「でも、これ以上の人はいないだろうなと思ったんですよね。覚悟を感じたんです。彼女はまだ20代前半で、今後いい人にいくらでも出会えそう。でも僕と家族になり、家庭を大切にしていくんだという気概のようなものが伝わってきました。つき合いはじめのときから意志が強くて周りに流されないところに惹かれていたんですよ。僕はフラフラと流されやすいところがあって、これを船にたとえるなら彼女は碇のような存在。よし、結婚するか、って感じでした」
現在、タクオさん夫妻には3人の子どもがいる。ちなみに、学生時代から交際していた彼女だが、その後、タクオさんと並行して4人の男性と交際していたことがわかった。友人たちには周知の事実だったが、いずれ結婚する相手だからとタクオさんには伏せてくれていたらしい。
「妻と交際中、僕の母に会わせたら、母は『もしウチが倒産するようなことがあっても、逃げずに支えてくれる人だね』と言ってました。前の彼女のことも知っているけど、あの子は逃げそう、と。親って案外ちゃんと見ているものだなと思いましたね」
結婚はふたりで決めるべきものだが、周囲がその相手をどう評しているかが、後押しとなることがある。作中の架は、真実をいい子だと感じている。友人たちに会わせてもその“評価”は変わらない。そんなにいい子ならすぐに結婚すればいい。しかし、そうはしなかった。架は真実の行方を探しながら、自分はなぜすぐに真実との結婚を進めなかったのかも考えていくことになる。
リョウタさんに話を戻そう。急に決まった海外赴任。交際半年の彼女とはこれを機に別れるという選択肢もあった。
「僕は彼女に、決定権を託しました。ちょっとズルかったかな。赴任先についていくか、いかないか。前者を選べば結婚することになるし、後者なら今後は別々の人生を生きることになる。彼女は海外どころか鳥取からもほとんど出た経験がない。英語も話せない。さすがに迷うだろうと思ったのですが……意外とあっさり『いいよ、ついて行く』と言ってくれたんですよ」
それはそれでうれしかった、とリョウタさんは振り返る。早々に婚姻届を出し、渡航の準備に追われた。
「ピンとくるものがあって結婚したわけじゃないけれど、そんな瞬間って本当に人生のなかであるんですかね。僕たちは今年で結婚7年。ふたりで仲よく暮らしています。僕は結構願望がないというより、結婚への期待値が低かったんだ、と振り返って気づきました。両親の関係が冷めきっていた影響もあるかな。だから、結婚相手にも何も期待しなかった。いまも妻が健康に生きて、ちゃんとご飯を食べて、生きていてくれればいいと思っています」
3年の海外赴任を終え、現在は大阪で暮らしている。
タクオさんもリョウタさんも、結婚をしたいとは思っていなかった。けれど、女性の妊娠や海外赴任といった外的要因によって、一気に結婚へと舵を切った。
結婚を決められない男性の話も聞いてみよう。
「いま3人の女性から結婚を望まれているんですよね」と語るのは、横浜在住の会社経営者、ミツオさん、47歳。女性の年齢はそれぞれ24歳、27歳、そして35歳。みんなマッチングアプリで出会った。ミツオさんは過去に結婚経験があり、元妻の間に3人の子どもがいて、そのことも伝えてある。
「年齢差がありますが、私はプロフィールに年収を書いているのでそれに惹かれてくるというのもあると思います。女性はあまり年齢差を気にしないようですね。私が結婚に前向きになれない理由のひとつには、離婚後、自分ひとりの生活が確立しているので、そこに結婚という形でも他人が入ってくることを歓迎できないというのがあります。違う環境で生きてきたんだから、生活していくなかでどうしてもズレは出てきますよね」
前の結婚では、妻のほうが多忙だったこともあり、家事も子育てもミツオさんが多くを担った。生活力はある。どんなカップルでも生活のなかで大小のズレは出てくる。それを一緒にすり合わせ、乗り越えたいと思うかどうか。
「もうひとつは、経済的な問題です。3人のうち2人は現在仕事に就いていないんです。専業主婦でいたいというのは、私のいまの経済力なら構わないんですが、子どもを持つかもしれないとなると、事情は変わります。私、子どもは好きなんですよ。でも、首都圏で子育てして大学まで行かせてとなると、心配がゼロとはいえない。私の年齢を考えると余計にね」
現在、継続して会っている女性のうちひとりはシングルマザーで、3人とも結婚するなら子どもがほしいという。
「経済的な基盤がない相手とは、積極的に結婚したいとは思えないです。彼女らは仕事していなかったり、仕事をしていてもこれ上のキャリアアップや収入増が期待できそうになかったりで、その環境から抜け出したい。そのために結婚を希望しているところもある……というのが透けて見えちゃうんですよね」
その背景に男女の賃金格差や、女性は男性と比べて非正規労働が圧倒的に多いという現実があることは無視できない。しかし個々の男性がそれを結婚という形で引き受け、その経済力をフォローしたいかというと、そうは思えなくても無理はないだろう。
「最初の結婚は20代前半で、勢いでしたようなものです。それでも経済的な基盤については事前に話し合っていて、ふたりで暮らしたほうが広いところに住めるし、生活費もおさえられるね!と意見が一致したから結婚しました」
『傲慢と善良』の架も、既婚の男友だち何人かに結婚しようと思った理由を聞いたところ、「そんなの勢いだよ」と返ってきた。
架が「ピンとこな」かった理由のひとつに、真実のことをよく知らないという理由もあった。アプリをとおしてマッチしたふたりは生育環境も交友範囲も違う。けれど、結婚の判断をするにはどこまで相手を知ればいいのか。
架は消えた婚約者を探し、いままで自分が知らなかった彼女の側面を知っていく。架が人伝に聞く真実という存在は、多くの人が共感できる「善良さと傲慢さ」を持っている。
そして架自身、真実を探しながら自分のことも知っていく。結婚したいのか、なぜすると決めたのか、自分は結婚に何を求めているのか。ここにも「善良さと傲慢さ」がある。
その共感は決して優しいものではなく、時に読者の心に深く突き刺さる厳しい現実でもある。だからこそ、女性からも男性からも、“人生で一番刺さった小説”という声が寄せられたのだろう。
(取材・文/三浦ゆえ)
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